0247考える名無しさん
2013/10/28(月) 16:32:00.430とは各々別々の概念だからそれぞれにその言葉があるのだろう
あるはある、ないはない、は有無の説明なら分かるが、生死の説明では断じ
てないのではないか?
ハイデガーにおける有とは、〈〜にとって…が有る〉〈〜にとって○○は
△△で有る〉といういわば現前や判断をあらわす。それらは自己が有って
はじめて為される世界の開けなわけですね。有無と生死が連結されるとしたら
そこで、じゃないかと思いますけどね。
バタイユが現代思想で、だから現代のことだけ思想したわけ、ではないです
ね。未開の儀礼そこでの供儀を禁忌と侵犯の例証として思想しています。ただ、
善悪のありかたとして、池田さんが永井均と対話してるのを読むと、人間が
悪を為すのはなぜかといえば、自己にはそれが悪ではないからだ、善だからだ
というとらえかたをしてますね。私はそこは意志や理性による行為に限定し
てるからじゃないか、と思えます。悪だと思わないから為す、はたしかに一理
有るけども、悪だと思っていても、必然や自然によって殺人は為されるし、ま
た、必要性があれば略奪もありうる。何らかの解放があるから衝動的にやって
しまう場合もある。そこで悪だと認識されていたところで絶対的な抑止には
ならないわけです。