>>470
難しかったかな。

自分自身に現れるというのは、自分がそういう心になる、と言い換えてもいい。
「自分の内面のみ」の話。

身体性というのは自分自身の身体性であり、相手のこともまた、身体性として受け止めるということ。
これも「自分の内面のみの話」。
具体例としては個人の話であって、他の個人がどういう心を持っているかとは関係がない。

わかりやすい例を挙げれば、職場などでのセクハラがある。
セクハラおやじは、女子社員を女という個人として見てしまうが、女子社員は会社という目的を持った共同性の一員としてしかおやじを見ていないから、不快であり、拒否のしかたに戸惑う。

対幻想であれ、共同幻想であれ、そうした具体的な心性を踏まえたうえでの、人間一般の心の在り方として抽象した概念ということになる。