>>233
>池田さんのは不可知論じゃないでしょ。今生きてる不思議を考え実感
>しなさいってことでしょ。

俺から見たら池田の場合、「だれにも解けないから、その事象については不可知」ではなく、
「池田自身がわかっていないから、強引に『不思議だ、謎だ』と言ってる」
ようにしか見えない。
池田が以前、新潮で「存在論」を語った言葉で
「結局、あるものは、あるからあり、ないものは、ないからないのだ」
というのがあった。

悪いがこれなら、小学生でも言える。
ヘーゲルを学んだのなら最低限、「理念としての存在」「いまだ個体を獲得していないが、抽象的には存在する
“純粋有”」「その純粋有が、実体をもつために仮の宿として存在する“仮象”」
おなじ“有”であっても、これくらいの概念はわかっており、かつ使いこなせなければ、
「哲学者」とはいえない。

>おおかれすくなかれ個という存在

池田の場合、この“個”に対する認識が、著しくゆがんでいるのが問題。
池田のように、すべての“現象”を“本質(個)”から切り離して考えると、
それは「自立」ではなく、「孤立」にしかならない。
池田はある程度は売れていた著述家であり、その印税のおかげで、明日のメシの心配もなく、
好き勝手が言えたわけだ。
そんな池田の言葉を真に受け実践したら、「社会的存在でありながらも、人とつながって、しっかりと自分ひとりで生きていける」
という正しい自立はできない。
「どんな物事も“現象”=『自分と関係ないもの』ととらえ、”自我”以外のあらゆるものとの関係を排除し、
自分勝手な解釈に生きる」というようにしかならない。池田の主張を実践した場合。

「池田の概念や思考」は、そうした孤立を前提としたものである以上、
池田の言うとおりに生きたら、「イタすぎて見てられない、いいトシした中二病患者」
にしかならない。