ー前略ー
 ある韓国の中国史学者はこう述べて、事情を説明してくれた。
研究者は「専攻する地域と時代に対する非常に小さな主題を扱った学術書を何冊か出版して、研究を終える」のが「普通」である。
「膨大な資料と蓄積された研究の沼がどれほどかをよく知っている」ので、「敢えて自分が熟知する時代史を飛び超えて、
中国史全体を扱ってみようという考えさえ及ばない」。
ー中略ー

「他律性史観」のタブーを超えて

新城道彦『朝鮮半島の歴史――政争と外患の六百年』(新潮選書)

 朝鮮史学界には「他律性史観」ということばがあった。
簡単にいえば、朝鮮半島の歴史は外から動かされてできあがったもので、自律性がなかったとする見方である。
もちろん戦後史学では重大タブーと化し、その脱却・克服が久しく史学史・歴史教育の主流だった。
ひとまず目的を達したのか、いまや用語としても、あまり使われない。

 そのいきついた一面が、本書の「あとがき」に紹介するエピソードであろうか。
著者の友人「の大学院生は、韓国(朝鮮王朝)が中国(清)から独立する理由などないし、属国だった過去があるわけないと反発した」という。

「属国」だった実質支配が認められないから、「独立」もないとの謂であり、しかも最近の韓国では、そればかりではない。
日本のいわゆる「韓国併合」も「違法」だと認められるので、「併合」という過去もなくなっているそうだ。
「他律」を忌避否定するあまり、「外患」の存在という事実にまで目を背けるようになってしまったのである。

 実質かどうか、合法かどうかはともかく、あったことをなかったことにしては、もはや歴史・「史観」とはいえない。
歴史でなくしてまで「他律」を否定しなければならないのであれば、実際の歴史には「他律」が厳存していたのを、かえって裏書きしたも同然ではないか。
けっきょく旧態依然の「他律」「自律」の二分のほうが、歴史の実態に近いのである。

 それなら多かれ少なかれ、確かに存在した「外患」「他律」は、いかに内政・「自律」と関連していたのか。
それをみなおすほうが、はるかに実りある思索であろう。本書は「政争と外患の六百年」でその表現をまっすぐ果たした。
真の意味で、ありそうでなかった通史なのである。

京都府立大学文学部教授 岡本隆司

全文はソースから
新潮社 6/21(水) 15:02配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/8822715c6b9fc5722e042e637fd16d12211422d5

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