〈政治革命、社会革命なんてのは、しょせんは自己愛の裏返しなのだから、
限界なんか最初から決まっている。他に変革を求める以前に、求めている「
自己の方をこそ、各自の力で変革せよ、埴谷氏は唱えてきたのだったが…〉

 と池田さんは書いているわけですが。そういうことを埴谷さんが唱えたこ
とはないし、考えてはいないと思います。埴谷さんが階級の消滅の可能を
担うものとして前衛党を考えていたことは『永久革命者の悲哀』に明らかで
あるし、階級消滅を担うはずの前衛党が新たな階級を製造している歴史に、
「階級は革命ではなくならないよ」と冷たく言い放つ批評家に、それは
残念ながらそうだった、同時に、その歴史の矛盾を重く受け止めている、と
も語っています。「限界なんか最初から決まっている」とは考えてはいなか
ったし、その歴史というものを重たい矛盾として見ていたからこそ、自同律
の不快も生まれたと思います。また、政治革命の失敗の現実から、より
根本的な革命を考えだした。「自己愛の裏返しだから限界なんか最初から
決まっている」は埴谷さんの世界から相当ずれた見方だと思います。もっと
政治に深入りしてるし、だからこそ失望も大きく、そこが初めから政治に
距離をおいている池田さんとは違う。若い世代にはあえて云わなかったんだろ
うと思います。でも、私は池田さんと同じ1960年生まれで、だけど埴谷さん
のそこらへんの思考のプロセスは見えますけどね。