ドイツ哲学総合スレ [無断転載禁止]©2ch.net
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『アンチクリスト』は1888年、ニーチェが44歳の時に書き、1895年に出版された。
1888年はニーチェにとって執筆可能な最後の年となった。 『アンチクリスト』の締め “すべての価値を転換せよ!” 「Gewalt」を独和辞典で引いてみてよ。
ドイツ語で政治の話をしながら「Gewalt」っていう場合、「権力、支配、強行」みたいな
ニュアンスのほうが強いから。
マルクスの該当箇所も、ただ暴力ふるえばいい、って意味じゃないよ >>121
全集の村田訳も「暴力的に」だし、
半数以上の訳で「暴力的に」と読まれてきた事実があるということ。
“この大陸の大多数の国々では、暴力がわれわれの革命のてことならざるをえないことをも、認めなければならない。
労働の支配をうちたてるためには、一時的に暴力にうったえるほかはないのである”
― 『ハーグ大会についての演説』(1872年)(マルクス=エンゲルス全集18) すみません
こちら映画作品板にそちらの板にお住まいらしき方が徘徊されておられるようです。
そちらのご親族の方、おられましたらお引き取り頂きます様ご一報下さい。
【片渕須直】この世界の片隅に 19【こうの史代】
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1484394045/l50
この方です。
>149 : 名無シネマ@上映中 (ワッチョイ b66d-2ZTW)2017/01/15(日) 13:43:17.43 ID:UNNkqo200
>まさかドイツのフランクフルト学派のアドルノやホルクハイマーやハーバマスも知らないで戦争を扱った映画を論じるんじゃないだろうな?
>21世紀の哲学・社会思想の最低ラインの「反ヒューマニズム」の流れも知らないで論じてるのか?
>だったらそんな人間にこの作品を肯定するにせよ否定するにせよ評価する資格は一切ないわ ドイツ啓蒙と非ヨーロッパ世界: クニッゲ、レッシング、ヘルダー
笠原 賢介 (著)
出版社: 未来社 (2017/2/3)
ISBN-13: 978-4624011956
18世紀ドイツの著作家たちが、非ヨーロッパ世界との接触を通して、
それをどのように省察し、作品化し、どのような視点を提示したのか、その背景を探ることが本書の主題である。
ここではとりわけレッシングやカント、ヘルダー、クニッゲを中心に論じられるが、
科学技術や技術的合理性を手放しで礼賛した楽天的な思想潮流とみなされがちな〈啓蒙〉思想を誤った解釈から救抜し、
1960年代以降の思想史的見直しの成果を踏まえ、アドルノやハーバーマスらの新しい解釈を組み込みながら、
現代ヨーロッパの原点としての〈啓蒙〉を新たな視点から考察しようとする試みの書である。 となりのカントくん:4コママンガでカント哲学
貫 成人 (著), 長澤 真緒理
出版社: 河出書房新社 (2017/1/17) 女は髭 長髪を選べよ。存在と無 サルトル
なんていらない。
やはり主席は文学で
嘔吐 日本語訳 白水社 のほうが。 よく知り合いとその友達などに
僕はどんな哲学者を読んだらいいのか
僕はどんなふうに生きたらいいのか
どんな科学を学んだらいいのか
とたくさんの人に聴かれることがあるのですが
思うに
人はすべて自分自身だけでしか答えを発見することができないんです。
答えは
規定、決定、外面ではなく
特に若い人は可能性と試す態度と心と守って
生きてほしいのです。
動きの取れなくならないように
吟味したり
訂正したり
偶然ではなく
あらゆる試みられたものの維持と構築されたものの重みを感じててほしいなぁ😃 >>131
偶然による原理は思考や技術では操ったり理解できるものじゃない、
故に人類の道具とされないだけで、主体なる意思が生み出す思考でも技術
でもない非主体から生み出される偶然は主体からは理解や制御が可能である、
貴方は常に自分という主体と他者、他界という関係でしか物事を考えないから
考えが浅くなる、
他者や他者や環境や自分をすべて見る遠いところから見る非自分世界からの
視点から自分とその環境を見る方法を学びたまえ。 カント。プラトン美より。セネカより。東京の芝芝浦晴海お台場あたりの
無頼派アルコール
が客観美。 夜景消灯込国家論。夜景もグラデーションで星が満点の星空なら素敵。 文学上のパラノイアルンピック 国際的なオリエンタルピック
までに仕上げましょう。 医学は 転移 医者才能を盗む 騙されホーリー 魔術師に半殺し
手抜きされ、の分野。未来はそうはない。
フロイトの論文と自然科学の言語・文化的アーカイヴが大事
自然精神神経医学。
ドイツ表象 フランス、華僑、各国食生活の歴史
異次元天体科学工学 エイジアン体育保健学
医学看護学からとらえる。 >>115, 140
村岡晋一、吉田達訳『ヘーゲル初期論文集成 全新訳』が作品社から出るらしいですね、楽しみです
もっとも「ドイツ観念論の最古の体系プログラム」は寄川条路編訳『初期ヘーゲル哲学の軌跡』で読んでしまいましたが 高峯一愚は優れたカント研究者だな。
著作の文章のどれもこれも重要な感じで
どこかを切り取って引用しようと思っても無理な感じだな。今の所。 啓蒙と神話: アドルノにおける人間性の形象
藤井 俊之 (著)
出版社: 航思社 (2017/4/12)
1979年生まれ。 北守
あとシュミットがせせこましい振る舞いをした理由の半分くらいは貧乏のせいなので、身につまされるところはある。
彼はケルン行ってから戦争が終わるまでの間以外はつねに金がなかったので。
2017年5月2日
Θ als TheaThea
一口に書き込みと言ってもいろいろなレベルがあり、カントの書き込みとかはほとんど耳なし芳一感がある。
http://pbs.twimg.com/media/C-quCnlUwAA0rwZ.jpg
中に入ってもこんな調子。まずもってアルファベットの切れ目がわからない。
(ちなみにこれはバウムガルテンの『形而上学』の英訳に入っている)
http://pbs.twimg.com/media/C-qxsxCU0AEaixm.jpg
2017年4月30日 ダーザイン(ビジュアルバンド)が復活しててわろた。 個人の狂気は稀だが―集団、党派、民族、時代は常に狂っている。(byニーチェ)
Der Irrsinn ist bei Einzelnen etwas Seltenes - aber bei Gruppen, Parteien, Völkern, Zeiten die Regel. 『エリーザベト・ニーチェ 〜 ニーチェをナチに売り渡した女』 (1994)
ベン・マッキンタイアー
“ムッソリーニと違い、ヒトラーは最初から最後まで、
ほぼ間違いなくニーチェの著作を一語たりとも読んだことはなかった。”(第八章)
ニーチェの妹エリーザベトが、兄の著作を改竄し、
ナチスの思想的バックボーンとなる「ニーチェ神話」を作り上げたという。
ニーチェの胸像を見つめるヒトラー
http://inri.client.jp/hexagon/img/nietzsche_hitler_b.jpg
「ニーチェ資料館」でヒトラー(左)を迎えるエリーザベト・ニーチェ(中央)
http://inri.client.jp/hexagon/img/Elisabeth_Nietzsche_hitler.jpg
エリーザベト・ニーチェ
http://www.tagesspiegel.de/images/tagesspiegel/14912364/1-format530.jpg 湯山光俊 『はじめて読むニーチェ (新書y)』 (2005)
>>151の影響だろうか、
年代記としてニーチェの人生を紹介する中で、エリーザベトの動向も追っている。 ニーチェ体験をめぐって (三島由紀夫×手塚富雄)
三島「戦争中、ヘルダーリンに夢中になっていて、ニーチェを読みはじめたのもその前後
のころと思いますけどね、非常に好きでした。今度、手塚さんの新訳を拝見して、
実に分かりやすくて初めて『ツァラトゥストラ』を読むような感じがするんです。
前に読んだのは、なんだかお経みたいな……。」
手塚「生田長江さんの訳でしょうか。」
三島「いいえ、登張竹風さんの『如是説法ツァラトゥストラー』です。」
手塚「登張さんの訳は、最初は『ツァラトゥストラ』を『光炎菩薩大獅子孔経』として
いました。それは二度目の訳でしょうね。われわれのときは、一時代前で
生田長江訳です。」
― 中央公論社 『世界の名著 第46巻 ニーチェ』 付録1 登張竹風訳のニーチェ『ツァラトゥストラ』
『如是経:一名・光炎菩薩大師子吼経』 星文館書店 1921年(大正10)
(国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969736)
“如是経(にょぜきょう)の原名は
アルゾー・シュプラーハ・ツァーラトゥーストラ(如是説法ツァーラトゥーストラ)であります。
ツァーラトゥーストラはペルシャの聖人ツォーロアステルの異名でありまして、
光明暗黒の二元を道徳上の善悪二面に対立に進展せしめ、道義的浄化法として、
火を礼拝した所謂拝火教の開祖であります。
此の聖人の生時は遠く西暦紀元八世紀という古昔ださうですから、
印度の釈迦牟尼仏の出世よりも二世紀早い訳になります。” 【ドイツ哲学の2大巨塔】
@純粋理性批判
A精神現象学 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ ヘーゲル『大論理学(Wissenschaft der Logik)』なら
『論理の学 1〜3』山口祐弘訳、作品社(2012)
がおすすめ。
読みやすくて一気に読める。 ハイデガーやレーニンにも大きな影響を与えたこの本の存在論では、
仏教の「無 Nichts」と「空 Leere」についても触れられている。 “われわれは、存在者ならばいつでも容易になんらかの領域から自分の前に差し出し、表象することができます。[略]
では、哲学の対象はどうでしょうか。
「存在」といったものを表象することは可能でしょうか。
そんなことをしようとすれば、眩暈(めまい)に襲われるのではないでしょうか。[略]
たしかに、存在者であれば、それはなにかあるものであり、
机であったり椅子であったり、樹木、天、物体、言葉、行為であったりします。
たしかに、こうした存在者なら思い浮かべることができますが、
しかし存在を思い浮かべるなんてことができるでしょうか。
というのも、存在などというものは無のように思われるからであり、
しかもほかならぬヘーゲルが「存在と無は同一である」などと言っているからです。
となれば、存在についての学である哲学は、無についての学だということになります。”
― ハイデガー 『現象学の根本問題』 木田訳 (2010) ヘーゲルの存在論をやっておかないと、
ハイデガーなんて何の話をしているのかも分からないだろう。 >>160
『ヘーゲル 論理の学(1) 存在論』
『ヘーゲル 論理の学(2) 本質論』
『ヘーゲル 論理の学(3) 概念論』 >>167
その存在論て、ハイデガー風にいえば存在者論だろ?
ヘーゲルは、具体的なもの(こと)しか対象にしなかったんじゃない?
具体を抽象化したものが、ヘーゲルの「存在」じゃないの? Es ist die reine Unbestimmtheit und Leere.
それ(存在)は純粋な無規定性であり空である。 ハイデガーやヘーゲルの存在論をやってようやく入口。 >>169
原文は知らないけど、『小論理学』の84に存在(有)の定義が書いてある。
有(Sein)は即自的にすぎぬ概念である。その諸規定は有的であって、それらが区別されている場合には互に他のものであり、
それらの本性のより進んだあらわれ(弁証的形式)は他のものへの移行である。
(松村訳)
有とは単に自体的なる概念であり、この概念の諸規定は存在的〔有るという述語をもつ〕諸規定であり、これら諸規定相互の区別においてはこれらは互いが互いに対して他者であり、
これらをさらに進んで規定すること(弁証法的なものの形式)は他者への移行をなすことである。」
(川原訳)
空であるという考えではないと思うが? >>173
知ってるけど、大論理学より、小論理学の方がきちんと考えがまとめられてる。
ヘーゲルの基本は、エンチクロペディだろ? >>174
大論理学は読んだ?
レーニンはやった?
>>162の
> ヘーゲルが「存在と無は同一である」などと言っている
はどの箇所のことを指す?
ハイデガーやヘーゲルの存在論の先には何がある? >>175
僕の考え方はもう書いているんだから、僕に質問する前に、僕の質問に答えてねw
君は、大論理学とエンチクロペディの関係をどう思う? ハイデガーの哲学は「存在の哲学」でありながら、同時にそれを支える「無の哲学」でもあった。
ヘーゲルは『論理の学』において、
「存在」と「無」は同じであり、これらが同一性と差異性を孕みながら合わさる運動を「生成」と呼んだ。
これはどの様なことを言っているのか?
シェリングやベーメのUngrund(無底、無根底)を参照してみるといい。 “神とは(…)あらゆる根底に先立って、あらゆる現実在するものに先立って、
したがってそもそもあらゆる二元性に先立って、自らの本質である「根源実在」なのである。
シェリングはそれを「現根底(Urgrund)あるいはむしろ無根底(Ungrund)」と名付けている。
すなわち、それに関してはいかなる差異も、また有[存在]の組目も、
もともと適当な述語として述べられることのできない「絶対的無差別」のことである。”
― ハイデガー全集42『シェリング『人間的自由の本質について』』 このシェリングに影響を与えているのがヤーコプ・ベーメ。
ベーメは「神は無であり一切である」という。
神自身をも発現させる、神の最奥にまで遡源すると、
そこでは、いかなるものでもないことによって、一切を生成させる
「無即有」、「有即無」の根源的事態につきあたる。 その先は、
↓
神の収縮(ツィムツム)
↓
古代存在論 Hildegard von Bingen - Viridissima
https://www.youtube.com/watch?v=icNd55pMCwE
(Jocelyn Montgomery with David Lynch)
Hildegard von Bingen (1098-1179) was a German abbess, author, counselor,
linguist, naturalist, scientist, philosopher, physician, herbalist, poet,
channeller, visionary and composer. 『ビンゲンのヒルデガルトの世界』(1994)
種村季弘 マルティン・ハイデガー5 [無断転載禁止]©2ch.net
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/213
最小限の時間でハイデガーを始められる3冊
・ハイデガー『存在と時間』細谷訳
・ハイデガー『現象学の根本問題』木田訳
・木田元『ハイデガー「存在と時間」の構築』 (※ケーレと上記2冊の解説を含む) ハイデガー読本
(秋富克哉, 安部浩, 古荘真敬, 森一郎:法政大学出版局)
『ハイデガー読本』(2014)
・ハイデガーの主要な概念や思索を個々の論文で追ったもの
・巻末に全集全巻のサマリーあり
『続・ハイデガー読本』(2016)
・古代ギリシャからポスト構造主義〜プラグマティズムまで
・ハイデガーが読んだ哲学者や、ハイデガーを読んだ哲学者など、哲学史を通して描かれるハイデガー ケルト神話とかライン文明とか 言語 文化研究に役に立つよな。
音楽はアーカイブ品で十分。アーキビ―イング アート。 juria hiphop ragge なら買うけど。親鸞だもんな。 > 「黒ノート」をめぐるP.トラヴニー特別寄稿も収録する、充実・必携の入門書。 >>192
ありがとう。
もっと安ければ買うんだけどね。
入門書というか、寄せ集めなんだから1000円ぐらいが妥当じゃないのかな? 小林卓也
カール・ヤスパース『シェリング』(行人社)。訳者解題を入れて487頁の大著。以下少し余滴。
人間的認識の範囲内に留まる(消極哲学)カントの超越論哲学に抗し、
無限者から有限者への発生(Genese)を思考するシェリングの積極哲学。『差異と反復』がこれを踏襲しているのがよく分かる。
ただし、『差異と反復』のドゥルーズは、シェリングのように理念の客観的生成を捉えるべく、論理から自然へと移行するのではなく、
感性・構想力・思考の協働の解体(能力論)諸能力の協働から切り離された
単一能力による固有の理念的対象の把握(超越的行使)といった、カント哲学の鋳直しを選択する。
Ayumu OKUBO
ドゥルーズがシェリングの理論構成を反復してるとしたら、
シェリングとヘーゲルの緊張関係はドゥルーズにおいてどのように処理されているのかが問われることになるはずだが、
これがいまいちよくわからない。初期から一貫して反ヘーゲルを唱えられているが、果たしてヘーゲル批判として適切かどうか。
2017年10月25日 哲学ガチ勢に話が聞けた。やはり楽しいな、ガチ勢は。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10182421105
質問者 tonkontonkorolinさん
.2017/11/2714:12:57
.
科学者・物理学者に「その根幹である物質の実体、物自体がある」なんて言ったら笑われますよ(笑)?
物自体って、いったい何だ、ただの物(物質)じゃないか?と。
見解の不一致ではなくあなたが間違っているのです。
確かに霊魂とか他者ならば、現象と物自体というふうに二分法で考えることもある程度やむを得ないかもしれませんが、
物体(物質)に関しては同じことは言えません。
カントのいう物自体にはいろいろな意味があります。
日本でも「物の怪」「物語」「物に憑りつかれる」と言った場合の「物」は霊魂のことです。
ハイデガーの「カントの物論」ではドイツ語のDing an Sichには10通りくらいの意味があると言っているし、
アディッケスの「カントと物自体」でもカントのいう物自体の物とは単なる物体(物質)ではないと言っています。
読んだことがありますか?
あなたは「根拠はカントの文献にはありませんね」と言いますが、あります(笑)! カント哲学の間違い。
@先天的総合判断は不可能!
カントは三角形の内角の和は2直角の例を挙げて
三角形の概念には内角の和が2直角が含まれていないから先天的総合判断と言ったけど、
分析判断。
Aカントは形式と内容、概念と実在、現象と物自体というふうに分けたけど両者は分けられない。
Bカントはヒュームの原因・結果の懐疑論を解決したようなことを言ったが解決していない。
ただ原因・結果を先天的なカテゴリーによるものと言って誤魔化したにすぎない。
そもそも先天的(ア・プリオリ)などというものは存在しない。
Cカントは「コペルニクス的転回」で経験的認識と超越論的認識に認識を分けたけど両者は分けられない。
Dカントの二律背反論の第1と第2の二律背反の論証は詭弁、誤魔化し!
E感性と悟性はまったく異質なのにそれを統覚(自我)が存在し両者を統一すると言ったけど、それも誤魔化し。
統覚(自我)が存在する根拠はない。
間違いがいっぱい! >>196
>@先天的総合判断は不可能!
「平面上の全ての地図は4色で塗り分け可能」も分析判断かいwwwww >>198
それは、「塗り分け」の定義しだいじゃないか? シェリング「超越論的観念論の体系」あくしてくれー小田部さん! >「平面上の全ての地図は4色で塗り分け可能」
これは誤りだろ。地図は、飛び地でも同一色で塗られていたら同一の属性の場所
と見なされるから、異なる属性の場所に同一色が使われると、地図としての機能
を果たさない。 とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
HUX0T マルクス・ガブリエル 『なぜ世界は存在しないのか』 (2018/1/13) ドイツの小学生が「デモの手順」を学ぶ理由
まず役所、次に地元紙、それでもダメなら?
高松 平藏 : ドイツ在住ジャーナリスト
政治に限らず、ドイツの教育はとにかく「喋る」ことに小学校から重点をおく。
発言の有無が成績にもつながるため、堂々と意見を表明することが「ごく普通」に身に付いている。
喋る中身は玉石混交だが、何でも発言できること、そしてそれが排除されないことが徹底されている。
デモクラシーの基本は他者との自由な議論だが、その土壌が小学校から作られる。
また、小学校で「抗議から社会運動までの手順」を学ぶ機会もある。
たとえばマンホールから異臭がするという問題があれば、
「まず市役所に言う。それで解決しない場合は地元紙の『読者の手紙』へ投稿する。
それでもだめなら、社会運動を行う」といった内容だ。
子供向けチャンネルのテレビ番組でも、町の公園に問題があると、
子供たちが市長や行政の担当部署に掛け合うというようなことをドキュメンタリー番組で放送している。
番組では最終的に改善される場合も、できない場合も紹介される 知っている人がいたら教えてほしいんだけど
フッサールの現象学でリンゴの例での説明があるでしょう
これ思索してるってことはわかるんだけども
感心するような話なんですか
知覚から見るってだけではないですかね
それとも提案された時は新しい考え方だったのかな 竹田さんので
「なつかしさ」を現象学するというのを読みました
でもこれはなつかしさってどんな感じ、
っていうテーマの話し合いが充実するってことで
哲学出てこなくてもいいんじゃないですか
幸せって何だろう、とか全部そうですよね
で、この作業に真理とか本質という説明が
必要とは思えないんですが >>206
リンゴの例に限らず、フッサールというのは、中途半端な心理分析に過ぎないんじゃないだろうか?
哲学の心理学的還元(w)は、フォイエルバッハで終わってるのに。 >>208
ありがとうございます
たしかに心理的な方法ですよね
発想としてはプラグマティズム的な感じもあると思うけど、
そこで「対象に関するすべての判断や理論を禁止する」
とか言い出すのがナイーブに感じるのです
思索はいいんですけど「リンゴのこれこれは疑えない」
とかよくいえるなあと 心理分析というとハイテンションだから掲示板の類では失点あるね。 処刑ライダーさんとTHEグルさんを探しておりますの。👰
日本で、私の奥義が理解出きる人達だから おまえが人間かどうかなんて知らんが、無理やり山で会わされて、人生損したわ。
まだ仮説の段階だが、おまえ人間としてみんなに顔向けできるか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています