その言葉にあるヒュパティアの姿勢は、謙虚にモノゴトを再度見つめよ、考えよ、
というだけでしょ。
当時のキリスト教徒は、キリストの指す先を見ることなく、キリストを賛美するあまり
ただただ尊敬しまくった、その結果がこのヒュパティアの最後。
世間的な言葉での正邪なら、明らか。