ー前略ー
5月中旬になり、薫さんと地村保志さんが北朝鮮当局者から呼び出された。拉致問題について、2人が存在しているという事実を
日本側に明らかにすると告げられ、「現在、そのための交渉を実務レベルで行っているところだ」と明かされた。
さらに、保志さんは「拉致問題の解決についてどう考えるか。2人だけを出せば解決するか」と問われ、
「それでは全くだめだ」と答えた。

薫さんは「拉致問題の解決についてどう思うか」とも聞かれた。言葉を慎重に選びながら答えた。
「日本に行く気はない。たた?、拉致問題をきれいに解決しようとするのであれば、
結局は自分たちを日本に帰国させるしかないのではないか」

実際にはそんな話はないのに、忠誠心を試すために指導員がカマをかけてきたのかもしれない。
帰国したいという本心をさらけ出すことで、不満分子とみなされ、自分自身だけでなく家族にも不利益が生じるのではないか。
そんな恐れを瞬時に感じ、このように答えたという。

日本に帰っても、北朝鮮のスパイではないかというレッテルを貼られ、両親や兄に迷惑をかけるのではないかという心配もあった。
北朝鮮で生まれた子供たちへの影響も考えた。ただ、日本にいる家族には、自分が生存している事実を知らせたかった。
首脳会談までの数カ月間、毎日のように悩み続けた心労から、体重はかなり減ったという。

帰国後、日本政府の聞き取り調査に「もし自分が帰国に対して積極的な態度を示していれば、今回の帰国はなかっただろう」
と答えている。薫さんの直感が正しければ、同じようなチェックを受け、帰国できなかった人がいる可能性も考えられる。

・拉致隠蔽のため用意された“台本”
指導員からは、日本に帰国した際に説明するための「台本」が用意された。「拉致されたのではなく、モーターボートが故障して
沖で漂流しているところを救助された。北朝鮮で治療を受けているうちに、この社会はいいと思うようになった。
日本人ということが周知されると何をされるかわからないので、在日朝鮮人と偽って定住するようになった」
とのシナリオが用意されたのだ。

指導員と一緒にこのシナリオの内容を真実性があるように練り直し、質疑応答の練習も繰り返したという。
薫さんは「『救助された』と言っても、日本側には通用しません」とも進言したが、この時点では聞き入れられなかった。
「拉致された」という事実は伏せるように指導された。

このことは、薫さん自身も著書『拉致と決断』(新潮文庫)の中などで明らかにしている。

保志さんにも「海上で衝突事故を起こし、漂流していたところを救助され、在日朝鮮人と偽ってそのまま生活することになった」
とのシナリオが用意された。保志さんは、それでは疑問を持たれると指導員に進言し、
自ら「暴力団とトラブルになり、連れてこられた」とのストーリーを考えたところ、採用されたという。

6月になり、蓮池さん夫妻と地村さん夫妻は、約2年間を過ごした「双鷹招待所」から平壌市内のアパートに引っ越すことになった。
「そこに住むのは一時的であり、一連の動きが終われば、もっといいアパートに住まわせる」と言われた。
北朝鮮は、被害者を帰国させるつもりはなかったのだろう。ここでも、シナリオに基づく質疑応答の練習を続けた。

8月に入り、蓮池さんらは指導員から小泉首相の訪朝が決まったと伝えられた。
その後、「日本政府の代表団と会うことになるかもしれない。会う際には蓮池薫、奥土祐木子であることを明らかにしてもよい」
と言われた。

この頃になると、拉致は認めないとの当初の方針から転換しつつあるようだった。
日本側から「拉致されたのか」と聞かれたら、こう答えるように指示されたという。

「肯定も否定もせずに、『想像に任せる』と言って適当にはぐらかすように。『詳しい内容については後で話す』と言うように」
ー後略ー

全文はソースから
集英社オンライン 2/24(土) 18:03配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/f4c04cdb5bb52b65298dfad8620918579eaefdd0