>>465
具体的な生きている個人に対して、自分もまた個人として向き合うことによる心のありかた。
恋愛、家族からただの知友までを含む、実体としての個人が、他の実体としての個人とかかわるときの心のありかた。

同性、異性をとわず、実体(身体)としての人間は、男であるか女であるかのどちらかだから、男としてまたは女としての性的な心として向き合うことになる。
個人としての相対は、自分もその相手も、個人として対するので、その程度によらず、個人と個人が対となる心的な関係、対幻想となる。
吉本は、ヘーゲルの家族論(『法の哲学』など)から、対幻想の着想を得ているのは間違いないが、ヘーゲルの家族概念を大きく拡張してもいる。

ちなみに、『法の哲学』には今日でも通用する本質的な家族論が展開されているし、吉本が『共同幻想論』の骨格を得た元ネタでもあるので、時間があったら読んでみて。