【日本人専門家】 長江文明からもたらされた稲作が日本の社会や文化を決定した [9/21] [仮面ウニダー★]
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中国新聞社 2023年9月20日(水) 22時30分
ー前略ー
・日中文化の共通性には稲作という土台がある
考古学、文化人類学、農業学の研究では、イネの原始品種はインドあるいは中国雲南省に起源を持ち、
その後はイネの栽培技術が主に長江下流部から日本に伝来したと考えられている。
日本に稲作技術が伝わった時期についてはいくつかの説があるが、弥生時代の紀元前3世紀ごろには
日本の九州地方で稲作が一般的に行われていた。当時の日本は狩猟、採集、漁獲を主な生産手段とした縄文時代から、
農業を主な生産手段にする弥生時代に入る時期だったが、稲作技術の伝来はこの生産方式を転換する触媒となった。
最近の研究では、九州地方の縄文後期の遺跡に灌漑施設の痕跡があることが分かった。
つまり水田耕作は弥生時代より前に始まったことが分かった。
稲作技術が日本に伝わったのは縄文時代後期から弥生時代初期という説が多く受け入れられている。
稲作がどのようにして日本に到着したかについてには定説がない。現在は3種の説がある。
第1の説は「朝鮮半島を経由して北九州に到達した」で、さらに「中国から直接九州に伝わった」、
「海路を通って沖縄に到達し、そこから九州に到達した」という2説がある。
現在までの研究で、朝鮮半島の稲田跡と九州地方の稲田跡が似ていることが明らかになったことから、
第1の説が比較的広く認められている。
稲作の伝来は、日本に農業社会と定住生活という大きな社会変革をもたらした。日本人は集団労働の生活を送るようになり、
親族や村落の概念が現れ、国家などの政治制度が現れた。つまり、人口、産業、社会制度がすべて変化した。
米は儀式や季節の行事にも結び付いた。例えば餅だ。中国の雲南省では餅文化が栄えている。
日本人は入学、成人、結婚などの祝い事や伝統的な祝日に餅を食べる。
中国にも祝日に餅を食べる伝統があるが、祝いの内容は異なる。伝統的な祝日は農業の文化と気候によって决まる。
日中両国は同じ季節感を持っているので、伝統的な祝日の時期にあまり違いはないが、
祝賀行事には違いがあり、食べる物も同じではない。
ー中略ー
・稲作は人々の芸術意識も育んだ
ー中略ー
・日本文化の基礎部分は長江文明に根ざす
一般的には、日本は儒教思想や漢詩を多く受け入れたと認識されている。これらは中国北部の中原地域の文化だ。
しかし稲作を考えれば、日本は中国の長江以南と密接なつながりを持っていることが分かる。
長江文明は中国のもう一つの文化であり、日本人は稲作をベースにした長江文明に親しみと関心を感じる。
日本は中国から儒教思想や中国文学、その他の先進的な精神文化を取り入れたが、
日本の生活や文化の基礎部分は長江文明に根ざしている。稲作を切り口に日中の文化を考えるのも良い方向性だ。
日中の人の往来は3年間にわたり、新型コロナウイルス感染症の影響で途絶えた。昨年は日中国交正常化50周年、
今年は日中平和友好条約45周年を迎えたが、日中関係の先行きは不透明で、両国の学術交流も以前の状態に戻っていない。
世界に目を向けると、自由貿易システムが保護主義の衝撃を受けている。
このような時だからこそ、人類の平和と持続可能な発展のために、知識と文化の交流が重要になる
ー後略ー
全文はソースから
https://www.recordchina.co.jp/b920744-s41-c30-d0198.html >>438
実際、遺伝子的にはチベット族と日本人は兄弟(+アンダマン諸島のジャラワ族)
面白いのは中華地域に農業と医薬を伝えた炎帝=神農氏は姜姓であり、チベット族の一つである羌族ともされていること。 >>515
遺伝的には韓民族と日本民族はとっても近いからなぁ >>517
ヒデヨシはトウガラシを朝鮮半島に持ち込んで、キムチ汚染の起源となった >>513
寒い地域でコメ育てられるように品種改良したのが日本っていうだけなんだよw
韓国でインディカ種のコメ作ってないだろ? >>496
幕末に朝鮮人部落が各地にあった??
なんかの冗談か?? >>514
たとえばポルトガル伝来の鉄砲を
イギリス人が『イギリス伝来だぜ!』とか言い出したら
俺そのイギリス人きらい >>521
本当かよ
中国で作ってたんじゃないのー? 殘念ながら日本の考古学者は無能なんですよ
日本人の有能な人は考古学者に成りません(趣味は除く)
中国が稲作するより前に日本の社会や文化があるやろ >>502
日本の石器時代〜縄文時代にあたる頃、半島にはほとんど人が居なかったみたいだけどね
発見された痕跡が少なすぎる
しかも半島に今は殆ど居ない縄文系の特徴を持つ人たちが居た(住んでいたかは不明)
人が増えたのは三群時代からみたいだね >>506
「ちょんage 祖国織り交ぜニュース」 >>501
当時は今よりも平均気温がかなり低い
水田は凍ったら稲が呼吸出来なくなり育たず腐る
当時の北朝鮮地域さらに寒く凍りまくりなので水田は向いていない
この場合寒い北から南と伝わるとはならない
実際に水田の遺跡なども年代順に暖かい南から北となってる
畑作の稲は逆の伝わり方でコッチは朝鮮半島由来でもオカシクない 朝鮮半島から伝わってたにせよ朝鮮半島南部に住んでたのはたぶん縄文系。
そこから伝わった可能性は低いとは思うが。
長江から伝わったにせよ伝わった時代から言ったらおそらくそこにいたのは
長江文明系で黄河文明とは関係ないかも。
まあどこから来たのかしっかりと根拠に基づいた話をすればいいんだが、
今そこに住んでる全く関係のない連中から俺が教えてやったといわれのない
優越感に浸られてもウザいだけ。 >>528
根拠も示さず幻想を語ると社会では馬鹿にされるよ? >>501
朝鮮半島経由で韓国が絡むのが嫌だってよりは、最近の研究で朝鮮半島からの伝来が否定されているから。
理由は朝鮮半島の北にある最古の稲作後が発見されたけど、日本の稲とあきらかにDNAが違うタイプだった。
この事から朝鮮半島を経由して日本に伝わったとする説が非常に弱くなっている。
直接中国南部から伝来した説の方が有力。
韓国人が日本人に稲作を教えてやったとか偉そうにするのは嫌だったのはあるけどなw >>519
あんたには残念な話だが、日本人(大和族)チベット族、ジャラワ族にはあって、朝鮮族にはない遺伝子があるんだわ。 それはそうだろうな
農業と家畜飼育による狩猟採集生活からの進化が文明を築いたのは世界的事実 >>535
○○ 韓国 起源 でググると、なんでも出てくるよ Hello.
We heard you call out. >>531
(=゚ω゚)ノ 水田も、豊富な水があってこそですからねぇ
いまだにマトモな治水できてない朝鮮半島では計画的に水稲なんかむりっぽではないかと。
日本でも水利権は昔っから命を掛けた戦い戦争ですもん >>527
逃げるな
ごまかすのがもう駄目
全部嘘 日本語の起源って本で米に関係する言葉を中心にタミル語との共通点が云々とあったから稲作はインドから伝わったと思ってる。 >>452
温暖だったから海辺じゃなく、製鉄とかで山を削って干拓事業やって海岸線が変わってるんじゃね? >>539
中国人、韓国人には過去にモンゴルに支配された痕跡としてモンゴル人のDNAが受け継がれているけど
日本人には無いからな。 >>145
これは事実陳列罪
チョンチャンの妄想歴史を盲信するアホが涙目になる罪 >>538
熱帯近くでやってた農業だからな
つい最近まで東北あたりでもガタガタだった
寒さに非常に弱い
いまは品種改良されてるから余裕だけどね >>541
勝手に主張しているだけで
誰も責任取らず根拠も証拠もしめさず
〜と聞いた、ネットに書いてある >>499
ベトナム:南越国
米どころ新潟:下越
越の国 人民は何か恩着せがましい事を言わないと劣等感で潰れてしまうのだろう。
落ちぶれた人民は惨めったらしくて嫌だねぇ。 >>551
その寒さに強い稲を作ったのも日本で、その日本の稲を使って稲作をしているのが韓国だからな。
ジャポニカ米を食べているのは日本人と、その品種をパクった韓国だけ
韓国で最古の日本からのパクリは稲作だと思うよ。 >>549
支配されて強制的に受け継がされた遺伝子ではなく
モンゴルに分岐する前のルーツはあるけどな 上古音では越wo 倭wo
雲南から長江流域にかけて居住していた高床式の稲作文化をもつ集団(倭族)が海沿いに山東半島に北上したらしい
江南の呉が一時山東半島も支配していたが、呉が滅亡して
倭族の一部は朝鮮半島南部に移動し
さらに北九州から日本列島に移動してきた
倭は呉の太伯の末と言われるのはこのような経緯があるから
山東半島→朝鮮半島南部→対馬→北九州
この移動は準構造船でも可能 >>551
稲が寒冷に強かったら、農業技術者だった宮沢賢治が奔走して体壊す必用もなかった訳でねぇ >>553
コシって古志って書くんだよ
一応
新潟も結構寒いから米どころになったのは
明治以降じゃないか
稲作は南方系 >>558
ん? 日本人はユダヤ人と同祖って聞いたけど? ちなみに高床式稲作の害獣を退治するために
猫が日本に来たんだニャー🐈 ジャップが竪穴式住居に住みどんぐりを追いかけ回してたころに製鉄して大規模な騎馬戦していたのがコリア >>564
白人系ユダヤ人のハザール人じゃなくて有色人種のユダヤ人の方だけどなw
その説はあるけど >>1
韓半島からの渡来人に恵んでもらった種もみの御恩に、カムサハムニダ。
我々クソジャップは卑しいおもらい民族。この身を流れる卑しい乞食の血が恥ずしい >>1
単に日本の文化に一要素加わっただけ
決定とかアホですか >第1の説は「朝鮮半島を経由して北九州に到達した」
いまだに九州北部を北九州って言う奴は漏れなく死ね ◆遺伝子に見る日本人のルーツ
ミトコンドリアDNAのハプログループを確認する限り
日本人のルーツは多種多様である。
この中でも最も割合が高いのが
D型(D1a2a型)で、日本人全体のの32〜39%に見られる。
アイヌの75%〜88%、琉球人の56%もこれに属する。
タイの西側に浮かぶアンダマン諸島南部では100%を占めている。
このハプログループに近似しているのが
チベット人の50%、中国西部遊牧民の羌族の18%、
中国南西部のミャオ族の9%を占めるD1a1型であり、
D1a2型はそこから分かれたものとみられている。
ちなみに漢民族はハプログループO型が78.3% N型が9.0%と
この2つだけで圧倒的多数を占め、
D型は西域の甘粛省を覗けばほとんど見られない。
朝鮮民族もO型が70% (O1b型:30%、O2型:40%)、
C型が16%を占め、D型は2%しかない。
漢民族と朝鮮民族の大部分を占めるハプログループO型は
反対に日本人にはほとんど見られないのだ。
左翼の連中は科学的な根拠など全く無しに
日本人のルーツは大陸や半島から日本にわたっていた
中国人や朝鮮人であると政治的な理由から決めつけたがるが
これは全くの嘘であり、
日本人は中国・朝鮮とは全く別のグループなのだ。 三群時代以前の半島は僅かな縄文人、弥生人、それに稀に漢人がウロウロしてただけの未開の荒野
そもそも人が居ないし往来なんてね ◆日本人はユダヤ人と兄弟民族
なお日本人特有の遺伝子がYハプログループ染色体Dである。
これは近隣の朝鮮半島や中国ではほとんど見つかる事はない。
対して日本人男性からは40%の確率で発見される。
ハプログループDには遺伝子の一部に著しい特徴があり、
これを「YAP」と呼ぶ。
実はハプログループDの他に、
もうひとつYAPの遺伝子を持つグループがある。
先に述べた人種的ユダヤ人が含まれるパプログループEである。
両者はともに時代を遡ればハプログループDEという
同一グループを形成していたとみられ、
突然変異でYAP遺伝子が生じた一人の男の子孫である事がわかっている。
昔から古代日本の文化はユダヤに影響を受けてきたとする、
「日猶同祖論」が唱えられてきた。
表のアカデミズムはこれに対し、
ただのこじつけであり、でたらめだという見解をとってきた。
しかし実際のところ、日猶同祖論は事実だった。
表面上いくら否定するスタンスを取ったところで、
科学的調査による遺伝子の特異な類似性という
消し去る事ができない膨大な物的証拠の存在により
既に裏付けらていると言っても過言ではないのだ。 ◆中国に稲作を齎したのは日本人
日本人のルーツは中東からやってきた民族であり
その途中で、チベットに居住して大きなグループとなったのが
現在のチベット族である。
そこから分かれ、中国に稲作をもたらしたのが倭人である。
倭人はチベットから雲南地方に流入し
後に黄河文明と比肩される長江文明を生み育てた。
彼らは川を下り、長江の上流域の貴州、
四川一帯に領土を広げた。
『史記』の中に記述されている夜郎、且蘭、昆明、蜀、巴などなどの国は、
いずれも倭人によって建てられた可能性があると
中国の最高行政機関・国務院の発展研究センターの
歴史学者・張雲方氏が述べ、
「人民中国」2008年10月5日号に掲載している。
一部の倭人は北上し、山東半島に到達し、
ここで徐、淮、呂、奄、莱などの小国を建国した。、
漢代にはこれらの国々は異民族であるとして「東夷」と呼ばれた。
もっと前に北上したグループは朝鮮半島や日本に渡ったようだ。
だから「昔わが国の領土だった場所は全て中国領」という中国式理論で言えば
中国領土のいくつかも日本の領土という事になる。 >>568
どんぐりは追いかけるもんと違うよ。朝鮮のドングリは走り回るのかな? >>473
自然に玄界灘で国境線引いてるんだよな
当時は半島南部と九州北部はほぼ一体だろ
どっちが先とかねーわ 栽培なんてのは社会がないと成立しない
財や宗教や競争の概念乏しいまばらな人口なら狩猟採集のほうがよほど効率がいいし楽
半島で古い稲作の痕跡を発見したと言い張るが、そもそも人が居た痕跡が希薄
大規模な集落跡なんてのはない >>582
日本人はオニギリを追いかける伝説を言い伝えていますけどね ◆周王朝に朝貢していた倭人国歌
前漢の司馬遷が撰述した『史記』によると、
紀元前11世紀に周の武王が殷王朝を滅ぼすために挙兵する。
酒池肉林として知られる過度の放蕩や暴政をしていた
殷の最後の王である帝辛(紂王)は
牧野の戦いで武王に敗北し、
首都の朝歌に撤退した後に鹿台に上り、焼身自殺した。
紂王の叔父で宰相だった箕子とその一族は、
武王の好意により処刑される事なく朝鮮半島に亡命した。
そこで彼は現在の北朝鮮のあたりに「箕子朝鮮」を建て、
周に臣従の礼をとったという。
箕子は東夷と周の仲立ちをした。
そして1世紀に王充が著した思想書『論衡』には、
周王朝2代目・成王の時代に「倭人が暢草を貢した」と書かれている。
外交記事における「貢」とは、
国レベルの貢献交渉があった時にのみ適用される語なので、
周代には倭人の国があった事を意味する。
それがどこなのかは明らかではないが、
中国東北部から朝鮮半島、今の日本列島にまたがる
いずれかの地域にあった可能性がある。 >>474
それは言い過ぎ
両班の搾取で壊滅的だったが稲作自体はあった 越を古志と表記するのは奈良時代に二文字で表記するのが吉とされたからだよ
北陸の越は、江南の越と関係があるかもしれないと指摘する人はいる
古代人が「越」と表記したことは軽視すべきでないので何らかの関係があったのかもしれない
ただし、はっきりしたものはなにもない
ちなみに稲作は北九州から日本海側を東進したので、越と言われる地域の稲作開始は太平洋側より早い
北海道南部も1世紀ぐらいに稲作が伝わっている
そこから津軽海峡を回って太平洋沿岸を南下したので
以外にも日本列島で相模が稲作導入が最も遅れた地域(3世紀ぐらい) >>568
朝鮮人も騎馬戦してたのか? 勝ったのか? オレも中学校の運動会でしたよ。 勝ったぞ。 >>452
気温の上昇と共に水田が拡がっていくのが遺跡などから確認されていてリンクしているのよ
それ以前の暖かい時期の頃の遺跡が残っていない >>586
頼まれてないコリアンが勝手に「おむすびころりん」を「チュモクパプころりん」に置き換えるだろうけどな >>592
オニギリの起源を主張してからのはなシダ ◆倭人文化にみられる周文化
古代の倭人社会には周王朝の影響が色濃くみられる。
たとえば南朝宋の范曄432年完成させた『後漢書』には
倭人の使節は「大夫」を自称すると記されている。
西晋の陳寿が280年頃に著した『三国志』も同様で、
「古より中国にやってくる倭の使節は、
皆大夫を自称する」と記している。
"大夫"とは何か。
周代の卿・大夫・士という官職制度の称号の一つである。
そもそも「古」なる語は、『三国志』が編まれた魏晋時代においては、
上古の夏・殷・周を指す。
したがって大夫を称する倭人が
何度も周王朝にやって来ていた事を表している。
更に『三国志』を読むと、倭人の習慣に
「すなわち骨を灼きて卜する所を告ぐ。其の辞は令亀法の如く…」
と書かれた箇所がある。
「令亀の法」とは『周礼』春官で述べられる"大卜"のことで、
周代に盛んに行なわれていた呪法だ。
同様に、「搏手」についても書かれている。
これも周代の古法で、神社で打つかしわ手として現代に残っている。
「籩((へん)」「豆(とう)」といったものも挙げられている。
神社の祭礼で用いられる高杯(たかつき)に似た物で、周代特有の祭器だった。 私は韓国人である事に誇りを持っている
米などいらないキムチがあればいい 古代〜中世頃まで中国から文化的影響を日本が強く受けている事は否定しない
ただし室町以降は殆ど受けていない ◆日本に渡ろうとした孔子
対して"韓"を含めた東夷諸国の条では、周の古法への言及はほとんど無い。
このような対比からすると、日本列島だけ
周王朝の文化やシステムで統治がなされていたとみられる。
弥生時代に一大集落があり、稲作が最も早く開始されたのは北九州とみられるが、
九州島の「九州」とは、周代における中国本土を意味し、
太宰府の「太宰」も周代における国の最高執政官の呼称である。
この点についても周王朝の影響がみられる。
おそらく弥生時代のクニグニの中枢には
周の人間がいたのではないだろうか。
また、先に述べた、1世紀に後漢の班固・班昭が著した
『漢書』倭人の条の冒頭にはこのように書かれている。
「故孔子悼道不行、設浮於海、欲居九夷、有以也夫。楽浪海中有倭人…」
孔子は道が行なわれないことを悼み、
渡海して九夷(東方の野蛮な諸国)に住むことを欲した。
特に楽浪から海を越えた先にある倭人の島に移住しようとしていた。
という意味であり、ここから倭人の紹介に入っている。
孔子が住んでいたのは山東半島のつけ根の魯国で、
始皇帝と徐福が出会った山東省の一角でもある。
紀元前6世紀半ばの孔子が日本列島への渡海を希望していたという話は
300年後にこの地から日本に渡った徐福と無関係ではないだろう。
既に孔子の時代に日本列島の事は知られ、
山東半島を起点とする日本列島への
渡海ルートも開拓されていたと思われる。 朝鮮半島経由説は完全に否定されているw
むしろ九州で自生していた稲を戦乱から逃れた中国人が持ち帰った説まであるからな。
つーか、縄文人は海洋民族、縄文土器がどこから出土しているか、本当のことを教えて欲しいね。 >>588
朝鮮半島旗はもち米栽培なんだよ
水田じゃなくて畑でもち米作ってた まぁ、ちょっと日韓軋轢を横に置いて言うけど
日本語と韓国語って文法がほぼ同じ、同じ言語体系と言っていい
この日韓語は中国語ともロシアとも明らかに文法が違うわけで
日韓の言語は中国やロシアとは別の、そして日韓同一のルーツに依ると考えるのが自然だと思うんだ
>>594 おまえちょっとうるさいよ
そのことを前提に置いて
言語だけは日韓共通のルートを辿って構築され
技術や社会や農耕は日韓別ルートですって考えるのはちょっと無理があろう?
たぶん、言語も稲作も、日韓ともに同じルートからもたらされたんじゃねかと ◆紀元前10世紀に始まっていた日本の稲作
稲作によって始まる日本の弥生時代の開始時期は
紀元前3世紀頃とされている。
だが2003年に千葉県佐倉市にある
国立歴史民俗博物館の発表によると、
放射性炭素年代測定法で
弥生式土器付着の炭化物の測定をした結果、
弥生時代のはじまりは約600年早い
紀元前1000年頃に遡る可能性があるという。
放射性炭素年代測定法は年代の狂いが大きく、
過去に遡れば遡るほど不正確になるので
あまり信憑性はないため、
発表当時は研究者の間でも賛否両論があった。
だが現在では多くの研究者が
弥生時代の開始年代を遡って考えるようになっている。 >>1
中国人と朝鮮人は地球の癌
滅ぼすべき時に滅ぼさなかった人類の汚点よ >>495
それは今の話だろ
満洲人は人種的にはモンゴル人と同じ
農業ができる土地で定住して農業やってたのが満洲人で
農業ができない牧草地で馬で移動しながら羊飼ってたのがモンゴル人 ◆弥生時代の始まり
では、紀元前10世紀頃に日本列島の倭人は
どこから稲の種籾を手に入れ、どこから稲作の技術を習得したのか?
箕子朝鮮の勧めで周と交わった結果、
周王朝から入手した可能性が高い。
先に述べた通り中国に稲作を始めたのは倭人であり、
倭人の領域は長江流域から山東半島付近にまで広がっていた。
先に日本列島に移住していた者たちは
そこに住まう倭人たちと交流し、
彼らの一部を技術指導者として日本列島に迎え入れた可能性もある。
ただし紀元前10世紀頃の日本で
幹線水路、井堰、取排水溝、畦畔など
大規模な水田の遺跡が発見されているわけでもないので
稲作の始まりは紀元前10世紀であっても、
やはり本格的な水稲耕作の始まりは3世紀頃と見ていいだろう。 ◆朝鮮半島は倭人の領土だった
朝鮮半島の南部、今でいう韓国は
遅くとも紀元前10世紀には倭人の領土だった。
邪馬台国の時代に帯方群を出た魏の遣いが立ち寄った
朝鮮半島南岸の「狗邪韓国」もまた倭国の領土であり、
これは『魏志倭人伝』の記述からも確認される。
1世紀から中国東北部〜北朝鮮を支配していた高句麗は強く、
404年には帯方地方で
倭国は高句麗の好太王(広開土王)に大敗したものの、
未だに南部に広い領地を持っていた。
478年には中国南北朝の南朝の国・宋に倭国が遣いを送り、
順帝は倭王武を
「使持節都督 倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍」
に除している。
つまり倭国が朝鮮の大部分を武力で支配している事を公認しているのだ。
その後聖徳太子の時代まで倭国は定期的に朝鮮に軍隊を派遣し
朝鮮南部にある自国の領土を守ってきた。
しかしついに完全に撤退し、朝鮮半島の領地を失い、今に至る事となる。 雲南省ってチベットのパンダと同じで
暴力で後から奪ったやつじゃん。
それをチャイナからもたらされたみたいに
これがチャイナの手口ってやつか。 文化大革命で優秀な学者を○しちゃったから、今の中国には独裁者に従順な学者しか残ってないんだろうね >>601
朝鮮人の面倒も見れない朝鮮人が
どうやって日本の世話したんだよ
もし本当に日本人が朝鮮人に世話になって真似していたら
朝鮮のような貴族と奴隷の社会構造になってたはず >>502
縄文人+漢人=弥生人=倭人
その倭人が半島南部から西日本にいた >>588
そりゃゼロじゃないが、日本の統治下で生産量は倍になってる
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