『エコーチェンバー現象』とは、閉鎖的な共同体の中でコミュニケーションを繰り返すうちに特定の信念や思想が増幅される状況を指す。
また検索エンジンのフィルター機能によって、まるで狭く閉じた泡の中にいるように見聞きしたくない情報が届かなくなる状況が存在する。
転じて都合のいい事しか見聞きしなくなる状況を『フィルターバブル現象』といい、エコーチェンバー現象との関連性が指摘されている。
そうして煮詰まった層が持ち出すのが『サイレントマジョリティ』と言う言葉であり、特に根拠もなく自分が支持されていると主張する傾向にある。
本来は『物言わぬ大衆』の訳通り『積極的に行動しない層』と言う意味であり、その意味を誤解や曲解している者も少なくはないという。

これらはインターネット普及後に広く使われだした言葉だが、似た響きの言葉が本邦に存在し、それも同じような意味で使われていたのはあまり知られていない。
今回は旧日江洲之国押通(ひえすのくにおうつう、現在のT県A市追田地区)に残る『麻 鍍金(ま めっき)』伝説を、曙蓬莱新聞社刊『仙人伝説とその現実、行と業』からの引用を含め解説する。

日付ははっきりしないが衣非録(えぴろく)末期のある日のこと、鍍金は江末鵺子(えすえぬえす)の行を成し遂げこの追田(ついた)の地を開いた高僧の言い伝えを知る。
江末鵺子の行とは、気味の悪い声で鳴くという妖怪『鵺』をその子共々鳴き声が聞こえなくなる江(大きな川)の末、要は鵺を遠くに追い払う行であったという。
それを自分が成し遂げたように離遂(りついと 遠くかけ離れた者の行いを自身が成し遂げたように語ること)する鍍金に、村の者達は呆れ果てるしかなかった。
そんな中で迎えたの秋の事である、鍍金はボロを着て杖を突き謎かけのような言い回しを始めるようになっていた。
村人はまた誰かの影響を受けたのかと鍍金を『追田の御仙人(ごせんにん)』とからかっているうちに、鍍金は激怒して家の周りの地面に一本の線を引いてこう叫んだ。

『不入侘罵侮屡(しばしば(屡)我を凌侮(りょうぶ、他人を馬鹿にして辱めること)する者がいる、私を罵倒する者共は侘びるまでこの先に入る事を許さない)』

そう言い残して家の中に閉じこもってしまったが、村人達はいつもと何が違うのだろうと『御仙人の不入侘罵侮屡(ふぃるたばぶる)の行』と呼んでさらにからかうようになる。
それに余計に腹を立てたのか、鍍金は村人達が床に就く夜になると大声で説法のようなものを始めるようになった。
村人達はどうせすぐに飽きてやめるだろうと放っておいたがこれだけは毎日必ず始めるのである、朝寝て昼に起きられる鍍金にこれをやられては村人はたまらない。
またその説法と思われるものも細部が異なるだけの高僧の伝説そのものであり、やっている事は以前と変わらない離遂である。
その小さな家の中という橙が育つかどうかの狭い場で廻向(仏教用語、自分が修めた功徳を他の人に向けること)する様子を皮肉を交え『廻向橙場(えこうちぇんば)の行』と呼ぶようになった。

夜な夜な始まる廻向橙場の行に苛立った村人達が長の家に集まって話し合っていると、長は分録(ぶろっく、集落から記録を抜いていないものとして扱うこと、村八分とも)を提案する。
分録は集まっていた村人達の全員賛成で実行されることとなり、鍍金が寝静まる辰の刻(午前7時〜9時ごろ)から作業を始める等の段取りを決めてその日は解散となった。
翌日辰の刻、家の戸に『御知事』の張り紙を貼って寝静まる鍍金の家の前で長は分録状を読み上げ、村から追放すると宣言した。
すると手慣れた男達の手によって高く厚い木の板が運び込まれ、以前鍍金が地面に引いた線に沿ってみるみるうちに高く頑丈な見事な壁が出来上がった。

当然と言えば当然だが分録が成立したあとの鍍金に関する記録はない、当時の感覚で言えばもう村と関係の無い者のことなどこれ以上記録する必要がなかったのだろう。
しかし鍍金本人がどう思っていたのかはまた別である、鍍金は『誰も何も言ってこなくなったのだからは私が正しく、勝ったのだ』と思っていたのかもしれない。
例えそれが見える人すべてに否定されたとしても、鍍金にとって自らの行いは『物言わぬ大衆』によって支持されているものなのだから。

少々長くなってしまったが、ここまでが現在のT県A市追田地区に残る『麻 鍍金御仙人伝説』である。
記録に残る文字だけでなく鍍金の言動そのものがエコーチェンバー現象やフィルターバブル現象、曲解された『声なき声』などと呼ばれるサイレントマジョリティそのものと言えるだろう。
本来それらは共同体に属さない限り成立しえないものであるが、ひとりでそれを成立させてしまった鍍金は皮肉にも本当に『仙人』であったのかもしれない。