T県A村ではかつて奇祭「初九里」(ういくり)が行なわれていた。
九里(一里=約4km)の決められたコースを駆ける早さを競うというもので、
最も早く駆け抜けたものには恵守爺(えすじい)と呼ばれる小さな老人の木彫り像が贈られる。
この像は家を守り恵みをもたらすとされ金銭の代わりともなるため、貧しい時代は死に物狂いで争奪戦が繰り広げられた。
勝つため様々に工夫を凝らす中でも麻黒(まくろ)と称される生薬は韋駄天の如き早さになると好んで村人に用いられた。
麻黒はその名の通り大麻を中心とした一種の興奮剤のため中毒性が強く、脳の活動を鈍らせ排他的になるなど
深刻な副作用が見られたが、山に入れば材料が簡単に手に入ったため村人はこぞって使用した。
恵守爺は美術品としても素晴らしいものであったので、村の外から初九里に参加する者も稀に見られたが
それでは麻黒を常用する村人の相手にならないためやがて「外の者」は参加しなくなった。
麻黒に毒された村人はそんな外の者たちを見下し、ますます排他的になったという。
しかしこの健脚が何かの役に立つかというとそうでもなく、
ある時村の麓で暴れる妖怪の征伐に山一帯の若い衆が招かれ、村の者も征伐軍に組み入れられた。
しかし麻黒に蝕まれた身体は外の者の貧弱な男にも全く及ばず、妖怪の一薙ぎで倒れ伏した村の者は
「初九里じゃ、わしは初九里ならお前らに負けんのじゃ」といつまでも惨めに叫んでいたという。
妖怪に全く歯の立たなかった村の者に向けられた周りの視線は冷たく、村人たちは逃げるように村に帰り
「外の者は何も分かっとらん」と慰めあい、ますます村に籠もるようになったという。
奇祭こそ行われなくなったものの、この閉鎖的な村はまだ、日本のどこかに存在している――。