実際空しいんだけど、(笑)何かを否定することで、肯定されるべきものを
浮かばせることもできるかと…思うので。
 「私はどこにいる?」という得意の問いかけを真に受けた中学生に取材して
るTV番組をyoutubeでみて、暗澹たる気になったんですが。何にも没入できな
い、魅惑されない、距離をおきたがる人間なら、「私はどこにいるのだろう」
と分からなくなることがあるかもしれない。何かに没入する、魅惑される、
また、AではなくBを選ぶ自分、何かをひどく好み、何かをひどく嫌悪する自分
。そういう態度について、考えてみれば「私」とは誰か、自然と浮かびあがる
もんだと思います。中学生のほうが、そういうことは多感なぶん、分かるの
ではと思います。池田女史であれば、形而上にひかれ酒ばかり呑んでいる生活
はあきらかに「私」を浮かび上がらせている。かっこつけずに事実をみつめて
みれば難しいことはない。自分について、現象学的に還元したことはないの
か、そうすれば何かをなぜか志向している主体について、知ったであろうに
…。不思議です。