【てつがくがたり】池田晶子3【犬と夫と冷蔵酒】
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>>416
>彼女の「黙り方」に、まあ、躓いて、それをどうしても越えられない
>もんだから呪詛を発しないでおれない気持ちも、まあ、わからんでもないです。
「マラソンランナー並みの走りこみと酒によって、ニーチェの言う
『デュオニソス的陶酔』を自覚的に起こさなければならなかった彼女」
が、行き着いた「“存在”に対する最終回答」が、これ。
結局、あるものはあるからあるのであり、ないものは、ないからないのだ。
(週刊新潮での連載エッセイ)
悪いがこれなら、小学生でも言える。
また、池田が「謎だ、謎だ」とのたまう「存在の謎」など、
ヘーゲル『大論理学』の“有論”を正しく理解できていれば、
まったく謎でもなんでもない、哲学者中級クラスの問題。
池田はつねに、「有と無」を対比させ論理(笑)を展開させていたが、
池田にはヘーゲル哲学における概念、「完全無」「非有・抽象的有」「仮像」「実在」
といった観念をまったく理解できていないのは、明々白々。
この事実からだけでも、池田はヘーゲルの「ヘ」の字もわかっていないのは、確実。
よって池田哲学(笑)が役立つシチュエーションとは、ただひとつ。
池田自身がそうであったように、素人に対し「哲学を、わかったつもりにしてくれる」
場合のみ。 >禅の沈黙と弁証法の饒舌は実は同じものなんですがね。
>彼女の「黙り方」に、まあ、躓いて、それをどうしても越えられない
>もんだから呪詛を発しないでおれない気持ちも、まあ、わからんでもないです。
この部分も、意味不明。
俺の思考力では、この部分が意味すると思われる事柄は、次の二択のみ。
@池田は禅者であり、悟った内容をあえて語らなかった
A池田は弁証法的思弁者であり、池田の真意は顕わにされず、行間のなかに込めれらている
これのどりらかとしても、池田のスタンスからは逸脱している。
なぜなら池田は、「哲学の巫女(笑)」なのだから。
巫女ならば、元来的に難解なものを、一般人にわかりやすく説明するのが役割だろう。
ならば自分の思考を語らずにいることも、また読者に行間を読ませるというやり方も、
いずれも Medium(仲介者) のすることではない。
この時点で、あなたの論旨は破綻している。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています