伊能忠敬の日本地図編纂において重要であったのは海岸線の精査であった
その為、海の無い上野(こうずけ、かみつけとも云う)の国、つまり現在の群馬県近隣に関しては自身で測量を行わず、この地の役人に一任された

日本地図編纂という大事業、その一端を担える誉に役人らは大いに張り切り、それは測量の出来栄えにも反映された
だが非常に残念なことにそうでない地域もあったのだ
それこそが碌な者の居ないと悪名高い追田の地である

追田の地の測量を命じられたのは「姫木 豆土由(ひめき まめっちゅ)」という名の名主である
豆土由は生来の物臭で知られており、齢四十を過ぎて未だ読み書きすら一人前にこなせぬ筋金入りの無能であった
そのくせ名主としての自尊心だけは御立派なもので、公儀よりの書簡の内容をよく理解もせず知ったかぶりをし素っ頓狂な指示を行い現場を大混乱に陥れる等、
下役人らの間では相当な鼻つまみ者として扱われていた

そんな豆土由の行う測量であるが、やはり想像を絶する程に碌でもなかった
あろうことか、馬の引く荷車の上から測量機器すら使わず目見当で適当な記録を行っているだけなのである
(測量機器の購入費用を幕府から頂戴していたのだが、豆土由はそれら全額を春画やいかがわしい人形の購入に充てたという記述が残されている)

無論、盛大に揺れる荷車の上からなど、まともな測量が出来るはずもない
それでも面倒くさくて荷車から降りるのを嫌った豆土由は、荷車の振動に合わせて上半身をゆらゆらと動かし、揺れを相殺しながら測量を行った
普段から体を動かすことのない豆土由は急な運動から来る気持ちの昂ぶりから「うおおおおん」と奇声を発することもあったという
傍から見れば不気味極まりない光景であった
馬の引く荷車の上で血色の悪い中年男が奇声をあげながら珍妙なタコ踊りをしているのである
追田の民は戦慄した 「阿呆の豆土由が遂ぞ完全におかしくなってしまいおった」 そう里中の人間が噂した

その珍妙な動きは「頭振測法(ずしんそくほう)」と呼ばれるようになり、子供らが面白がって真似るようになり、今日まで伝わっている

また、近年開発された建物の免振機構はこの頭振測法の動作から着想を得たということで一挙にその知名度を上げることになったのは記憶に新しい


だが一方で、姫木豆土由の作成した出鱈目な地図のせいでこの地の発展は遅れに遅れ、今日も「群馬は秘境」と謂われる由縁に一役買っているのである