「私」を真剣に考えるには、死について考えることが避けられないようです。
でも、死について考えるのが怖いので、そのかわりに無について考えているヘタレの俺です。
死について考えることは、哲学修行入門者が躓く関門ですね。
この関門を通過すれば、人間として凄みが出ると思います。