世界的指揮者の小澤征爾が88歳で死去したというニュースは、世界中で速報された。

海外メディアは、その歩みや功績に加え、数々の逸話を紹介。また、その読者も小澤の思い出を振り返っている。

米紙には読者のコメント続々
米紙「ニューヨーク・タイムズ」は、「小澤征爾が88歳で死去、魅惑的で変革を引き起こした指揮者」と題した記事を掲載。過去半世紀にわたって東アジアの音楽家が欧米に進出するという変化があったが、小澤はこの動きの「最も突出した先駆者」であり、さらには西洋クラシック音楽を韓国や日本、中国に広めることに貢献した、などと伝えた。

記事では、アジアの音楽家は西洋音楽の完璧な技術を身につけることはできても、深い解釈や表現はできないだろうという「偏見」がかつてあったと説明。小澤はそうした状況を「その卓越した個性と純然たる音楽の才能、そして熱心な努力」で乗り越えた、と記している。

この記事のコメント欄には、200件以上の読者の意見が寄せられた。

ある読者は、小澤が1976年まで指揮者・音楽監督を務めた米サンフランシスコ交響楽団での出来事を紹介。「その感動的な姿をいまも覚えています」「決して楽譜を使うことはなく、あらゆる音楽のニュアンスを指揮で伝えていました」と記した。

また、1980年代に米タングルウッド音楽祭で小澤が指揮をした際に合唱団で歌ったという読者は、小澤は「どんなに長い複雑な作品でもいつも暗譜で指揮」をしていたとコメント。「合唱団で一緒に仕事をした他の有名指揮者でさえ、そんな天才的な才能は持ち合わせていませんでした」と驚きを表し、「限られてはいますが、私の受けた印象では親切で謙虚な人でもありました(指揮者がいつもそうだとは限りません)」などと振り返った。

TV番組出演、動物楽団の指揮も

米ラジオ局「NPR」のウェブサイトは、米ボストン交響楽団で29年にわたって在任した経歴を強調し、「ボストン交響楽団の指揮者を長年務めた小澤征爾が88歳で死去」という見出しで報じた。

記事は、小澤の活躍により「何世紀にもわたって白人男性が支配してきた」クラシック音楽界に他のアジア人が進出する道が開かれた、とその功績を説明。「私はパイオニアのようなものなので、死ぬまでにベストを尽くさないといけません。私よりも若い人たちには『それはできるんだ。できると思う。できればいい』と思ってもらえるように」、という2022年に小澤がNPRに語ったコメントを紹介した。

また、1988年には教育番組『セサミストリート』に出演して、動物の人形の楽団を指揮したり、1963年には米クイズ番組に出演して参加者に自身の職業を当てさせたりした、という逸話に触れ「小澤には楽しい一面もあった」と伝えた。

「最も西洋的な日本人指揮者」
スペイン紙「エル・パイス」は、小澤がドイツ人記者から「日本人のあなたがベートーヴェンやモーツァルト、ブラームスを理解できるのか?」と質問された際に「硬直した」という逸話を「最も西洋的な日本人指揮者、小澤征爾が88歳で死去」と題した記事で紹介した。

記事によると、小澤は1979年にこの出来事を米紙に告白。「自身が西洋音楽を指揮する東洋人だとは思っていなかったので」答えを見つけるのに何年もかかったと説明し、こうコメントしたそうだ。

「音楽は夕日のように国際的なものです。パリや東京でも見ることはできます。けれども、それをより楽しんだり、評価したりする人々は常にいることでしょう。誰でもモーツァルトを楽しむことはできます。けれども、すべての人がそれに注意を向けるわけじゃありません」

COURRiER Japon

https://news.yahoo.co.jp/articles/fba49b6f5d547eb19b2b76f54f12c3fae272f04d?page=1