【てつがくがたり】池田晶子3【犬と夫と冷蔵酒】
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>>234
>そんな池田の言葉を真に受け実践したら、「社会的存在でありながらも、人とつながって、しっかりと自分ひとりで生きていける」
>という正しい自立はできない。
正しい自立をするために哲学を学ぶのか? 久々にレスします。
>>227
それはやはり、在ることと考えることと生きることがどうしようもなく一致するしかなかった
あの人ならではの諧謔だったのではないでしょうか。
>>228
「考える人は殺さない」についてですが、
これはあの神戸の児童連続殺傷事件についての論評にも関わるもので、
あのとき池田さんはあの酒鬼薔薇について、
「書く(考える)人間は普通は殺さない。書くという行為自体がそもそも世界を殺す行為
なのだから、殺した人間が書く、ということはあっても、書いてから殺す、というのでは
話があべこべなのだ。
なのに、彼はあのとおり、『書きつつ』殺している。
そういう『存在』を人は『化け物』と呼ぶ。
『化け物』とは善悪の極の狭間に星ぼしのごとく漂う無数の魂たちの間になんの前触れ
もなく現れ、深い深い傷を与えたと思ったらすぐに消えてゆくものである。
そんな『自分』を求めて永劫の時をさまよう『彼』のような善悪の彼岸の『魂』が、
私には哀れでならない。」
という具合に論理展開し、あの酒鬼薔薇の思考以前の『思考』である、
魂、
の問題にぶち当たることとあいなったわけですね。
個、の問題も皮相としては社会性に自立や自我、思惟である程度は説明がつくのですが、
結局、この魂にまで深めるのでなくては、どうしても、なにか割り切れない部分が残って
しまうことと思います。
小林秀雄という人は様々なる文学者の様々なる意匠に様々なる魂を見出し、他の追随
を許さない形而上性をもった批評文学を大成しえたところに池田さんを惹きつけたものが
あったんでしょうね。 >>234
それは、新潮における池田さん亡き後の影、である川上未映子に言うならこのうえなく
妥当ですね。
まあ、池田さんの論は本質的すぎて、出会い頭だと現象へのピントの合わせ方を見失って
社会的に孤立しがちになるのもはたしかなんですが、「正しいこと」の価値が解ってくるなら、
福も舞い込んできますよw なるほど。禰宜さんの説明によれば酒鬼薔薇事件にたいする解釈として
出てきた、ということですね。それは知りませんでした。ありがとう。
ただ、化け物として生きた少年の孤独な魂、というのは、池田さんの批評
としては分かりますけど、それがあの事件を真っ芯で叩けているのか、とな
ると、そこはやっぱり疑問がありますね。例えばあの事件にたいして、当時
同年代の人間から、「あれは分かる」という声があがっていた、という。
つまりそこには社会性に起因するものが多分にあったんじゃないか、と
考えざるを得ない。酒鬼薔薇自身、「僕を透明な存在にした学校への積年の
怨み」と書いていた。社会や学校が要請する用材性、価値あるものたれ、と
いう要請、分析的理性による人間の対象化、その場合、人間は存在を奪われる
運命をたどる、なぜなら人間には理性をはみ出す動力、侵犯性があり、わけ
の分からない暗さを抱え込んでもいる。そこで社会的な動力からの剥離とし
て、殺傷があったことが窺われる。 239の続き あの行為が共鳴を生んだとしたらそこにあると思えます。
決して一人の問題とはいえない面がある。「化け物」とい
う呼び名は切断操作をさせるものですね。ああいう事件にたいし、
特殊な精神の行為として処理する動きも社会にはおこるでしょう。あの
事件の場合、それはあまり良くない、と思えるんです。今、何が起こ
っているのか、という意識がないと、池田さん的な批評だけでは足り
ないと思いますね。魂の問題、を捨象することはないわけですが、
それだけでは届かない面も世の中にはあって、形而上だけで読めない
面もある。そこは限界があったんじゃないですか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています