>>481
> だけど、なに言ってるかわからないw 吉本がドゥルーズにカブレてたころなのかな?

 心の交感する領域というのが対幻想ということでしょう。それも特定のAとBでしか交感され
ない感情。何となく惹かれているあるいは何となく嫌悪感を抱くという場合。そこに対幻想が
介在している。

 たとえば何でいじめが特定の子供から別の子供に対して起こるのか。という場面にでも、
そこには対幻想が介在する。荒れた無意識に荒れた別の無意識が感応する。そこ苛め問題
の重要な契機を吉本は視ていたし、根底的な解決はだから困難であることも指摘していた。
その子供の母子関係から考えなければならないからだ。

 それほど難しいとか思わないがね。自己の実生活での対人関係を内省してみれば
それに類するものはあるんじゃないかと思うが。頭でだけ考えすぎなんだろう。吉本の
場合、自己の実生活での実感が思想構築の重要な契機になっている。いわば自己の
事実性というやつだ。読む方もそこを基点にしながら読むしかない。

 それと吉本はD=Gへは微妙な距離を置いていただろう。『アンチ・オイディプス』へは強烈な
批判を書いており、同席していたイベントで講演していた宇野邦一から壇上に呼ばれ、二人
論争を始めたことはイベント『いま、吉本隆明25時』での出来事として読者には知られている。
またこのときの対論は同名著書(弓立社)に残っている。