>>76
同感です。
>>74さんには埴谷雄高さんの
「『私とは何か?』ではない。『何が私か?』が問題だ。」
という言葉を捧げておきます。

>>75
 自分も一応、池田さんを見習って学府という「野獣の檻内」ではなく、「野」
で生きているのですが、やはり一番大事なのは研ぎぬいた「牙」の剥き時納め時
の見極めでしょうね。
 学府内の「賢人たち」には、これがからきし無い(=タフだがジェントルでない)。

 野で生きてると、己のそれなりの「知」に対して見当違いの憎悪や嫌悪をむき出して
挑んでくる輩は必ずいますし、目をかけた者に刃向かわれることもざらなわけですが、
そこのベクトルをうまくそらし(時にはあい争わせ)、身を隠し、燃え尽きたころを
見計らって手を差し伸べる、というのも「文明」におけるタフさとジェントルさを
兼ね備えた「野人」の処世、というものでしょう。

 そんなものがもはや優しさといえるのか、というとなかなか難しいのですが、それも
優しさ、ということにしておきましょうwでなきゃ、こっちが保ちませんしw(涙)