ー前略ー
 戦争から学ぶべき最大の教訓は、戦争の悲惨さである。この点は、戦後の教育やジャーナリズムで強調されてきた。「はだしのゲン」という漫画が原爆の悲惨さを国民に教えるうえで大きな役割を果たしたことは、以前にこの欄で紹介した。戦後も80年になろうとする今、語り継ぐことは難しくなる一方だが、必要である。

 もう1つの重要な教訓は、戦争という国家の誤った政策を決定、遂行した政治の構造を検証することである。敗戦後、連合国は東京裁判で戦争を推進した日本の軍人、政治家の責任を問うた。その際、多くの日本の指導者は、個人的には戦争を開始することに反対だったが、あるいは早く終わらせたいと思っていたが、自分には政策を決定する権限がなかったとか、負けを認めたくないという政府の中にあった「空気」に逆らえず、戦争の継続に至ったという言い訳をした。

 戦後日本の政治学の開拓者である丸山眞男はこの点をとらえて、「無責任の体系」という言葉をつくりだした。自分にとって不都合な現実を見ようとしない。大きな摩擦をともなう政策決定について自分には権限がないとして決定を回避する。希望的観測に基づいて行動することによって問題を解決したように自分自身を欺く。これらの態度を積み重ねて、既成事実に追随し、事態の悪化に手をこまねくというのが、無責任な指導者の行動様式であった。ヒトラーのドイツは、指導者の世界征服という野望のもとに戦争を進めたのに対し、日本の戦争は無責任な指導者が事態を収拾する行動を回避した挙句にずるずると続いて、破局に至ったのである。

 丸山がこのような分析を提示して戦後日本の政治構造を変えなければならないと言ってから、75年が経過した。日本は戦争を繰り返してはいないが、無責任の体系を改めることはできていない。1990年前後のバブル経済の終わりから、日本は失われた30年をいう衰退の時間を過ごしてきた。経済と社会の持続可能性の維持というテーマについて、日本は敗戦を重ねている。それは、無責任の体系がもたらしたものである。

 最近の事例を1つだけ紹介する。それは、安倍晋三政権時代に始まった異次元金融緩和という政策である。安倍政権の経済政策(いわゆるアベノミクス)の柱として、デフレ脱却のために日本銀行は金融市場に大量のマネーを供給し続けた。安倍が送り込んだ黒田東彦日銀総裁は、2%の物価上昇という目標を掲げて、国債の大量購入を続けた。黒田は10年間日銀総裁を務めたが、物価上昇の目標を達成できなかった。最近の日本の物価上昇は、世界的な資源、食料の価格上昇の結果である。

 黒田総裁の下で日銀理事として金融政策の立案にかかわった門間一夫氏は、最近のインタビューでこの時代の政策決定について次のように振り返っている。日銀の政策によって2%の物価上昇を達成することはできないし、日本経済がよくなるとは思っていなかったが、日銀が消極的だから景気が良くならないという世間の批判を鎮めるためだけに黒田の異次元金融緩和を支持した。

 この言い分を読むと、戦争開始の時を思い出す。海軍の指導者は、アメリカと戦争をして勝てるとは思えなかったが、政府がどうしても戦争をするというなら最初の戦いでは大暴れすると言って対米戦争を始めた。それと同じで、実現不可能な目標のために時間とエネルギーを使い、日本の金融施策は袋小路にはまっている。

 無責任の体系を打破するために必要なのは、政策決定に関わる政治家、官僚、学者が事実に基づいて自由な議論を行い、決定の過程を明らかにしておくことである。敗戦後80年になろうとする今でも、われわれは失敗に向き合うという勇気や誠実さを持てていない。

登録:2023-07-31 07:48 修正:2023-07-31 08:41
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