■1944年12月14日、フィリピン・パラワン島捕虜焼殺
飛行場の保守作業に使役させられていた150人の米兵捕虜を地下防空壕に押し込み、バケツ
でガソリンを注ぎ、続いてたいまつを投げ入れた。燃えながら防空壕から逃げようとした捕虜は銃
で撃たれるか銃剣で刺されたが11人が逃亡し付近のゲリラに助けられ、米軍支配地にたどり
ついた。
戦後、捕虜虐待、軍事目的の使役、米軍機爆撃から捕虜を守る措置を取らなかったことが
理由で15人が起訴、現場の憲兵曹長が絞首刑(後に禁錮30年に減刑)、他は2年〜無期
禁錮を科せられた。