今の俺は、詩人、富永太郎の「大脳は厨房である」の感覚にあります。

眼球は醜い料理女である。
彼女は大脳の棚の下をそそくさとゆききして…
彼女は…眼球は愚かなのである。

眼球が動くことは何かの観念を追いかけていることになる。
目の動きを止めて観念の追いかけを減らすことを肉体に強いてみよう。