酒鬼薔薇事件について今一度言い直すと、社会の駆動力とは何かを抜きにし
て論じるのは論じ方として足りない、ということ。で、同世代の共感も、そこ
で為されたとみるのが妥当だと思いますが。在日の問題ではなくね。そこで
の共感、いわば行為自体への、と言い直していいと。で、池田さんなりが
故意に外しているのかもしれないけども、動物や人間の殺傷と侵犯性、近代的
個我の解体の関連というのは、エロティシズムの問題とともにジョルジュ・
バタイユが追究したことでもありますね。つまり「魂の救済」という課題と
は別個に、思想が問題にもしているわけです。それは20世紀の前半の話しで
すね。悪とか殺しの問題について思想が救済のみの課題としていたわけでもな
い。「哀れな彷徨える魂」としてのみ見ていたわけでもないわけです。そうい
う欠落は池田さんに限りはしないですが…バタイユ研究からさえなかったわけ
だから。社会的な関連、また、20世紀思想との関連ですね。〈個の問題とは
限らない〉どころではないわけです。そうみてくると、池田さんの思考の
意外な狭さというのがみえてくるとも思えるんですけどね。