ある実体験から現在ある仮説を考えている

スピーカーやヘッドフォンイヤホンは少なからず左右の音量差や音質差があるが
大抵の場合脳内補完されその左右差を意識することはない
しかしながらその左右差に気付いたときその左右差が常に気になるようになる
だが暫く何気なく音楽を聴いていると気になっていた左右差を然程は感じなくなっていることに気付く
そしてまた左右差を気にして聴いているとその差異が看過し得ないものに聴こえて来る

所有しているヘッドホンでは左がほんの僅かに強くイヤホンでは逆に右が僅かに強い
交換した直後には左右差を大きく感じるが暫くすると然程気にならなくなる

つまり人の感覚はある情報が加味されそれを意識することによって
その情報に対して鋭敏に反応するようになるのではないか

何が言いたいのかと言えば
つまりはハイレゾに肯定的であってもその音源がハイレゾであるという情報がなければその差異を聴き取れないのではないか

かつてはハイレゾの優位性を感じていた頃もあったが
CD音源もハイレゾ音源もごちゃ混ぜに聴くことに慣れた今では差異を意識することなく聴いている

結果論としてハイレゾの優位性は
少なくとも意識して聴かなければ検知出来る程のものではないのではないか

但しこれが「プラシーボ」や「思い込み」だとするのは早計である

センサーとしての耳から入る情報は脳内で選択的に処理される
耳から入力された情報を全て処理するとしたら雑踏で発狂する羽目になるだろう(当たり前の話だが)

これは音質をどう知覚するかにも適用されているのではないか