ドイツ哲学総合スレ [無断転載禁止]©2ch.net
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つぉるん うんと つぁいと はかなりウケたらしいね >>91
発狂じいさん、キモAA上げ荒らしを死ぬまで続ける気ですか。
15年間も毎日毎日糞スレ立てて、キモいAAで上げ荒らしして、なにがしたいんですか?
こんなことだから50歳職歴なしの社会不適合者なんじゃないんですか?
あなたの生活保護費はボクやみんなの貴重な税金から支払われているですよ。
みんなに迷惑かけて恥ずかしくないんですか?
あなたほんとにみんなと同じ日本人ですか?
そんなにやりたいならsageて誰にも知られない底で一人勝手にやってください。 神学板ないよな。一番不便。東京じゃ上智。関西じゃ関学あたりだろうか。 Toshihiko Izutsu "Bewusstsein und Wesen" 『Νυξ (ニュクス)』2(2015)第一特集ドイツ観念論と理性の復権 第二特集恋愛論
ガブリエルがシェリング論を書いて、その解説もされている。
この時点で、ガブリエルには11の著作、8の編著、50余りの学術論文があるとされている。 マルクス・ガブリエル(ボン大学教授)×大河内 泰樹(一橋大学教授)
ドイツ観念論の現在 2015/12/29
https://www.youtube.com/watch?v=6e-ry3TBLeg これは、皆殺しの思想だ。
“ついでながらベルリンについて。
この災いの巣がとうとう世界都市になれたのは、喜ばしいことです。
…
教養あるベルリン人をみんな毒殺し、
魔法の力でそこに少なくとも我慢できる周辺地域を呼び出し、
巣全体を上から下まで改造してごらんなさい。
そうすれば、なおいくらかまともなものができるかもしれません。
もっとも、あの訛りが話されている限りは、難しいでしょうが…”
エンゲルスの書簡(1885年11月26日) >>2
少しいじって、フンボルト兄弟の2トップにしてみた。
「哲学者サッカー」
ドイツ語圏代表
マルティン・ルター(監督)
ゴットフリート・ライプニッツ(ゴールキーパー)
ヴィルヘルム・フォン・フンボルト
アレクサンダー・フォン・フンボルト
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(キャプテン)
イマヌエル・カント
アルトゥル・ショーペンハウアー
フリードリヒ・シェリング
ジークムント・フロイト
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
フリードリヒ・ニーチェ
マルティン・ハイデッガー
カール・マルクス (補欠)
ハンナ・アーレント (マネージャー) ポスト構造主義とか現代思想で行き詰まっている人は、
フンボルトなんかをやるといいんだよ。
ヘーゲルが学長を務めたベルリン大学を創設したそもそもの人が
言語学者ヴィルヘルム・フォン・フンボルト(1767-1835)。 フンボルトの言語観は、思考=言語=分節=存在=生成。 『言語と精神:カヴィ語研究序説』(1836/1984)
フンボルト、亀山健吉 訳
・言語とは内的な存在(ザイン)の器官(オルガーン)である。 [2節]
・我々は、言語を生命の失われた作品と見做してはならないのであって、むしろ、作り出す活動と考えなくてはならないのである。[11節]
・言語そのものは、出来上がった作品(エルゴン)ではなくて、活動性(エネルゲイア)である。[以下12節]
・それ故、言語の本当の定義は、生成に即した定義しかあり得ないことになる。
・すなわち、言語とは、分節音声を思考の表現たり得るものとするための、永劫に反復される精神の働きなのである。 亀山による解説本もある。
『言葉と世界:ヴィルヘルム・フォン・フンボルト研究』亀山健吉(2000) これは、どういうことか。
例えば、新約「ヨハネ」。
“初めに言(ことば)があった。…万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。”
それから旧約「創世記」。
“神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。”
光という言葉によって、光が分節される。 5世紀インドの文法学者バルトリハリは、次のようにした。
“文は全体であり,世界であり,ブラフマン(窮極的一者)である” フンボルトをやってこそ、初めてヘーゲルも生きてくる。 >>107
×ブラフマン(窮極的一者)
○ブラフマン(宇宙の根本原理) 「ドイツ観念論の最古の体系プログラム」って邦訳ありますか? 哲学からはちょっと離れるが、
総有概念、入会権的発想はこれから日本で起きる再開発や土地買収などにつきまとう問題を解決するにあたって
無視できないものだと思う。 もちろん過度に閉鎖的になる恐れもあるのでそれに注意しないといけないけれども。 >>111
『現代思想 1993年 7月臨時増刊 総特集=ヘーゲル』
に紹介があるくらいか。
寄川条路「ドイツ観念論最古の体系プログラム」 “仏教はキリスト教に比べれば、100倍くらい現実的です。
仏教のよいところは「問題は何か」と客観的に冷静に考える伝統を持っているところです。
これは、仏教が何百年と続いた哲学運動の後に現われたものだからでしょう。”
“インドで仏教が誕生したときには、「神」という考えは、すでに教えの中から取り除かれていたのです。”
“仏教は、歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的にものを考える宗教と言っていいでしょう。”
“仏教という宗教は「善悪の彼岸」に立っているのです。”
“ブッダは心を平静にする、または晴れやかにする想念だけを求めました。”
“ブッダは、「善悪」とは、人間の健康をよくするものだと考えたのです。
そして神に祈ることや、欲望を抑え込むことを教えの中から取り除きました。”
“仏教では、心の晴れやかさ、静けさ、無欲といったものが最高の目標になりました。”
“仏教は、いい意味で歳をとった、善良で温和な、きわめて精神化された種族の宗教です。”
“残念なことに、ヨーロッパはまだまだ仏教を受け入れるまでに成熟していません。”
“キリスト教は、いまだに文明にたどりついていないのです。”
― ニーチェ 『アンチクリスト』 適菜訳 (2005) 『アンチクリスト』は1888年、ニーチェが44歳の時に書き、1895年に出版された。
1888年はニーチェにとって執筆可能な最後の年となった。 『アンチクリスト』の締め “すべての価値を転換せよ!” 「Gewalt」を独和辞典で引いてみてよ。
ドイツ語で政治の話をしながら「Gewalt」っていう場合、「権力、支配、強行」みたいな
ニュアンスのほうが強いから。
マルクスの該当箇所も、ただ暴力ふるえばいい、って意味じゃないよ >>121
全集の村田訳も「暴力的に」だし、
半数以上の訳で「暴力的に」と読まれてきた事実があるということ。
“この大陸の大多数の国々では、暴力がわれわれの革命のてことならざるをえないことをも、認めなければならない。
労働の支配をうちたてるためには、一時的に暴力にうったえるほかはないのである”
― 『ハーグ大会についての演説』(1872年)(マルクス=エンゲルス全集18) すみません
こちら映画作品板にそちらの板にお住まいらしき方が徘徊されておられるようです。
そちらのご親族の方、おられましたらお引き取り頂きます様ご一報下さい。
【片渕須直】この世界の片隅に 19【こうの史代】
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1484394045/l50
この方です。
>149 : 名無シネマ@上映中 (ワッチョイ b66d-2ZTW)2017/01/15(日) 13:43:17.43 ID:UNNkqo200
>まさかドイツのフランクフルト学派のアドルノやホルクハイマーやハーバマスも知らないで戦争を扱った映画を論じるんじゃないだろうな?
>21世紀の哲学・社会思想の最低ラインの「反ヒューマニズム」の流れも知らないで論じてるのか?
>だったらそんな人間にこの作品を肯定するにせよ否定するにせよ評価する資格は一切ないわ ドイツ啓蒙と非ヨーロッパ世界: クニッゲ、レッシング、ヘルダー
笠原 賢介 (著)
出版社: 未来社 (2017/2/3)
ISBN-13: 978-4624011956
18世紀ドイツの著作家たちが、非ヨーロッパ世界との接触を通して、
それをどのように省察し、作品化し、どのような視点を提示したのか、その背景を探ることが本書の主題である。
ここではとりわけレッシングやカント、ヘルダー、クニッゲを中心に論じられるが、
科学技術や技術的合理性を手放しで礼賛した楽天的な思想潮流とみなされがちな〈啓蒙〉思想を誤った解釈から救抜し、
1960年代以降の思想史的見直しの成果を踏まえ、アドルノやハーバーマスらの新しい解釈を組み込みながら、
現代ヨーロッパの原点としての〈啓蒙〉を新たな視点から考察しようとする試みの書である。 となりのカントくん:4コママンガでカント哲学
貫 成人 (著), 長澤 真緒理
出版社: 河出書房新社 (2017/1/17) 女は髭 長髪を選べよ。存在と無 サルトル
なんていらない。
やはり主席は文学で
嘔吐 日本語訳 白水社 のほうが。 よく知り合いとその友達などに
僕はどんな哲学者を読んだらいいのか
僕はどんなふうに生きたらいいのか
どんな科学を学んだらいいのか
とたくさんの人に聴かれることがあるのですが
思うに
人はすべて自分自身だけでしか答えを発見することができないんです。
答えは
規定、決定、外面ではなく
特に若い人は可能性と試す態度と心と守って
生きてほしいのです。
動きの取れなくならないように
吟味したり
訂正したり
偶然ではなく
あらゆる試みられたものの維持と構築されたものの重みを感じててほしいなぁ😃 >>131
偶然による原理は思考や技術では操ったり理解できるものじゃない、
故に人類の道具とされないだけで、主体なる意思が生み出す思考でも技術
でもない非主体から生み出される偶然は主体からは理解や制御が可能である、
貴方は常に自分という主体と他者、他界という関係でしか物事を考えないから
考えが浅くなる、
他者や他者や環境や自分をすべて見る遠いところから見る非自分世界からの
視点から自分とその環境を見る方法を学びたまえ。 カント。プラトン美より。セネカより。東京の芝芝浦晴海お台場あたりの
無頼派アルコール
が客観美。 夜景消灯込国家論。夜景もグラデーションで星が満点の星空なら素敵。 文学上のパラノイアルンピック 国際的なオリエンタルピック
までに仕上げましょう。 医学は 転移 医者才能を盗む 騙されホーリー 魔術師に半殺し
手抜きされ、の分野。未来はそうはない。
フロイトの論文と自然科学の言語・文化的アーカイヴが大事
自然精神神経医学。
ドイツ表象 フランス、華僑、各国食生活の歴史
異次元天体科学工学 エイジアン体育保健学
医学看護学からとらえる。 >>115, 140
村岡晋一、吉田達訳『ヘーゲル初期論文集成 全新訳』が作品社から出るらしいですね、楽しみです
もっとも「ドイツ観念論の最古の体系プログラム」は寄川条路編訳『初期ヘーゲル哲学の軌跡』で読んでしまいましたが 高峯一愚は優れたカント研究者だな。
著作の文章のどれもこれも重要な感じで
どこかを切り取って引用しようと思っても無理な感じだな。今の所。 啓蒙と神話: アドルノにおける人間性の形象
藤井 俊之 (著)
出版社: 航思社 (2017/4/12)
1979年生まれ。 北守
あとシュミットがせせこましい振る舞いをした理由の半分くらいは貧乏のせいなので、身につまされるところはある。
彼はケルン行ってから戦争が終わるまでの間以外はつねに金がなかったので。
2017年5月2日
Θ als TheaThea
一口に書き込みと言ってもいろいろなレベルがあり、カントの書き込みとかはほとんど耳なし芳一感がある。
http://pbs.twimg.com/media/C-quCnlUwAA0rwZ.jpg
中に入ってもこんな調子。まずもってアルファベットの切れ目がわからない。
(ちなみにこれはバウムガルテンの『形而上学』の英訳に入っている)
http://pbs.twimg.com/media/C-qxsxCU0AEaixm.jpg
2017年4月30日 ダーザイン(ビジュアルバンド)が復活しててわろた。 個人の狂気は稀だが―集団、党派、民族、時代は常に狂っている。(byニーチェ)
Der Irrsinn ist bei Einzelnen etwas Seltenes - aber bei Gruppen, Parteien, Völkern, Zeiten die Regel. 『エリーザベト・ニーチェ 〜 ニーチェをナチに売り渡した女』 (1994)
ベン・マッキンタイアー
“ムッソリーニと違い、ヒトラーは最初から最後まで、
ほぼ間違いなくニーチェの著作を一語たりとも読んだことはなかった。”(第八章)
ニーチェの妹エリーザベトが、兄の著作を改竄し、
ナチスの思想的バックボーンとなる「ニーチェ神話」を作り上げたという。
ニーチェの胸像を見つめるヒトラー
http://inri.client.jp/hexagon/img/nietzsche_hitler_b.jpg
「ニーチェ資料館」でヒトラー(左)を迎えるエリーザベト・ニーチェ(中央)
http://inri.client.jp/hexagon/img/Elisabeth_Nietzsche_hitler.jpg
エリーザベト・ニーチェ
http://www.tagesspiegel.de/images/tagesspiegel/14912364/1-format530.jpg 湯山光俊 『はじめて読むニーチェ (新書y)』 (2005)
>>151の影響だろうか、
年代記としてニーチェの人生を紹介する中で、エリーザベトの動向も追っている。 ニーチェ体験をめぐって (三島由紀夫×手塚富雄)
三島「戦争中、ヘルダーリンに夢中になっていて、ニーチェを読みはじめたのもその前後
のころと思いますけどね、非常に好きでした。今度、手塚さんの新訳を拝見して、
実に分かりやすくて初めて『ツァラトゥストラ』を読むような感じがするんです。
前に読んだのは、なんだかお経みたいな……。」
手塚「生田長江さんの訳でしょうか。」
三島「いいえ、登張竹風さんの『如是説法ツァラトゥストラー』です。」
手塚「登張さんの訳は、最初は『ツァラトゥストラ』を『光炎菩薩大獅子孔経』として
いました。それは二度目の訳でしょうね。われわれのときは、一時代前で
生田長江訳です。」
― 中央公論社 『世界の名著 第46巻 ニーチェ』 付録1 登張竹風訳のニーチェ『ツァラトゥストラ』
『如是経:一名・光炎菩薩大師子吼経』 星文館書店 1921年(大正10)
(国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969736)
“如是経(にょぜきょう)の原名は
アルゾー・シュプラーハ・ツァーラトゥーストラ(如是説法ツァーラトゥーストラ)であります。
ツァーラトゥーストラはペルシャの聖人ツォーロアステルの異名でありまして、
光明暗黒の二元を道徳上の善悪二面に対立に進展せしめ、道義的浄化法として、
火を礼拝した所謂拝火教の開祖であります。
此の聖人の生時は遠く西暦紀元八世紀という古昔ださうですから、
印度の釈迦牟尼仏の出世よりも二世紀早い訳になります。” 【ドイツ哲学の2大巨塔】
@純粋理性批判
A精神現象学 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ ヘーゲル『大論理学(Wissenschaft der Logik)』なら
『論理の学 1〜3』山口祐弘訳、作品社(2012)
がおすすめ。
読みやすくて一気に読める。 ハイデガーやレーニンにも大きな影響を与えたこの本の存在論では、
仏教の「無 Nichts」と「空 Leere」についても触れられている。 “われわれは、存在者ならばいつでも容易になんらかの領域から自分の前に差し出し、表象することができます。[略]
では、哲学の対象はどうでしょうか。
「存在」といったものを表象することは可能でしょうか。
そんなことをしようとすれば、眩暈(めまい)に襲われるのではないでしょうか。[略]
たしかに、存在者であれば、それはなにかあるものであり、
机であったり椅子であったり、樹木、天、物体、言葉、行為であったりします。
たしかに、こうした存在者なら思い浮かべることができますが、
しかし存在を思い浮かべるなんてことができるでしょうか。
というのも、存在などというものは無のように思われるからであり、
しかもほかならぬヘーゲルが「存在と無は同一である」などと言っているからです。
となれば、存在についての学である哲学は、無についての学だということになります。”
― ハイデガー 『現象学の根本問題』 木田訳 (2010) ヘーゲルの存在論をやっておかないと、
ハイデガーなんて何の話をしているのかも分からないだろう。 >>160
『ヘーゲル 論理の学(1) 存在論』
『ヘーゲル 論理の学(2) 本質論』
『ヘーゲル 論理の学(3) 概念論』 >>167
その存在論て、ハイデガー風にいえば存在者論だろ?
ヘーゲルは、具体的なもの(こと)しか対象にしなかったんじゃない?
具体を抽象化したものが、ヘーゲルの「存在」じゃないの? Es ist die reine Unbestimmtheit und Leere.
それ(存在)は純粋な無規定性であり空である。 ハイデガーやヘーゲルの存在論をやってようやく入口。 >>169
原文は知らないけど、『小論理学』の84に存在(有)の定義が書いてある。
有(Sein)は即自的にすぎぬ概念である。その諸規定は有的であって、それらが区別されている場合には互に他のものであり、
それらの本性のより進んだあらわれ(弁証的形式)は他のものへの移行である。
(松村訳)
有とは単に自体的なる概念であり、この概念の諸規定は存在的〔有るという述語をもつ〕諸規定であり、これら諸規定相互の区別においてはこれらは互いが互いに対して他者であり、
これらをさらに進んで規定すること(弁証法的なものの形式)は他者への移行をなすことである。」
(川原訳)
空であるという考えではないと思うが? >>173
知ってるけど、大論理学より、小論理学の方がきちんと考えがまとめられてる。
ヘーゲルの基本は、エンチクロペディだろ? >>174
大論理学は読んだ?
レーニンはやった?
>>162の
> ヘーゲルが「存在と無は同一である」などと言っている
はどの箇所のことを指す?
ハイデガーやヘーゲルの存在論の先には何がある? >>175
僕の考え方はもう書いているんだから、僕に質問する前に、僕の質問に答えてねw
君は、大論理学とエンチクロペディの関係をどう思う? ハイデガーの哲学は「存在の哲学」でありながら、同時にそれを支える「無の哲学」でもあった。
ヘーゲルは『論理の学』において、
「存在」と「無」は同じであり、これらが同一性と差異性を孕みながら合わさる運動を「生成」と呼んだ。
これはどの様なことを言っているのか?
シェリングやベーメのUngrund(無底、無根底)を参照してみるといい。 “神とは(…)あらゆる根底に先立って、あらゆる現実在するものに先立って、
したがってそもそもあらゆる二元性に先立って、自らの本質である「根源実在」なのである。
シェリングはそれを「現根底(Urgrund)あるいはむしろ無根底(Ungrund)」と名付けている。
すなわち、それに関してはいかなる差異も、また有[存在]の組目も、
もともと適当な述語として述べられることのできない「絶対的無差別」のことである。”
― ハイデガー全集42『シェリング『人間的自由の本質について』』 このシェリングに影響を与えているのがヤーコプ・ベーメ。
ベーメは「神は無であり一切である」という。
神自身をも発現させる、神の最奥にまで遡源すると、
そこでは、いかなるものでもないことによって、一切を生成させる
「無即有」、「有即無」の根源的事態につきあたる。 その先は、
↓
神の収縮(ツィムツム)
↓
古代存在論 Hildegard von Bingen - Viridissima
https://www.youtube.com/watch?v=icNd55pMCwE
(Jocelyn Montgomery with David Lynch)
Hildegard von Bingen (1098-1179) was a German abbess, author, counselor,
linguist, naturalist, scientist, philosopher, physician, herbalist, poet,
channeller, visionary and composer. 『ビンゲンのヒルデガルトの世界』(1994)
種村季弘 マルティン・ハイデガー5 [無断転載禁止]©2ch.net
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/213
最小限の時間でハイデガーを始められる3冊
・ハイデガー『存在と時間』細谷訳
・ハイデガー『現象学の根本問題』木田訳
・木田元『ハイデガー「存在と時間」の構築』 (※ケーレと上記2冊の解説を含む) ハイデガー読本
(秋富克哉, 安部浩, 古荘真敬, 森一郎:法政大学出版局)
『ハイデガー読本』(2014)
・ハイデガーの主要な概念や思索を個々の論文で追ったもの
・巻末に全集全巻のサマリーあり
『続・ハイデガー読本』(2016)
・古代ギリシャからポスト構造主義〜プラグマティズムまで
・ハイデガーが読んだ哲学者や、ハイデガーを読んだ哲学者など、哲学史を通して描かれるハイデガー ケルト神話とかライン文明とか 言語 文化研究に役に立つよな。
音楽はアーカイブ品で十分。アーキビ―イング アート。 juria hiphop ragge なら買うけど。親鸞だもんな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています