時間距離で粉飾して、自分の無知を誤魔化し煙に巻こうとするのは、もう已めよう。過去の出来事が
起こったその場所に位置すると、空間的な距離はゼロになり、「過去はどこへ行ったのだ?』」となる。
知見は体制化され、出来ることと出来ないこと、知ってることと知らないこと、満ちているものと満ちていないもの、
貸し付けられたものと貸し付けるものが明確になる。それが、信頼社会においての、本当の、ありのままの自分なのである。