「無知」の哲学 [転載禁止]©2ch.net
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神ならざる存在である以上、すべての人間は無知を逃れることはできない。
無知のもつ功罪や可能性について語りましょう。 無知といっても西洋思想史上、
ignoranceとinnocenceの二つの潮流があるように思いますが、ここでは合わせて考えていきたいと思います ソクラテスの言葉の中でも最も有名なのが無知の知
私は何も知らないが、唯一自分が知らないということだけは知っている
このソクラテスの主張は誤謬を含んではいないでしょうか
何も知らないなら自分が知らないということも知らないはず
弁明を読んでこの部分に違和感を覚えたので、質問を兼ねて議論のたたき台にしたく思います >>4自分が知らないということも知らないはず←は?頭大丈夫ですかー >>5
どこに違和感を感じたのでしょうか
教えて頂ければ幸いです 無知を知らないと言うのは当時のソフィストのことだよね。
ソクラテスは、自分(と世間で威張ってる人たち)は何も知らないが、彼らより「何も知らない」と言うことを知っている点で彼らより少しだけ優れていると考えたんだよね。
ソクラテスが諌めたのは、詭弁によってあらゆる理屈をこねて賢い気になっているソフィストではなかったか?
彼が気づいていたのは、自然の摂理に対する人間の知恵の有限性ではなかったか? 自覚的に無知であることはできないよね。「何事か」を知らないままにしておくには、その「何事か」について知らなければならないわけだから。 レヴィナスなんかが言う「他者」も「無知」の一側面と捉えられる気がするんだがどうだろう?
教えて詳しい人 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています