>>489
>いじめが対幻想である云々というのは、好きな子をいじめたくなる、程度のことにしか
>あてはまりそうもない。
>大半は、日本的な排除の感性か、ただの強奪であるかのどちらかだ
>いじめは暴力的な要素だけではない。
>むしろ集団からの排除の方が、大きな要素だ。
>排除するかしないかというのは、まさに共同幻想の領域だ。

 その論理ではしかし、AとBとが何故惹き合ってしまうのか苛めによって結びついて
しまうのかという関係性の深淵については説明はできないね。貴方が言っているのは
古来から日本社会にある苛めの一種ではあるが、1980年代以降に学校社会で蔓延しだ
した現象については届いては居ないな。
 吉本の言っている無意識や対幻想における荒れというのは女性の意識が変わって行き、
育児に対し、あるいは男性社会に対し、桎梏と感じるようになった時代性に関係している。
胎児乳児時代の荒れが或いは母子関係に失敗が苛めに関係するというのはそういう意味だ。
お宅のいうことよりも現代における苛めの特質について解決の難しさについて遥かに洞察
している。お宅の言う話は1980年代にいたる前、だといえばまだ分かる。だが現在の問題
には対応できないだろう。根底的な解決にはまた処方箋にはならないということだ。

 相変わらずポイントで読めてないな。「対幻想が苛めに関係するのは好きな子に・・・」の
部分は笑えるが、そこまでどうしようもないことを対幻想とイジメで言っているとは
俺でも思わない。そんなこと誰でも言えるだろうがw