で埴谷さんですが。世界の変革を熱望しながら、実は何一つ変わってはい
なかった。世界を変革する前衛党は、内部にもう一つの階級を作り上げ、官
僚もまたそこにはいる。裏切られた革命であり、自同律を超えることはでき
ない。そこで世界のまた宇宙の彼岸を妄想せざるを得ない。だから虚体という
のは怨みや苦しみや挫折や失望の産物ですよね。池田さんが宇宙論や存在論
という文脈で埴谷思想を語るけども、あれは革命、人間にとって革命は本質
的に可能なのか、という問いかけと一体でしょう。そこが埴谷さんは云わない
けども、本当は全然違う文脈だったんだと思います。出所が池田さんとは
違っていたと思います。
 
 埴谷さんの存在論は出発点は革命の可能性で。革命とは別個に語る場合で
も、〈有る〉を表現してしまう他者=生成、というところには踏み込んでい
ないと思います。だから虚体というのも、〈記憶や夢の-「私」という場所
で-生成した表現〉という意味はないと思いますけどね。世界の宇宙の果て
であり、彼岸という妄想。でもそれが、現存する社会主義にたいする異議
申し立ての根拠でもあったと思います。