0276禰宜
2013/11/05(火) 20:22:14.760>>269であえて、いつ(When)を省いてあることと、>>270の、論理の必然、と、ユニティ、をよくよく
吟味あれ。
それで時間、というものに対する感覚がほどよく退いてきたなら、同じものにぶつかり、異なる道に進んだニーチェと
ハイデガーの「後ろ姿」が見えるはずですが、はたして、その分かれ道をどちらが先に通ったか、にいったいどれほど
の意味があるのでしょうかね?
ニーチェとハイデガーの前後関係をいい加減にしてた非は認めますが、
これはニーチェのギリシャ回帰にも関わってきますし、
小林秀雄という人が「影響」という言葉が「便利すぎる」と疑義を呈していたことに繋がったりもします。
今の場合、気を付けないといけないのは「影響」という言葉の「不自由さ」ですが。
>>275
おお。
それこそは埴谷雄高さんがその大著「死霊」で提示したかった「虚在(虚体)」への
入り口を端的に示すものではないですか。
いかにも、あのレオナルド・ディカプリオ紛する恋人、ジャックという男はもはや、
「実在」はしないが、しかし、「虚在」はしている。
実在、という存在形式に対立する、虚在、という存在形式で、たしかに、『有る』。
恋人の「実体」そのものが、その夢も含めた「虚体」の存在を証している。
「池田さんの提示していた存在問題とのもっとも明白な差異」をもう少し詳述してもらえませんか?
埴谷さんとの親睦の深かった池田さんが虚在、を無視してたとも思えないのですが。