韓国の太極旗は、李氏朝鮮末期に、旭日旗と同系列の日本の国旗の日の丸に対抗してデザインを真似して作られたものです。

日本は、国号を日本と称した千年以上前から日章を国のシンボルとしてつかい、江戸時代に船につける国際識別旗としても日の丸を採用して、国際的にも日の丸が国旗になった。

一方、李氏朝鮮には国旗というものがなかった。その朝鮮が日本と外交することになって、国旗が必要と意識されて、清国にお伺いを立てるなどして急遽作られたのが「太極旗」。

欧州だとフランスの影響を受けた三色旗が多い(さらにその源流はオランダの国旗)、共産主義国家だと基本は赤旗、白地に丸がベースの朝鮮の太極旗はデザイン的には日本の国旗の亜流です。
太極旗の最終デザインは日本船籍の明治丸に乗り日本へと向かった朴泳孝が、当初馬建忠が提唱した太極文様の周りに八卦を描いた太極図の旗を、イギリス領事のW. G. アストンとイギリス人船長ジェームスのアドバイスで、八卦から四卦を削り、残りの四卦を45°傾けて四隅に配した図となって完成しました。
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日本の日章旗をベースにして、日の丸部分を、中国の陰陽思想の太極に変え、四隅に八卦のシンボルを配置し、さらに大清国属の文字まで加えて、おれたちゃ中国古代思想を国の理念にする中国の属国だから日本より偉いんだという意図を込めて作られたのが、太極旗と推定されます。

太極旗が作られた19世紀末、すでに本家の中国では洋務運動などで西洋思想の優位が確立されつつあり、陰陽思想や八卦は迷信として否定され、さらに中国を世界の中心として、それに近い方が偉いという中華思想も、西洋の列強や列強入りしつつあった日本に中国が対抗できないことがはっきりして否定されたのに、国のよりどころを中国古代思想にもとめた太極旗をいまも掲げる韓国は少々恥ずかしい。

李鴻章編『通商章程成案彙編』(1886年)収録「大淸國屬 高麗國旗」
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