>>244
 その「狭さ」というのがいかなる次元象限における広さ狭さなのか、というの
は訊くだけ野暮というものなのでしょうけど、池田さんはあの事件に対してバタイユ等
近代思想の無力を強く感じたそうです。(曰く、『これは古典的な事件だ。』)
 前にも言いましたが、哲学というのは分析によって水平方向に展開して行く科学
とは逆に、総合によって垂直方向に遡及して行く知性ですから、「思考の狭さ」という
批判もあまり意味はないのではないでしょうか。(問題は思考の『深さ』)

 埴谷雄高という人はそのへんを踏まえ、哲人というものを
「樽の中のヘラクレス」なんて喩えてたりしてます。

>>245
ぼちぼちいきましょう〜

 存在、が概念として完結的なのに対し、現存在は推移的であり、そこのところが
常に推移的な生、と完結的な死、と深く絡んでくるわけですが、池田さんが「生死」
と「有無」を同一にしたのには、ハイデガーの跡を継いで現存在を追っていた
あのカダマー教授も関係してるかもしれませんね。