愛 [無断転載禁止]©2ch.net
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つまり、言葉自体を知らないと読解できないんだお。だから、誰を対象に書くかによって、言葉自体を変えないとダメだと思う。 >>534
言葉の専門性は気にしなくていい
そんなものは所詮は名前だ
飼ってる犬の名前ぐらいの気持ちで読むといい 声優への感情移入も拒むしロードスへの感情移入も拒まれたことの敵意が
聖☆法政学園にながれるわけである!! >>522
ありがとう。また買ってみるお(о´∀`о) >>537
まぁそれはあるかもね。(о´∀`о)w
批判してごめんお。加藤は慈悲を施さなければならない。そういうラグビーボール🏉 エニメに感情移入するな
アメフトは故障者大量
わかるか!? ぱぴならー!(о´∀`о)
底辺、でも清見みたいな文章好き。
自分の言語レベルも引き上げてくれるから。
稚拙な文章よりこっちの方が好き。 結局、難しくい言葉だが分かりやすい文章というのを書いて、レスポンスを見れば学力が分かってしまう。思考能力ではなくね。ある意味、フィルター的。 >だから、証明可能性にこだわる奴は言葉がスカスカになる
だって言葉をスカスカにすることにこだわってるんだから
言ってることまったく理解してねーなw
論理を展開させないのは、それを覆されることが怖いからだろうが、まあ要は自分の脆弱な論理に自信がないのが伺える。
だから抽象具体を用いないんだな。もう一度上の清見の文章持ってきていちいち説明を求めてもいいけど、発狂しそうw 曲がったことが嫌いとか言うけど背伸びだけは一丁前だよな。
ccrって何w
こういう強引なタームの使い方から性格が垣間見られる。 まあ一つ持ってきて説教してやるか。特別だぞ。
>証明可能性にこだわるってことは
実は言葉の無意味さにこだわるってことなんだ
主張ね。これを了解して次の文へ
>言葉には意味があって、その相関は豊潤なんだけど
前提と結論の間に意味が増えてないことを示すことを持って
僕らはそれを「証明」と呼ぶんだ
前提と結論の間に意味が増えてないことを示すこと、これが「証明」なわけね。
まず前提とは「仮説」とか「主張」のことか?そうでないとしたら何?そもそも前提という言葉のはっきりとした意味がわからんが、このように解釈するよ。
主張から結論の間に意味が増えてないこと?とは何か?まあ数学的な見地から言っているのだろうけど、
意味は取れる。
言語も極度に抽象化して、数字的な抽象化がなされて初めて「証明」がなされる、ということね
はい、ダウト。
意味が増えてない←これが「証明」になるということは言語の意味の分化が極端に抽象化されてこそ、つまり数学的なものこそ証明になるということだけど、
「証明」とは
1 ある物事や判断の真偽を、証拠を挙げて明らかにすること。「身の潔白を証明する」「本人であることを証明する書類」「身分証明」「印鑑証明」
2 数学および論理学で、真であると認められているいくつかの命題(公理)から、ある命題が正しいことを論理的に導くこと。論証。
このことから清見のいう意味での証明が主観的な意味においての「証明」であることがわかる。
証明にこだわった言葉って実はスカスカなんだよ おまえのそういう自分勝手な性格が日常でも災いしてるんだろうよ。馬鹿な男だ。自分勝手な論理で大人を煙に巻くなガキ 言語を大海に見立てるまではいいが、そのあとズタボロw >>547
ボクちゃん、抽象と具体わかりまちゅか? 「三角形の内角の和が180度である」を証明せよ
↓
非ユークリッド幾何では三角形の内角の和は180度にはならない
↓
「ユークリッド幾何における三角形の内角の和は180度」
↓
ユークリッド幾何の定義
↓
「三角形の内角の和が180度になる平面において、三角形の内角の和が180度になる」
↓
トートロジー
↓
トートロジーは無意味であるがゆえに、必ず正しい >トートロジーは無意味であるがゆえに、必ず正しい
だから、これがおかしいんだって。「意味」というタームの暴力的且つ主観的な活用。 言葉をトートロジーにすることを求めると
トートロジーは無意味であるがゆえに必ず正しいわけだから
無意味さを求めることになる ちなみに、ウィトゲンシュタインは矛盾も無意味としたんだけど
これは違うと僕は思ってるんだよね
トートロジーは意味が0
矛盾は意味が無限
意味が無限すぎて、まるで役に立たないがゆえに、矛盾は偽として破棄するんだよね >>555
きよみ(о´∀`о)!!!猥褻語最高だお(о´∀`о)!!! >>556
「無意味」って、日常的には侮蔑の意味で使われたりするけど
論理的には言葉の情報量を指す言葉なんだよ
トートロジーは必ず正しいんだよ
なぜなら、情報量が0だから
「明日の次の日は明後日である」という言葉が正しいのは
それが、言葉の関係だけで正しいことが決まる
情報量0の文章だから、なんだよね
上でユークリッド幾何について書いたのは
情報量が少なそうな文章も、0ではなくて少しはあって
それを必ず正しくしようと前提条件を加えることは
意味を0にすることなわけね ちなみに、矛盾はそこからなんでも導出できるカオスなんだけど
それは、意味が無限にあって、
我々は情報が無限にあるような言葉を排除することでしか
言葉を使った知的生産を行えない、ということなんだよね ヴィトゲンシュタインを誤読してるな、こいつ。
まあ時間あるとき書いてやるよ。 >>558は僕の考えだよ
ウィトゲンシュタインはトートロジーを無意味
矛盾もなんでも導出できるから無意味
とした
ちなみに、ウィトゲンシュタインの関心は「確実さ」にあった
僕はウィトゲンシュタインもアホだと思ってる 僕は、トートロジーは無意味(意味0)
矛盾は有意味(意味無限)
と考えてる
ウィトゲンシュタインは無意味にこだわるアホ
そこから派生した奴らも言葉の無意味さにこだわるアホ
そんなアホらがウォーゲームにハマる
と思ってるし、そんな奴らと関わる必要もないと思ってる 言葉の豊潤さから収穫量を0にしようとする輩に限ってウォーゲームにハマる
至言だね
今思いついたけどwww >>562
なるほど、右脳で感情的にならず、左脳だけで読もうとすると、かなり分かりやすい。言葉に多様性がないと凹凸のない単調な文章に感じるけれど、言葉に拘りすぎてもそこからは何も生まれない。 ある意味、今後、超伝導体とかでノーベル賞が出るとすれば、ただのラッキーなんだろうな。ここでいう矛盾的な事象が発生してそれを論理的に矮小化せずに解釈できたときそれがノーベル賞になる。
あれは、たしかサハラ砂漠の面積の20%くらいの太陽光パネルで全世界の電力を生み出せるらしいからね。送電ロスさえなければ、確実にノーベル賞。 目的がしっかりしてなければ、ラッキーな矛盾が起きてもインパクトはないから、類語と同じで意味0で、ノーベル賞にはならない。 >>565
目的は愛だよ。ロードス島戦記への愛も加藤洋平への愛も一緒。
愛を注がれた子は他人に迷惑かけなくなるから。 >>567
しーらんぺったんラリゴ(о´∀`о)
意味0。 加藤への愛って(о´∀`о)!!!
ありがとう(о´∀`о)!!!
ぷぴぴ! 愛とは矛盾(о´∀`о)!!!
意味無限で夢幻!
清見ふぁいと(о´∀`о)!!! >>570
愛があれば大丈夫さ!
ロードス島戦記への愛 >>569
妄想で人を傷付けるから、精神科の病院に行かないとダメだよ >>573
やだなああああ。゚(゚´ω`゚)゚。
底辺、精神科なんていきたくないお!(о´∀`о)
ぱぴならー!(о´∀`о)
って思ったら、加藤洋平のことだった。 ロードスのうそをあばいて脳のびょうきを減殺してこ~ 父親が他所の女とセックスしてるとか妄想を持ち始めたら
脳の病気だろうなあ〜 つまが他所のオトコとセックスしてるかもしれん ローーーーーーーーーードスぅ~ 魔法の世紀の幕開け、本物の文明開化の音が鳴るとももに、人間たちの繋がりが解明される。 ロードス島戦記のライトノベル、読んでると人気者になれるよ 愛が信頼だけでなく裏ぎりを起こし、それが心を蝕むならば、本物の愛を感じるのは、時間が経たないと分からないでしょう。何に対する愛が行動を起こしたか、その行動の根拠が波。 スキンヘッドが2mmに。それも時間。
妄想、孟宗。 妄想が加藤で、孟宗は底辺。
ロードス島戦記のラノベ読んでぬ。。゚(゚´ω`゚)゚。 >>611
1人だけロードス島戦記のライトノベルを読んでさあ、協調性無いよ ロードス島戦記のラノベの中に消えた心。
心が瞳。純粋なる心の眼を蝕む数々の声。
女の子パンツ、そしてスキンヘッド。坊主。
塚地武雅の鼻が無我。
ロードス島戦記のラノベ中毒に注意、それはヒロポン。 アニメって宮崎駿くらいしかみねーけど、最近は「寄生獣」「いぬやしき」「君の名は」をみたわ。
寄生獣なんかは竹田青嗣などの哲学者も見て論じているけど、それぞれ命題があるようだね?「人とは何か?」という。
いぬやしきは、いぬやしきのおじいさんの優しさが胸に染みるな。 人が人ならざる者になっだ場合のこと。
「寄生獣」は天敵のいないヒトを喰う寄生獣が世の中に蔓延る。
「いぬやしき」はいぬやしきという老人(主人公)と獅子神という高校生が機械になってしまう話。
くだらん設定のようで、そうなったときの心理描写が克明に記されている。
今、『人間とは何か』(ボルツ、ミュンケル)ウニベルシタスを読んでいるが、その三「人間と非ー人間」の脱中心的な立場性、この命題の意味合いに近い。 5chで、よく吠える番犬と言われた!
実際は、見た目ブルドッグ、心ヨークシャーテリアといわれた!。゚(゚´ω`゚)゚。
なにこのひと!!!(о´∀`о)ふざけんな! ワアァァアアァ 救えなかったぁぁああ 可哀想に
アアァアなんて なんて 勘違いオジサンがシバかれるもラノベに回帰する現象~ 1/3
プレスナーが提唱した人間の概念は、生物一般から、特殊には動物から展開されている。人間の身体は、中心的立場性という動物的構造をもっている。
人間という存在は、質的に異なる特別な器官ないし特別な遺伝子から成り立っているのではなく、
自らの中心的身体から距離をとる能力をもっていること、まったく存在しない立場から、自分を振り返る能力をもっていることによって成立している。
プレスナーは人間と動物を比較するなかで、優れて人間的なものを極めて控えめに、かつ、臆することなく誇り高く定義した。
動物には否定的なものにたいする感覚が欠けている。 2/3
したがって、理解力しかもっていないが、現前していない次元には関与しない。
もし特権が存在するとすれば、それは、人間が全然存在しないものを表象できるということだ。
人間は、立場的領域にたいしてユートピア的・否定的関係をとることができる。
自分が想像した事物を探求できるし、神々をつくりあげることができる。
陰界を想像でき、溢れるばかりの空虚と宣言することができる。 3/3
実在的な事柄においては、我々は動物と比べ、尊大な特権をもっているわけではない。
我々は、行儀、料理法、調理器具のことを一瞬忘れさえすれば、キツネが奪ったガチョウを両の歯で食することもできよう。
とりわけ中心的と言えるのは、人間が自分自身の体を離れて、他者の立場に立てることだ。
人間は、他者の立場に取って代わりうる動物なのだ。我々は自分たちの立場性を脱中心的に取り替えて、こう言うのだ、「僕は君の代わりに、君は僕の代わりに」、と。
「人間とは何か〜三人間と非ー人間」より ホモサピエンスじゃなくて
ホモライトノベル
ライトノベルを読むのは人間だけ とりわけフロイトージャック・ラカンは、他者と脱中心的なものを性エネルギー、エス(欲動)、自我(外と内、エスと超自我の調整機能)、超自我、意識と無意識によって他者性対象性に光を当てた。
特にラカンは他者の欲望を慾する接点、対象aを提唱した。
例えば昼間のこのスレのやりとりから、ある欲動、ともすれば言語の記号論理学や抽象概念、数学と言語、取り分け非ー言語的な見地から、
言語の複雑化の縮減についての欲望を慾するというものが移ってきた。その欲望は、たしかにロボットのイメージに近い。
言語からも乗り移ることから実際に人間と人間が対峙すると、その対象から自分を映し出すメデゥーサの目のように、たちまち意識が石化してしまう。
それを考えれば、転移というものの恐ろしさに慄かざるを得ない。人間とはかくも恐ろしいものなのだ。
人は目の前ないる対象の欲望を感じ取って、自分はそれを慾する。否応無く。
人はその人の立場に立ち、自分となる。これは正常と異常の臨界であり、異常は他者の立場と自分の立場の区別がつかなくなってなる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています