韓国の性産業に従事していた女性たちによる「性売買経験当事者ネットワーク・ムンチ」のメンバーが7月、来日した。ムンチの活動の中核は、性売買に反対する立場から体験を語る「トークコンサート」だ。韓国各地で開かれてきたコンサートが、初めて東京と大阪で実現した。日本有数の歓楽地である大阪・飛田新地にほど近い会場で開かれた大阪コンサートで彼女たちは、日本人客の実態や、日本で目の当たりにした性売買の現状への驚きを語った。会場はどう受け止めたのか。(共同通信=中田祐恵)

 ▽素顔のままで

 来日は、彼女たちが暴力や搾取の体験を告発した「無限発話 買われた私たちが語る性売買の現場」の日本語版出版を機に企画された。

 大阪で約80人の聴衆を前に壇上に上がったのは4人のメンバー。ジウム、ペクチ、MK、ジンと活動名を使う。素顔のまま最初に語ったのは、性売買に従事したきっかけと、抜け出した後の体験だ。(※個人の特定を避けるため、記事では顔写真を出さず、体験と個人が結びつかないように表現しています)

最初のメンバーが語ったのはこうだ。

 「家出をして路上にいたら、働かないかと近寄ってくる人がいた。寝るところも食べるところもなかったので、暮らせるのであればどこでもいいと思った。そこが性売買の店で、4年間いた」

 「性売買から抜け出した後、最初に入ったシェルターには厳しいルールがあり、電話は使えず外泊もできなかった。私が役に立つ場所は性売買の店しかないのではと悩んだ。自分は価値がある人間だと考えられる機会がなかった」

 集結地(韓国の性売買事業所が集まる地域)に19歳で売られたメンバーは、こう振り返った。

 「10年間、1日20時間くらい働いた。頑張ってお金をためたが、どうしても前払い金(借金)が返せない。死のうと思って、最後に女性団体に電話をした。死ぬのは正直怖かった」

 「そのまま脱・性売買したが、出た瞬間から戻りたいと思った。社会は美しいところだと思っていたが、出てみたら、クソみたいな場所だった。それでも、性売買の現場がいかに非人間的で暴力的なところか今は分かるので、戻ることはない」

 20代で性売買の店に入ったメンバーの語りはこうだ。

 「友人が具合が悪くて出勤できない時、男性2人が家にやってきて『おまえが代わりに行け』と言われた。包丁で脅したわけではないが、男たちが家にいることが怖かった」

 「脱・性売買した後、これから何をして生きていくのか、何年も店で働いていたので、履歴書を書くこともできなかった。お金もないし、店に戻ろうかと何度も考えた」

 ドメスティックバイオレンス(DV)を受けて、家出したメンバーもいる。

 「友達と暮らし、お金もないので、野宿もした。自然に条件デート(援助交際)をするようになった。性売買が悪いとか搾取だとかは知らなかった。小学生の頃からお金で性的行為を要求してくる人がいたので、性売買は当然に流れていく場所だった。どういうものか分からなくても、買春者の態度から恥ずかしい仕事とは感じていた」

 「シェルターに入り、関心を持って話を聞いてくれる大人と初めて出会えた。高卒の資格を取り、暮らすための基盤をつくり、今の自分になるまで6、7年かかった。長い時間をかけて、支えてくれる人が必要だ」

▽口だけ「ごめんね」

 トークコンサートでは、親しみやすい雰囲気作りを大切にしている。時に笑いも誘う。だが、実際に語られたのは、耳をふさぎたくなるような体験や、グロテスクな暴力だ。

 ソウルの有名な集結地は日本の観光ガイドにも載っており、長期休暇の時期にはセーラー服など制服姿で客を引く女性であふれるという。

 日本人男性客の姿をこう告発する。「『すいません』と言って入ってきて『ごめんね、ごめんね』と言いながら変態のような行動を要求する。それから『ごめんね』と言って帰っていく。親切でマナーのある人のように見せかけながら、言葉だけだった」

 日本人客の二面性は、ビジネスマン風の日本人が多く訪れたルームサロン(個室型の店)でも同じだった。「お酒を飲んで雰囲気を盛り上げ、とても丁寧で紳士的。お酒をつがなくてもいいと言って、女性にもお酒を勧めなかった」

 しかし態度が一変する。「部屋に移動すると、AVのような姿勢の変態的な行為を求められた。これ以上無理だと伝えると『金を返せ』と言われた。私たちの間で、日本人は『けち』『変態』と呼ばれ、嫌がられていた」

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