>>467
個人というのは、社会的な影響とか常識とかとは無関係に、身体を持った個人という意味。

社会の中での個人というのは、ある目的に即したその個人の側面を自分の中で幻想化(理念化)した存在としてある。
会社の一員であるとか、国家の一員であるとかいう側面を、その賛否によらず自分で理念化して思考し、行動している。

個人と個人が相対する場合には、自分も相手も身体のある個人として、自分自身に現れる。
そこに現れる男、女としての個人の身体性に伴う自分の心が対幻想。

「相補的な、互いが一つに溶け合うような」幻想というのは、ヘーゲルの婚姻の概念がそれに近いと思う。