観念が強い割りに、結局コテハン名乗ることもなかったハイデガー読みさんも
去ったようですね。

 ハイデガーの「存在と時間」の「存在」と「時間」が実は弁証関係にはなく、
並列関係であるがゆえにえんえんと連なっていく、すれ違いか、もしくは掛け違いの
論理を形成していくからくりに気付いてくれてるといいんですが。

「発語に即『否』を突きつける禅の沈黙とヘーゲルの饒舌は同じ。」

 はてさて、池田さんのこの言葉に果たしてたどり着けたことやら。


 観念(思い込み)による「否」の無意味を少々晒させ過ぎてしまったことと
埴谷さんの著作を引用とかしたせいで、このスレの敷居もまた少し高く
なってしまった感がありますが、
 まあ、気長に新たな冒険者を待つことにしましょうか。