ドイツ哲学総合スレ [無断転載禁止]©2ch.net
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>>311
「週刊読書人ウェブ」
《特集》マルクス・ガブリエルの来日インタビュー/入門マルクス・ガブリエル
第1回 (1)「無世界観」と「新しい実在論」/(2)ポストモダンの原罪/形而上学批判
https://dokushojin.com/article.html?i=3592
第2回 (3)「近代」についての再評価/(4)精神の哲学と二つの基本思想
https://dokushojin.com/article.html?i=3592&p=3
第3回 (5)西田幾多郎とマルクス・ガブリエル/(6)シェリングの思想とマルクス・ガブリエルの哲学
https://dokushojin.com/article.html?i=3592&p=4
第4回 マルクス・ガブリエルを読むために 解説=浅沼 光樹
https://dokushojin.com/article.html?i=3592&p=5 『新・カント読本』 牧野英二 編、法政大学出版局 (2018/2/20)
・メイヤスーとカント
・トランプ・イスラム国とカント
・中国・韓国とカント
・グローバル化時代のカント
ほか >>311
そうだわ!!
ガブリエルvs美魔女
私が勝てば、世界で有名になり
財産も豊富になるわね🎵
誰かセッテイングしてくださらないかしら
⭐。🎵😊 学問の網羅性において、ライプニッツに勝る者は居らぬだろうな。
ガブリエルもライプニッツに比べれば矮小だわな。 モナドの失敗談なんてたかが知れてる。ほとんど物質犯罪者だよ。
押しつけがましい文明論。 つまんないから学術とかいうやつは書き込まなくていいよ 掲示板的メモや紙片日記の更なる類です。書き込んではいない。 >>321
屁理屈ではない哲学というのは見たことがないんだが・・・ 資本主義は、「ショウ=見世物」にすぎない(2018/07/15 8:00)
天才哲学者ガブリエルが考える世界の構造
https://toyokeizai.net/articles/-/228778
欲望の資本主義2018 闇の力が目覚める時
https://www.youtube.com/watch?v=o_QrojcbL6A
マルクス・ガブリエル×トマス・セドラチェク(チェコ、経済学者)ほか >>325
ガブリエルはまさに屁理屈そのもので哲学を分解しようとしてる。
言い換えれば、自分で勝手の言葉の定義を決めて、自分の定義と他の定義を混同させることで〈哲学〉を成立させてる。
〈天才哲学者〉として売り込もうとするのはみっともないとは思うけど、ハイデガーの〈20世紀最大の哲学者〉という宣伝文句が元祖かな?
いかにも資本主義的な売り込み方だw 資本主義に対抗するには資本主義の論理に従った上で食い破る必要があるでしょうよ 「アウラ」とは何か?
ベンヤミンが「アウラ」という表現をどのように用いたかを尋ねているわけではない。
「アウラ」を定義することができなければ、「アウラ」について語る意味はないのか?
それでも人は「アウラ」を感じるのではないか? >>329
定義なしにそんなものを語っても意味はないよ。
感じるということ自体が自己暗示に過ぎない、心理学上の問題。 >>331
そういうのを言葉遊びというんだよw
なんの意味もない。 >>333
それを書いて何の意味があると思うの?
論破されて悔しいから、口真似して逃げてるの?w >>328
「資本主義的な売り込み方」をせざるを得ないことを擁護してるだけだよ。
レトリックに走っているつもりはない。 >>335
なぜデタラメの賛辞で売り込む必要があると?
ものすごくバカげた〈哲学者〉なのに。 永遠に帰ってくるのは、差異、差異化されたもの、度をこえたもの(傲慢ーヘラクレイトスの徒の試金石とニーチェがいったのは、ヘラクレイトスがまだ、神の領域への侵犯を非難していたから。)
ヘラクレイトスを超えよう。超人(=度をこえたもの)、度とは差異のあるレヴェルであり
我々も、その個性に応じてあるレベルにある。だから、低いレヴェル、高いレヴェル(こういう言葉は不適切であるけど)、どのレヴェルであれ、自己の最大限の力を出す=自己を肯定する=・・自己は変化する。
・・ 自己の強度が変わる=超人である。自分を最低だと思っている人(否定してる人・・自己を肯定してみればいい。)
そうすれば、まず自己自身に戻り「怠けものなら、怠け者として、全力で怠けるなら・・」、また「変態的な趣味なら、それを受け入れる。どの度(段階)あれ、自己を否定しなければ、全力で肯定するならば」・・・
そうすれば現在の強度が、変化する地盤に立つ、それどころか、その決意自身、変化の瞬間なのだ。ツァラトゥストラが・・超人に。
なぜなら、ツァラトゥストラは今だ超人でないから。 肯定の結果の否定がある・。ある事件・例えば「コンクリート詰め殺人」というのが実際にあった。少年たちに残虐に殺された女の子・・その親がじかに犯人を殺しにいく(実際にそのような行為はしなかったが、仮にしたとするならば」といったことを考えるに・・
そのような行為、社会は否定するだろうが・・肯定から帰結する否定と考えて良い。というか、この場合否定は社会通念上の観念でしかない。このような場合、恐らく「直に反撃(復讐)、少年たちを殺す・・」
そのような人がいたとしたら、それは、不可抗力(存在の根底からでる
全力の怒り(否定)」と思う。この場合、法は「復讐」を代理するのだが(裁判で)、「怒り」にとっては、邪魔でしかない。・・
分かりにくいが、「尋常ならざる残酷な殺人」に「殺人」を、つまり「復讐」を成すことは「肯定から帰結する否定」に相当する。 肯定は、肯定しかしない。しかし表面上「否定的」なこともする。
それは、我々が、表象に囚われてる場合に限って、そのような
認識をする。
永遠に帰ってくるもの、差異化されたもの、故に差異に反対し、表象
に縛られるものは、排除される。「ある種の不幸な、苦悩の障害者の特権」みたいなものがあるように思う。おのれ全体が、問われているため。
それは、自己に対する運命への呪い、自己の否定、「なぜ」という問いをする場合だ、そういうものたちは、ただの疑問ではなく、「存在論的問い」に入り、いくつもの「問い」「ペアンス」に人より早く入り込むが故に、自己の肯定に早くたどりつくという事態。
これは、内在的思考、ほぼ不可抗力な思考(思考せよと追い立てられる)故に、肯定的思考のそばまで来ている。もう「表象」「法」「同情」はいらない・・俺は俺なんだ・・・。という事態。
この表象、法、一般論を退ける力。
永劫回帰の「選別」は、肯定するものだけ回帰させる。表象的思考を
「効果」ではなく、本物の思考と言うものをしりぞける。
表象で思考する限り、自己は何も変化しないからだ。 ニーチェの言う
高貴とは、変身の能力そのものであり、奴隷とは、いわずもがな・・
表象を本気で受け取るもの、または、そのような事態で思考するものである。
高貴なものは、どこへいこうが高貴であり、奴隷は、社長になろうが
金持ちになろうが思考の様式が同じなら依然として奴隷である。
高貴とは自分の力と切り離されていないもの。
奴隷とは自分の力と切り離されているものである、
例、オウム真理教の高橋被告が、何を思っているかは知れない。
ただ、法に従属せず、麻原の考えを信仰している点、
彼を短絡的に「悪」と裁くのはどうだろうか。まあ裁くのは
いいとしても、なぜ、彼が、そうも「かたくな」なのかが重要だ。
法は人々のなし得ることから切り離す装置だから、。
俺は、だれだったか・オウムの幹部が「ユダヤにやられた」と言っているいう動画をみた。いつだったか。
俺はてっきり、霞ヶ関(官僚)たちか、もっと怖い公安を、やっつけようとオウムが考えていたのかなと・・・もっとデカイ敵と対峙していたのだろうか?
一番の怒りは、マスゴミが、オウムの目的を探らないことだ。
まあマスゴミは、まいどそうだが。 間違った・・「高貴とは自分の力と切り離されていないもの。
奴隷とは自分の力と切り離されているものである」
削除。
まあ、奴隷の方法が「自分のなし得ることから切り離す」
引用させてもらう。
{「メェメェ子羊(弱いもの=恨み)の三段論法。
「鷹は悪い、ところで私(子羊)はお前の正反対である。故に私は良い。」
鷹(強いもの、すぐれたもの=日本)は悪い(鷹はすべて悪い、悪いのは鷹である。)。ところで私(韓国)は鷹の正反対である。故に私は良い。
どこに誤謬があるか、小前提(私は鷹の正反対・・)では、鷹はそのまま「即」力として、つまり鷹=力(行為)ととらえている。
しかし大前提(鷹は悪い)では、鷹は存在と力が分離されている。(と仮定されている)。つまり鷹を悪くする論理仕込まれている。
鷹は、力を発現させたり、させなかったりできることになっている
なので鷹は力を発現したら悪い、なぜなら力を発現させないこともできるから。
誤謬推理の根拠は力を分離できるという虚構、「自身のなし得ることから切り離された力」という虚構である」}
韓国は、日本が「その気に」になったらぶちこわせるのだが、
法が邪魔をしていると言ったら言い過ぎだろうか。 >>344
国家も宗教も特定の理念を絶対者とする共同体。
共同体の構成員として重なる以上、二重権力に甘んじるか、相手を解体するしかない。
オウムは後者を選んだだけのこと。
あとは戦術の問題にすぎない。 オウムの報道なんて散々やってきたよ、政治に不満を漏らすのと同じでお前が関心を持って見てないだけだ ドイツ観念論移行だよ。ドイツ民族の登場は。割あい古株じゃないわけ。 毒にも薬にもならない御託を並べるしょーもないカスばかりだが、お前の安定して馬鹿にはほっこりさせられるよ >>354
とびぬけたカスにほっこりされてもうれしくないだろう。 >>355
君のようなさっさと死んだほうが良い破滅的なアホたれに言われてもちっとも悔しくないだろう 学術は愛される馬鹿なんかじゃない、迷惑なだけの単なる馬鹿だ エンゲルスは来たるべき政治的決戦を前に、
ドイツの革命勢力にどのような忠告をしたか、、、
“われわれ「革命家」「転覆者」は、非合法手段を用いるときより、
合法手段を用いるときのほうが威勢よくさかえる。
先走って事を起こしてはならない。支配者に「合法性」を破らせよ。
支配者は弾圧法をつくり、やがてあらゆるルールをやぶって無法な攻撃に出てくる。
そのときには、支配者が人民との契約を破棄したことになり、
人民が武力反撃に出るのを誰も非難することができなくなる。”
ここでエンゲルスは、1600年前の「転覆党」原始キリスト教団を振り返る、、、
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-01-26/2012012609_01_0.html
不破哲三「古典教室」第11回講義/第4課 革命論(2)
エンゲルス「マルクス『フランスにおける階級闘争』1895年版への序文」について
不破哲三 著、新日本出版社
『古典教室 第1巻』 (2013)
・第1課マルクス『賃金、価格および利潤』、第2課マルクス『経済学批判・序言』
『古典教室 第2巻』 (2013)
・第3課エンゲルス『空想から科学へ』
『古典教室 第3巻』 (2013) ※
・第4課エンゲルス『フランスにおける階級闘争』(マルクス)への「序文」、第5課マルクス、エンゲルス以後の理論史
『「古典教室」全3巻を語る』 (2014) >>359の序文は、マルクスの死後1895年に付与されたエンゲルスの絶筆。
普通選挙の時代となり、バリケード戦が過去のものになったともされている。
“普通選挙権がこのように有効に利用されるとともに、
プロレタリアートのまったくあたらしい闘争方法がもちいられはじめ、〈略〉
あの旧式な暴動、すなわち一八四八年まではいたるところで最後的な勝敗の決をあたえた
バリケードによる市街戦は、おそろしく時代おくれとなっていったのである。”
― エンゲルス 「マルクス『フランスにおける階級闘争』1895年版への序文」
・マルクス 『フランスにおける階級闘争』 中原稔生訳、国民文庫24 (1960) p18
・『マルクス=エンゲルス選集 第4冊』 プログレス出版所 (1969) p120 より引用
・『マルクス=エンゲルス全集 第22巻』 大月書店 (1978) p515 欧米の天才は次世代の教科書になる知識を開拓し
日本の天才は次世代の教科書を暗記する
この壁を超えてる日本人ておるの?
(´・ω・`)この差ってどうしたら埋めれるのかな? ・言語文化よりも映像文化に強みが偏っている
・語学の壁(日本語と共通点が多い言語はまれ、ネイティブアメリカン系などに限られる)
・個性を重視しない(←クラシック音楽でもこれはネック)
・思考させる教育をしない
・意見をもち発言する人間を疎んじる
・論理を軽んじる(論理的な文章が書けないと哲学にならない)
・以上の伝統が長いため、教育者自身にも開拓者を育てる力がない
こんなところだろうとは思いつく
しかし全部変えたら日本社会はかなり別物になっちゃうな なるほど…。
思考、個性、言語、論理
この辺が開拓の必要素なのに、これらのすべてを否定する文化と風潮だからか…
言われてみれば、民族的に開拓キャラではないね
(´・ω・`) 『nyx(ニュクス)第5号』(2018/9/20)
特集1 聖なるもの (主幹 江川純一・佐々木雄大)
特集2 革命 (主幹 斎藤幸平)
小特集 マルクス・ガブリエル
対談 千葉雅也×マルクス・ガブリエル 『現代思想 2018年10月臨時増刊号 総特集◎マルクス・ガブリエル ―新しい実在論―』(2018/9/19)
■インタビュー
M・ガブリエル/A・シュタインバウアー(聞き手) / 『なぜ世界は存在しないのか』入門(竹中真也訳)
M・ガブリエル/G・ハーマン(聞き手) / 『意味の場』刊行記念インタビュー(飯盛元章訳)
■テクスト
M・ガブリエル / 意味、存在、超限(岡崎 龍訳)
■ダイアローグ
野村泰紀×M・ガブリエル / 宇宙×世界
■討議
大河内泰樹+斎藤幸平+宮ア裕助 / 多元化する世界の狭間で――マルクス・ガブリエルの哲学を検証する
■批判的応答
A・F・コッホ / 中立的実在論か、解釈学的実在論か(三重野清顕 訳)
J・ブノワ / 実在の領野と意義の地平(伊藤潤一郎 訳)
L・モレル / 形而上学におけるリベラリズムの良き使用について(吉松 覚 訳)
小泉義之 / リアリズム論争のために――分析哲学のドイツ的総合の惨めさについて ■新しい実在論の誕生
M・フェラーリス / 新しい実在論――ショート・イントロダクション(清水一浩 訳)
清水高志 / 《意味の場》と神話――マルクス・ガブリエル再読
■シェリング、あるいはドイツ観念論の復権
浅沼光樹 / 〈構成的退隠〉から〈無世界観〉へ――ガブリエルの形而上学批判
橋本崇 / 人格的世界の再構築――新実在論の根底にあるもの
中島新 / 消極的存在論と積極的存在論――フェラーリス、ガブリエル、そしてシェリング
■ハイデガーとの対決
景山洋平 / 精神と現存在の差異――ガブリエルとハイデガーにおける様相・歴史・自由
■精神の哲学のために
太田紘史 / 物理主義を論駁することの難しさについて
■芸術の意味
岡本源太 / マルクス・ガブリエルと芸術の問題――絶対者のもとに休らう芸術作品
■主要著作ガイド
・第T期:『神話における人間――シェリングの『神話の哲学』における存在神論・人間学・自己意識の歴史に関する諸探求』(2006)〔浅沼光樹〕
・第U期:『古代における懐疑論と観念論』(2009)〔中島 新〕
・第V期:『超越論的存在論――ドイツ観念論についての試論』(2011)〔浅沼光樹〕
・第W期:『なぜ世界は存在しないのか』(2013)、『世界の認識――認識論入門』(2012)、〔岡崎 龍〕
・第X期:『意味と存在――実在論的存在論』(2016)、『私は脳ではない――二一世紀のための精神哲学』(2016)、〔加藤紫苑〕 >>367
“新しい実在論は、誕生の正確な日付をしめすことのできる、
おそらく唯一の哲学運動である。それは2011年6月23日の13時30分、
ナポリのジェナロ・セラ通りにあるレストラン「アル・ヴィナッチョーロ」でのことだった。
これほど正確に述べられるのは、そのときわたしがそこにいたからである。
マルクス・ガブリエル、それに彼と行動をともにしていたシモーネ・マエストローネが一緒だった。(略)
マルクスは、ボンの国際哲学センターの設立に携わっていて、
その幕開けに一大カンファレンスを開催しようとしていた。
そのカンファレンスのタイトルは「新しい実在論」とするとよいのではないかと、
わたしはマルクスに提案した。
この言葉は現代哲学の基本性格をうまくとらえているから、と。
つまり、いっさいは言語・概念図式・メディアによる構築物にすぎないという
信念にたいする倦怠感、ポストモダニズムにたいする倦怠感である。”
― マウリツィオ・フェラーリス 「新しい実在論:ショート・イントロダクション(1)」
New Realism: A Short Introduction
Maurizio Ferraris
https://iris.unito.it/retrieve/handle/2318/1533508/76874/Speculations_VI_Ferraris.pdf 浅沼 光樹 - 研究者 - researchmap
https://researchmap.jp/7000010542/
論文
・〈構成的退隠〉から〈無世界観〉へーガブリエルの形而上学批判
・二つの闇夜ー西谷啓治のシェリング解釈(一)
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/231080
・グラントの思弁的実在論―ハーマンのグラント批判によせて
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/228909
・シェリングと思弁的転回―グラントのシェリング主義について
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/219104
・京都学派の哲学史的洞察―西谷啓治の卒業論文「シェリングの絶対的観念論とベルグソンの純粋持続」について
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/194273
Misc
・【著作ガイド】『神話における人間ーシェリングの『神話の哲学』における存在神論・人間学・自己意識の歴史に関する諸探求』(2006)
・【解説】マルクス・ガブリエルを読むために
・【研究手帖】新シェリング主義の第三形態
・【書評】マルクス・ガブリエル著『なぜ世界は存在しないのか』
・【連載 労働と思想】シェリング―反政治と再自然化
・【シンポジウム提題】シェリングと〈純粋意志の哲学〉
・【翻訳】 F・W・J・シェリング「神話の哲学への序論―第23講義」
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/227170
・【翻訳】 F・W・J・シェリング「神話の哲学への序論―第22講義」
・【解題】 マルクス・ガブリエル「形而上学の根本的問いに対するシェリングの答え」を読むために
・【翻訳】 F・W・J・シェリング「永遠真理の源泉について」
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/198876
講演・口頭発表等
・ドイツ観念論と思弁的実在論―シェリング再評価の文脈
・日本哲学という意味の場―ガブリエルと日本哲学
・シェリングと〈純粋意志の哲学〉 浅沼 光樹 @asorbus
人間は政治的動物ではない―これはシェリング哲学の結論の一つ。拙論「シェリング―反政治と再自然化」『POSSE』36の前半をご参照ください。
2:39 - 2018年10月23日 『マルクス・ガブリエル:欲望の時代を哲学する』 (2018/12/11)
丸山俊一、NHK「欲望の時代の哲学」制作班 『思想 2018年11月号 カントという衝撃』
思想の言葉………飯田 隆
「カントに政治哲学があるか」という問いをめぐって ……………寺田俊郎
無限と性格 ――カントの遺稿の自由論 ……………城戸 淳
カントとコモンセンス……………小谷英生
欲望と道徳法則――ジャック・ラカンによるカント倫理学……………山蔦真之
カント義務論と「自己自身に対する義務」の問題……………御子柴善之
「表象にほかならないということ」――心の外へと向かうためのスアレス的方法?……………ヴォルフガング・エアトル
形而上学の「進歩」について……………山根雄一郎
純粋理性批判の秘密コード――理性批判とは何をすることであったのか……………P戸一夫
超越論的観念論と反応依存性――その反-懐疑論的帰結……………千葉清史
綜合的判断と実在性――カントによる分析的/綜合的の区別の成立……………檜垣良成
数理科学とカント哲学の可能性……………藤本 忠
新カント派と心理学――相互批判的関係とその結末……………ウーヴェ・ヴォルフラート
文化主義の帰趨――新カント学派の哲学と「文化主義」……………大橋容一郎 17、無意識を探る
無意識を最初にいったのは誰か。西洋哲学では、十八世紀のシェリングが最初だとユングがいっている。
しかし、無意識の起源が仏教哲学、インド哲学へさかのぼれるのは有名である。
四世紀のインド思想家ヴァンスバトゥが「末那識」「阿頼耶識」に言及している。
しかし、大胆な解釈が許されるなら、紀元前五世紀のゴータマ・シッダルタの「阿含経」にある「無明」の概念を無意識の起源とすることもできる。
原始仏典「阿含経」にあるゴータマ・シッダルタのことばでは、
「五感と意識の六識を消すと、「無明」が現れる」とある。
つまり、仏典では、教祖ゴータマ・シッダルタの「無明」にまで無意識の起源がさかのぼれるので、
仏教における無意識の起源は、ゴータマ・シッダルタであると仮に決めてもよいだろう。
人の知覚できる世界、意識の世界において、その外の世界が存在すると考える根拠はなんだろうか。
西田幾多郎の「善の研究」において、人の意識は自我の主体の内側だけで意思が決定されるのではないという。
ヒトの意識は、意識の内側の要素だけで決まるのではない。
ヒトの意識は、意識の外側から志向される要素と意識の内側の要素との統合によって発現するのである。
つまり、無意識が原因で発現する意思の要素は必ず存在する。
ヒトの一回の意思決定には、無意識からの発動する神経による影響が存在する。
我々の意識が、その外側からの神経刺激によって発現している。
その場合、我々の意識にとって外界はどの程度の確実性によって存在するのだろうか。 意識によってとらえられない外界のことをカントは「物自体」と呼んだ。
意識によってとらえられない存在を、朱子は「理」と呼んだ。
意識によってとらえられない外界のことをゴータマ・シッダルタは「無明」と呼んだ。
ドイツ大陸哲学と呼ばれる思想は、仏教、儒教にすでに同様の発想が、西洋哲学とは異なる表現によって述べらえていた。
ゴータマ・シッダルタが、無意識、「無明」を消すことによって
知ることができる外界の宇宙の法則を「智慧」と呼んだ。この「智慧」は朱子の「理」と同じ発想にぼくには思える。 イサナミ イロデオローグ イサナキ。原始。原爆信仰。 中心は、イザナヒですよ?
イザナミ←イザナヒ→イザナキ 『思想 2019年1月号 ヘーゲル復権』
思想の言葉………熊野純彦
多元的存在論の体系ーーノン・スタンダード存在論としてのヘーゲル「エンチュクロペディ」……………大河内 泰
統覚的自我と経験的自己ーーヘーゲル『精神現象学』「主人と奴隷」の異端的解釈に向けて……………ジョン・マクダウェル
〈研究動向〉復活するヘーゲル形而上学……………飯泉佑介
行為者性の社会理論ーーコースガード・ピピン・ヘーゲル……………川瀬和也
ヘーゲルにおけるカテゴリー問題……………マルクス・ガブリエル
ヘーゲル論理学の意味論的解釈ーーヘーゲルと分析哲学……………硲 智樹
シェリングとヘーゲルの差異をめぐってーーヘーゲル批判への応答可能性を探る……………三重野清顕
貧者は承認されうるのか?ーー資本主義における承認の野蛮化をめぐって……………斎藤幸平
憲法と戦争ーーヘーゲルの国家論における多元性……………濱 良祐
ヘーゲルとパフォーマティヴィティーー『精神現象学』「自己疎外的精神の世界」とジュディス・バトラー……………岡崎 龍 >>379
ポモのマスカレードの幕が閉じたからね。 >>378
“分析哲学においてヘーゲルが「死んだ犬」であったのはもはや過去の話である。
いまやヘーゲルは英語圏の分析哲学者 ―ブランダムやマクダウェルなど― によって
我々が真剣に受け止めるべき哲学者として理解されている。”
― 硲智樹 「ヘーゲル論理学の意味論的解釈:ヘーゲルと分析哲学」 『思想 2019年1月号 ヘーゲル復権』 マルクスはともかく、ヘーゲルはありだろ
生物の進化とは何かを考えると
弁証法的唯物論は相性がいい
ついでに面白いのは、
唯物論と真逆の宗教も進化という言葉を使ってること
超人願望なんて昔からあるから、
進化という概念は宗教家も押さえて置きたいのかもね http://world-fusigi.net/archives/8100717.html
脳が結合した姉妹
お互いに何を考えているかわかるそうだ
気の毒ではあるが、意識について大きな知見を得られると思う ヘーゲル復権するなら、ヘーゲル左派も復権してブルーノ・バウアーの全著作の訳でも出版したらどうなんだろう フッサールの「流れつつとどまっている現在(strömendstehende Gegenwart)」(『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』第四十九節)。
知覚それ自身が、過去志向と未来志向の連続体に挟まれる「生きいきとした」現在としてあるという。
Husserliana 6, Die Krisis der europäischen Wissenschaften und die transzendentale Phänomenologie, SS49 >>386
だから何なのか?
何のためにこの引用に注目したのか
説明をつけてくれ >>386
クラウス・ヘルト 『生き生きした現在:時間の深淵への問い』 新田義弘、谷徹、小川侃、斎藤慶典 訳 (1988) >>389
そうなの?
ただのポエムじゃない?
存在は本質に先立つ、の方が有名だしw >>391
フッサールもハイデガーも似合いそうもないんだけどな?
同じポエムでも、フランス系のは気が利いてるけど、ドイツ系は迷路に入ったまま出てこないからねw >>389
ここにこれを書き込んだ理由は、単に有名なフレーズだからなのか?
ドイツ哲学において、フッサールのこの箇所がどういう意義を持つと思ったのか?
現代において、それがどのような意味を持つのか? サルトルなんて、ドラッグやって女のケツ追いかけてゲロ吐いただけだろうが 哲学、政治、宗教板界隈で、自堕落な成りすまし工作に走る人たちがいるが、
これは「マルクス主義」ではなく、サバタイ派の「フランク主義(ヤコブ・フランク)」の特徴。 『サバタイ・ツヴィ伝:神秘のメシア(上下)』 ゲルショム・ショーレム、叢書ウニベルシタス (2009)
“汝、禁ぜられしことを許し給う”
1666年前夜のサバタイ・ツヴィ
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f7/Shabbatai1.jpg
ターバンを巻いたメシア。
碩学ショーレムは、サバタイ・ツヴィの棄教と改宗をユダヤ史における重要事件とするが、
ヤコブ・フランクについては繰り返し黒歴史だと言っている。 大江健三郎の小説『宙返り』は、オウム真理教事件と、ショーレム『サバタイ・ツヴィ伝』に触発されて書かれた。
・「『宙返り』をめぐる七つの即興」 大江健三郎、『本 (通号276)』 (1999.07)
・「僕が『宙返り』に込めた"新しい日本人"へのメッセージ」 大江健三郎、『週刊現代 (通号2045)』 (1999.08.28) オウム事件からイスラム国まで、同じことが繰り返されている。 >>402
アメリカをはじめとする国家の犯罪は別のもの? 信憑性は定かではないが「カール・マルクス − 悪のアイドル」にも、
「マルクス〜フランキズム〜サバタイゼビ」の辺の話はあったね。 「カール・マルクス − 悪のアイドル」 (『さそり座の星の下に』より)
ジューリ・リナ著
『週刊日本新聞』 (第二六五号〜第二七六号に連載) (2002-2003)
編集主幹 太田龍
Karl Marx - Evil's Idol
http://www.whale.to/c/karl_marx1.html
Under the sign of the Scorpion - the Rise and Fall of the Soviet Empire
https://www.bibliotecapleyades.net/sociopolitica/signscorpion/signscorpion.htm
Jüri Lina
http://www.whale.to/c/juri_lina.html 『100語でわかるマルクス主義』 文庫クセジュ (2015)
ジェラール・デュメニル、ミシェル・レヴィ、エマニュエル・ルノー ポスト・ハイデガー
国内のハイデガー研究者の層は厚く、優れたものが多いが、
ハイデガー研究のピークは、この特集ぐらいまでではないか。
・『現代思想 2018年2月臨時増刊号 総特集=ハイデガー -黒ノート・存在と時間・技術への問い-』
現在ではガブリエルが、
ハイデガーの存在論からヘーゲル、シェリングといったドイツ哲学の問題系を
一気に引き受け、深化させている。
・『現代思想 2018年10月臨時増刊号 総特集◎マルクス・ガブリエル ―新しい実在論―』 というか、あれはドイツがいけいけどんどんの頃だから。英雄的に生きろって言ってもね。ドイツも日本もいまや首根っこ押さえられちゃってるから。あんまり勇ましいことは、言えないやね。
安部首相はみっともないと誰しも思うだろうが、今の時代はああいう人がやるしかないのかもしれない。戦前の政治家には務まらないだろう。
犬の時代をどう生きるかなんて、ハイデガーにはわからないさ。 わたしは皇太子には期待してる。政治的発言をどんどんやってほしい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています