>>88
でも、それは論理は盲信し過ぎていると思うのですよね。
どれほど論理的には整合性が取れていても実感と一致しない事柄というのがあると思います。

そういった例はおそらく根本的な検証方法を間違っているのでしょうけど、
論理として辻褄が合っているだけに反論することは容易では無いです。

つまり、どんなに実感と合わなくても論理としての辻褄さえ整っていれば
正論として採用されてしまう危うさがあるわけです。
経済学の分野はとくにこの手の「実態なき論理」が横行しているように思います。

そうした似非論理を打ち破る返し技を一生懸命探すのも良いのかも知れませんが、
実際、そうすることが文明的なのか確信も持てませんので、
どのような論理を突き付けられても「反論は出来ないが俺は“そうは感じないんだよ”」
という応じ方も方法論として必要では無いかと私は思います。

すでにこの板で大思想家としての地位を築いている私がこのようなことを申してはいけないのかも知れませんが、
私は哲学をそこまで信じてはいないのです。
疑いを持ったまま生きることはたしかにしんどいことなので確信したことにしたい人は沢山いるのだと思いますが、
私は自分自身に対しても天邪鬼ですのでけして疑うことを捨てないと思います。

逆説的ですが疑うことを捨てない自分だからこそ信じることが出来るのです。

by 鼎 梯仁