“われわれは、存在者ならばいつでも容易になんらかの領域から自分の前に差し出し、表象することができます。[略]

 では、哲学の対象はどうでしょうか。
 「存在」といったものを表象することは可能でしょうか。
 そんなことをしようとすれば、眩暈(めまい)に襲われるのではないでしょうか。[略]

 たしかに、存在者であれば、それはなにかあるものであり、
 机であったり椅子であったり、樹木、天、物体、言葉、行為であったりします。
 たしかに、こうした存在者なら思い浮かべることができますが、
 しかし存在を思い浮かべるなんてことができるでしょうか。

 というのも、存在などというものは無のように思われるからであり、
 しかもほかならぬヘーゲルが「存在と無は同一である」などと言っているからです。

 となれば、存在についての学である哲学は、無についての学だということになります。”

― ハイデガー 『現象学の根本問題』 木田訳 (2010)