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□ ジャック・デリダ Jacques Derrida 8 □ [無断転載禁止]©2ch.net
0001考える名無しさん
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2016/11/14(月) 00:09:38.100
□前スレ
□ ジャック・デリダ Jacques Derrida 7 □c2ch.net
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1420518600/

□過去スレ
はい、「デリダ」スレッド、ポンッ!
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1038870138/
はい、「デリダ」スレッド その2
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1101192822/
はい、「デリダ」スレッド その3
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1154954849/
■ ジャック・デリダ Jacques Derrida 4 ■(立ったのは3より先)
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1154953104/
□ ジャック・デリダ Jacques Derrida 5 □
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1284210596/
□ ジャック・デリダ Jacques Derrida 6 □
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1372548672/
0102考える名無しさん
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2018/09/09(日) 07:50:50.610
>>99
これ、日本に生まれたために最良の選択ができずに
不毛な仕事に従事することになった言ってるとも取れるよな
思想史に組み入れられるような優れた仕事を実際していれば地域関係なく相応しい評価が与えられるべきとデリダも思っているだろうし
0103考える名無しさん
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2018/10/08(月) 11:51:15.450
刻越えのデリダスレじゃなかった
0104考える名無しさん
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2019/04/02(火) 02:02:19.210
「日本の友への手紙」 『プシュケー:他なるものの発明II』 (2019/03/27)
ジャック・デリダ
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0246900.pdf

“親愛なる井筒教授。

 私たちが会ったとき、私はあなたに「脱構築」という語について―図式的で予備的なものではありますが―いくつかの省察をお約束しました。
 問題になっていたのは、要するに、この語を日本語に訳すときに可能な翻訳への予備考察(プロレゴメナ)でした。(略)

 なかんずく私が望んでいたのは、ハイデガーのDestruktion[破壊]もしくはAbbau[解体]という語を私の意図へ翻訳し翻案することでした。(略)

 けれどもフランス語では「破壊[destruction]」という語は、ハイデガー的な解釈もしくは私が提案していたタイプの読みよりも、
 おそらくはむしろニーチェ的な「粉砕」に近い無化、否定的還元という含意があまりに際立っていました。
 そこで私はこの「破壊」という語をしりぞけたのです。(続く)”

※デリダの最重要概念である"脱構築"の説明を収録した『プシュケー』は、これまで邦訳されていなかった
0105考える名無しさん
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2019/04/07(日) 20:49:57.780
日本に生まれることは才能を活かしきれずに死んでいくことを意味するのでしょうか
0106考える名無しさん
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2019/05/04(土) 22:08:06.190
>>105
西洋哲学に関してはそういうところはあるかもね
特に思想はネイティブじゃないとなかなか創造的な仕事はできないでしょ
0107考える名無しさん
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2019/05/05(日) 09:38:00.680
>>105
西洋哲学に関してはそういうところはあるかもね
特に思想はネイティブじゃないとなかなか創造的な仕事はできないでしょ
0108考える名無しさん
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2019/05/18(土) 22:33:31.340
日本に生まれてしまったがために才能を活かせずに消えていった人は山ほどいるんだろうな
0109考える名無しさん
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2019/08/18(日) 14:48:54.920
“メリルによれば、ポスト構造主義における解釈の無限の可能性という概念は、最高の秩序と最高の混沌は同時に存在し、相互に否定しあう心理が全体として仏教の言う「一」となる、という考えに類似しているという。
 メリルは、サンスクリット・スンヤタのモノニアラザルモノとしての「思い浮かべることすら不可能な」無に言及し、これを近代物理学とデリダの著作の両者に比較している。

 ロバート・マグノリア(『快方に向かうデリダ』〔一九八四年〕)もまたデリダの思想と仏教の無という概念とのあいだにひとつの類似性を見出している。
 空無への帰着は「中心」とされる「超越的シニフィエ」の無益な追及についてのデリダの分析によるものである。
 マグノリアがとくに関心を向けているのはナーガジュナ派の仏教である。
 「ナーガジュナは同一性原理の脱構築を自分の明確な使命と心得て」おり、「デリダと……同じ論理的戦略を用いている」とマグノリアは述べている。”

― アート・バーマン 『ニュー・クリティシズムから脱構築へ:アメリカにおける構造主義とポスト構造主義の受容』 未来社 (1993) 10章
0110考える名無しさん
垢版 |
2019/08/18(日) 14:49:14.460
『Derrida and Indian Philosophy』 Harold Coward (1990)
0111考える名無しさん
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2019/09/03(火) 21:43:46.280
>>110
1. Philosophy East and West
2. Derrida and Bhartrhari's Vakyapadiya on the Origin of Language
3. Derrida and Bhartrhari on Speech and Writing
4. Derrida and Sankara
5. Derrida and Aurobindo
6. Derrida and Nagarjuna
7. Conclusion
0113考える名無しさん
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2019/10/24(木) 01:37:15.470
接ぎ木によって育てられたんだろうなあ
0114考える名無しさん
垢版 |
2020/03/07(土) 00:47:14.830
デリダの「戯れ jeu」、ハイデガーの「遊動 Spiel」の背景にあるニーチェ+ヘラクレイトスの「戯れる子供 pais paizon」。
解体/構築が対で見られる。


“いかなる道義的な責任もとわれることなく、永遠に変わることなき無垢のまま、生成と消滅、建設と破壊を営むものは、この世においてはただ芸術家と小児との遊戯のみである。
 そして小児や芸術家が戯れるように、永遠に生ける火が、無心に、戯れ、築き上げ、崩してゆく――そしてこの遊戯をみずからと戯れるのがアイオーン〔永劫の時〕である。
 彼は、水や土に身を変じながら、小児のように海浜に砂山を築き、築き上げるかと思えば崩してゆく。
 往々にして彼はこの遊戯を最初からやり直すことがある。満足したと見えるのもつかのま、欲求が芸術家を創作に駆り立てるように、欲求が彼を襲う。傲慢ではなく、繰り返し新たに目覚める遊戯衝動が、他のもろもろの世界を生み出すのである。
 小児は一度は玩具を放り出すが、やがてまた無邪気な気まぐれでそれを取り上げる。しかし築くとなれば、子供は、法則に従い内なる秩序に従って結び合わせ、繋ぎ合わせ、形づくってゆく。”

― ニーチェ 「ギリシア人の悲劇時代における哲学の誕生」 『ニーチェ全集 2 悲劇の誕生』 ちくま学芸文庫 (1993) 7節、p389
0115考える名無しさん
垢版 |
2020/03/07(土) 00:47:43.630
井筒の「存在-神-論(Onto-Theo-Logie)」は、
老荘+ハイデガーの現象学的存在論+デリダのロゴス中心主義の解体。


“真昼時――地上の万物がそれぞれの輪郭線を露出しつつ
 キラビヤカに浮かびあがる光の世界――に、
 どこからともなく夕闇の翳りしのび寄ってくる。
 事物は相互の明確な差別を失い、浮動的・流動的となって、
 各自本来の固定性を喪失し、互いに滲透し合って次第に原初の混沌に戻ろうとする。
 有分節的世界が己れの無分節的次元に回帰しようとする両者の中間に拡がる薄暮の空間、
 存在の深層領域が、人々の好奇心をさそう。
 地上の一切が真の闇の中に没して完全に無化されてしまう直前のひと時の暗さには、
 何か言いしれぬ魅惑がある。”

― 井筒俊彦 「監修者のことば」 (エラノス叢書 『一なるものと多なるもの〈1〉』(1991)
0118考える名無しさん
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2020/07/29(水) 01:51:58.110
>>76>>104
(1)デリダの脱構築(déconstruction) → (2)ハイデガーの解体(Destruktion) → (3)ルターの解体(destructio) → (4)イエス(新約「マタイ」)

(3)
ルターはギリシャ的スコラ神学を解体し、原始キリスト教的性格を洗い出した。
“19. 神の「見えない本質が」「造られたものによって理解されると認める」者は、神学者と呼ばれるにふさわしくない〔ローマ 1:20〕。”
“20. だが神の見える本質と神のうしろ(Posteriora Dei)〔出エジプト 33:23〕とが、受難と十字架によって理解されると認める者は、神学者と呼ばれるにふさわしい。”
― マルティン・ルター 「ハイデルベルグ討論」 『ルター著作集 第1集 第1巻』 ルター著作集委員会 編、聖文舎 (1964)

(4)
“律法または預言書をこわすためにわたしが来たと思ってはならない。わたしが来たのはこわすためでなく全うするためである。(マタイ 5:17)”
― 『新約聖書』 前田護郎 訳、中央公論社 (1983)
“Think not that I am come to destroy the law, or the prophets: I am not come to destroy, but to fulfil.(Matthew 5:17)”
― The Holy Bible (King James Version)
0119考える名無しさん
垢版 |
2020/08/02(日) 10:03:36.280
【生放送】鵜飼哲×宮ア裕助「後期デリダ、『生き延び』の哲学――『ジャック・デリダーー死後の生を与える』刊行記念イベント」 @parages #ゲンロン200731
https://live2.nicovideo.jp/watch/lv327011824
2020/07/31(金) 19:00開始 (5時間01分)

途中から東浩紀も参加
0120考える名無しさん
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2020/08/02(日) 11:35:07.290
デリダのfoldはドゥルーズのfoldよりも若干古いような。
バロックとの関連でドゥルーズのfoldが注目される頻度が目立つが。
0121考える名無しさん
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2020/09/24(木) 07:43:27.560
Seyn フォレスト YouTube篇 デリダのハイデッガー読解を検証する
https://youtu.be/KnbyLJzU_ZY
0122考える名無しさん
垢版 |
2020/09/24(木) 08:49:49.370
日本語と印欧諸語は、一見、まるで異なっているように見えて、よく見るとよく似ている。
例えば、日本語の「を(惜)し」という表現は、「を」が「呼び寄せる」ことを表し、
「し」が、「〜させる」ことを表す「す」の活用であると考えられるので、
ドイツ語の"rufen lassen"という表現にそのまま対応している。
このことは、今は使われなくなった古語の「を(食)す」という表現が、
「お召し上がりになる」を意味していることからも分かる。

ところで、日本語は、動詞の形成から助詞に至るまで中国語の表現を大々的に
流用して形成されていると考えられ、「を」には、万葉仮名で「烏」、「嗚」、
「塢」、「乎」などの漢字が当てられていることから見て、現代の中国語において、
「乌(烏)ピンインwū」という発音に引き継がれることになった表現を
「呼び声」と解釈して流用したものだろう。
実際、「乌(烏)ピンインwū」と発音の重なる「恶(惡)ピンインwù」は、
日本語において「悪(を)寒(かん)」のように「を」の発音として取り入れられている。

ところが、「乌(烏)ピンインwū」という表現/発音は、それがカラスを意味するように用いられることからも推察されるとおり、
古代の中国語では、"qa"に近い喉の奥から発せられる、カタカナで表すなら
「カ」とも「コ」ともつかないような発音に近いものであったと考えられている。
https://en.wiktionary.org/wiki/
0123考える名無しさん
垢版 |
2020/09/24(木) 08:50:40.470
さて、日本語に戻って「を(惜)し」という表現であるが、これは、
「呼び寄せ・させる」と解釈することができるが、そもそも「を」が「呼び寄せ」
を表すのは、それが、英語で表現するなら、"why (not)?"に相当する呼びかけの声であるからであり、
「を(惜)し」という表現は、"why (not anymore)?"という呼びかけを生じさせるものと解釈することができる。実際、中国語の「乌(烏)」も、その発音において、
疑問に用いられる「焉 (OC *qan, *qran, “how; where”)」、「惡 (OC *qaː, “how”)」、「安 (OC *qaːn, “where; how; why”)」と関係するとされている。

ここで印欧諸語の方を見ると、再構築された印欧祖語としての"*kwo- "がこれに対応している。
https://www.etymonline.com/word/*kwo-
>whence; where; whether; which; whither; who; whoever; whom; whose; why.

It is the hypothetical source of/evidence for its existence is provided by:
Sanskrit kah "who, which;" Avestan ko, Hittite kuish "who;" Latin quis/quid
"in what respect, to what extent; how, why," qua "where, which way,"
qui/quae/quod "who, which;" Lithuanian kas "who;" Old Church Slavonic kuto,
Russian kto "who;" Old Irish ce, Welsh pwy "who;" Old English hwa, hwæt,
hwær, etc.
0124考える名無しさん
垢版 |
2020/09/24(木) 08:59:04.960
このように見ると、例えば、日本語で作用を働かせる対象を示すのに用いられる助詞の「を」は、
「を(惜)し」の「を」と共通であると考えられ、すると、この「を」は、英語において関係代名詞
として用いられる場合の"which"と似ていると見ることもできる。
0125考える名無しさん
垢版 |
2020/09/24(木) 09:52:38.250
>>123-124
このように見ると、フランス語で従属節を導くように用いられる"que"も、
日本語における助詞の「を」と自然に対応しているものと理解することができるだけでなく、
この「を」が「を(惜)し」の「を」と共通であることを理解するなら、
"Je souhaite que vous soyez 〜"のような接続法の用法もより身近に感じられるようになるだろう。
文法が先にあって表現の用法があるのではなく、表現の用法を整理して、
その整理法について語ることが文法と呼ばれるのだから、
いくら文法だけ勉強したところで、言葉を用いることができるようにはならないのである。
0126考える名無しさん
垢版 |
2020/09/24(木) 10:04:52.690
「ラディカル(radical)」であるとは、何か気に入らない物事を根絶(eradicate)しようとするように振る舞うことではない。
そうではなく、地中の菌糸ネットワークが植物の根に働きかけて、植物を枯れさせることも、
大きく成長させることもあるように、根気強く物事の根本に働きかけようとすることである。
0128考える名無しさん
垢版 |
2020/11/05(木) 19:33:08.180
Seyn フォレスト YouTube篇 5 ジャック・デリダのハイデッガー読解を検証する
https://youtu.be/KnbyLJzU_ZY
0131考える名無しさん
垢版 |
2020/11/16(月) 20:12:05.840
Seyn フォレスト YouTube篇 5 ジャック・デリダのハイデッガー読解を検証する
https://youtu.be/KnbyLJzU_ZY
0132考える名無しさん
垢版 |
2020/11/16(月) 21:09:49.900
>>131
ゴミを貼るな
0133考える名無しさん
垢版 |
2020/12/01(火) 23:23:44.210
『弔鐘』の翻訳はいつ出るんですか?
0134考える名無しさん
垢版 |
2020/12/02(水) 10:45:47.580
そんなものは出ません
0135考える名無しさん
垢版 |
2020/12/02(水) 17:49:49.990
 デリダのテキストは凝ってるだけ。中身なし。
買って損する。
0136考える名無しさん
垢版 |
2020/12/02(水) 18:57:39.160
凝ってるから面白い。中身なんて邪魔だ
0137考える名無しさん
垢版 |
2020/12/02(水) 20:39:45.780
中身ってなに?
何を得られれば中身があったと言えるの?
0138考える名無しさん
垢版 |
2020/12/02(水) 23:54:57.270
中身=人生訓

じゃねえか
しらんけど
0139考える名無しさん
垢版 |
2020/12/03(木) 00:52:42.000
たとえばさ。黒沢清の映画なんて中身はねえべ
ただ見ることの気持ちよさがあるのみ
文章も同じで愉しませてくれる芸を読みてえのよ
日本の若い物書きは中身をわかりやすく伝えるのが優先で読みやすい文章を書くことのみに腐心している
芸がねえ、だからつまらねえのよ
0140考える名無しさん
垢版 |
2020/12/03(木) 01:44:09.340
江戸っ子ですか?
0141考える名無しさん
垢版 |
2020/12/03(木) 18:10:04.650
>>137
>中身ってなに?

 とりあえずは我々の生の実感に沿って喋っている
思想でないとね。例えば一人の人間にとって、
誰に指図されたわけでもないのに好きになれないもの
、または何故か分からないが好きなもの、
が何故かある。
 内面世界には限度がついてまわる。また、
内省すれば、その内面世界の形や色はいつどのように
形成されていったのかも分かる。分かったからといって
変更できるわけでもない。さほどに人間とは予め
決定された内面世界を携え生きている。これが
生のリアリティてやつ。また人間の不自由さってやつ。
デリダはそういった生の根源をフィクションとして
扱う。その大胆さが新鮮でもあったのだろう。
デリダの登場時は。
しかし、デリダ自身がそのリアリティのなさや
軽はずみさに気付き、展開しなくなった。

 そういったところが中身がないって言えるわけさ。
文章が華麗なだけ。人間を芯から捉えきれては
いなかった。

 デリダの思想で人間を語り得る?そんな人は
いないしこれからもでない。大学の教養人のまあ
オモチャみたいなものだったのよ。本当はね。
0142考える名無しさん
垢版 |
2020/12/03(木) 22:08:15.990
>>141
生の実感に沿って喋っているかどうかとか人間を芯から捉えきれているかどうかの判断基準ってなに?
0145考える名無しさん
垢版 |
2020/12/04(金) 20:25:02.400
 ま、難解な言い回しな本を読むことで満足し、
教養みにつけたつもりな大学人を生産。実は読み込む
と現実の人間とは対応できない空理論だということにも
気づけない。その手の大学人や学生が信奉者だったん
だろうから。ひょっとしたらデリダの高い本買った
だけで大満足とか(笑)その程度の人が99%だったん
だろうね。
0146考える名無しさん
垢版 |
2020/12/04(金) 21:43:27.400
>>143
だから判断基準はなにかを聞いているんであって書いてあるかどうかは聞いていない
デリダは語れないことを示そうとしたわけだからデリダに否定的なあなたは「書いている」と強弁することしかできないか
0147考える名無しさん
垢版 |
2020/12/04(金) 22:35:36.200
>>145
>人間とは対応できない
今時貴重な噴飯物の「人間中心」主義者(笑)
0148考える名無しさん
垢版 |
2020/12/05(土) 01:17:04.920
そもそも言葉を「人間」の代替物とすることを疑う地点からデリダの思想は始まってるんであってね
「人間の代替物」を「現前性」と言い換えてもいい訳だが
人間に安易に収拾されない言葉が果たして可能かという試みがデリダの文章なのだよ
0149148
垢版 |
2020/12/05(土) 02:43:28.590
×収拾
○収束

失敬つかまった
0150考える名無しさん
垢版 |
2020/12/07(月) 11:44:46.910
>>148
>人間に安易に収拾されない言葉が果たして可能かという試みがデリダの文章なのだよ

 にしては人間内部における他者すなわち出生・履歴
から生じる諸々にたいし鈍感にみえるね。
 人間中心主義における人間をどうとらえるかが
重要で。最初から人間には生長のなかで孕まれる
不自由さがついてまわり、言葉が一人の人間主体に
収束したことなど実際は一度もない。自らにおける
他者に困惑し苦心し、かつ付き合っていくしかない。

 デリダとかに顕著なのが人間の孕む分裂、他者に
たいし鈍感なところだね。
0151考える名無しさん
垢版 |
2020/12/07(月) 21:12:12.000
人間内部における他者にしろ不自由にしろ実体のように捉えるからそういう感想になってしまう
そういったものは説明のための概念であって実体じゃなくてあくまで言葉なわけ
でそれは究極的には語れないわけ
0153考える名無しさん
垢版 |
2021/01/04(月) 00:24:23.420
ジャック・デリダ 『スクリッブル ― 権力/書くこと 付:パトリック・トール「形象変化(象徴的なものの考古学)」』 月曜社 (2020/8/18)

18世紀英国の神学者ウォーバートンによるヒエログリフ論の仏訳書に付された、デリダとトールによる70年代後半の各論考を初めて訳出。
0154考える名無しさん
垢版 |
2021/01/04(月) 13:43:01.960
>>151
>実体のように捉えるからそういう感想になってしまう
そういったものは説明のための概念であって実体じゃ
な くてあくまで言葉なわけ

 (笑)何何?人間における他者とか不自由とか実体でない?
言葉だけ?
 また内省の欠けた発言を(笑)デリダみたいな本
読んでると、自分自身かどういう内面的な生を日頃
過ごしているか、それも見えなくなるのかね。
 デリダこそ言葉の遊戯で、実体とかけはなれた
カッコのよい曲芸のオンパレードだけど。

 やっぱりあーゆーのに慣れちゃうと、なんでもかんでも
実体のない言葉だけ、とか、そういう言い回しに
慣れちゃうのかなあ。じゃあ実体であるかどうかの判定を
どうやる?てことはないんだろう。自分自身の内面を
覗いてみれば、なんでもかんでもできる奴などいない
し、自分の性格的難点はあるし、自分の身体的外貌からして
いやでも付き合わなきゃならない関係にあるし、
心的外貌からしてもなおしたい性癖はあるし、いやでも
〈自己=他者〉と付き合わなきゃ生きていけない。そんなの
常識だろう。なにが実体でない言葉だけなのよ(笑)
あんたが生きているそれ自体でしょ。

 デリダ愛読者ってホントにセンス最低(笑)まあ
読んでる本がマズイんだろうけど。
0155考える名無しさん
垢版 |
2021/01/05(火) 07:06:23.440
結局自己流解釈が人それぞれありますね〜で終わっちゃうのがデリダでしょ?
0156考える名無しさん
垢版 |
2021/01/05(火) 23:45:05.540
>>154>>155
それ、デリダのどの本のことを言ってる?
0158考える名無しさん
垢版 |
2021/01/09(土) 15:29:24.640
デリダデリダデリダ〜
デリダを読むとぉ〜
あたまあたまあたま〜
頭が良くなるぅ〜

デリダデリダデリダ〜
デリダは読解を〜
待っている〜

樫村・浅田・丹生谷・東・柄谷・ニューアカ・ニューアカ〜♪
0159考える名無しさん
垢版 |
2021/01/11(月) 12:04:50.520
>>154
頭悪すぎ

>なんでもかんでもできる奴などいない
>し、自分の性格的難点はあるし、自分の身体的外貌からして
>いやでも付き合わなきゃならない関係にあるし、
>心的外貌からしてもなおしたい性癖はある

それを説明するために人間内部における他者や不自由という言葉を使ってる
0160考える名無しさん
垢版 |
2021/01/21(木) 02:48:46.760
Seyn フォレスト YouTube篇 7 エマニュエル・レヴィナスによるハイデッガー批判を検証する。
https://youtu.be/bztUXf0HUQo
0161考える名無しさん
垢版 |
2021/02/06(土) 04:44:23.010
age
0162考える名無しさん
垢版 |
2021/02/07(日) 18:36:44.050
>>158
ニューアカつーたら、蓮實重彦と中沢新一と栗本慎一郎と小林康夫と石光泰夫と赤間啓之を忘れんなタコ助
0163考える名無しさん
垢版 |
2021/02/07(日) 19:37:38.160
ニューアカって言葉としてしか知らんからいまいち想像できないが
処世術的な啓発書が流行るような感じで、構造と力みたいな本が売れたりしたのか
0165考える名無しさん
垢版 |
2021/02/13(土) 09:04:33.150
ニューアカなんてほんと無駄足だった
もっと他の読むべき本を読んどくべきだったとつくづく思う
0166考える名無しさん
垢版 |
2021/02/13(土) 17:21:42.220
ニューアカって日本の思想の礎を築き上げた人たちですよね
彼らを差し置いて読むべき本なんてありますか?
僕は西田幾多郎や三木清や本居宣長や諭吉よりニューアカ軍団のが上だと思ってます
0167考える名無しさん
垢版 |
2021/02/16(火) 07:23:15.800
age
0170考える名無しさん
垢版 |
2021/02/27(土) 11:40:23.060
age
0171考える名無しさん
垢版 |
2021/02/27(土) 17:13:22.860
ニューアカとは言いながら、中心人物の柄谷と浅田は博士号を
持ってないのが皮肉だな。
0172考える名無しさん
垢版 |
2021/02/27(土) 17:40:10.330
季刊批評雑誌「批評空間」みたいなのを復活させようという試みは
あったんだろうが、今はacademia.eduやresearchgateが基本的にオ
ープンアクセスの論文サイトとして存在してるが、それらの論文は
殆ど英語その他の欧米言語で書かれてるので、それらが読めない人
達との格差が明らかに出来てしまってるので、そのギャップをある
程度埋めるような出版事業への需要は明らかに存在すると思う。
そういう文化事業に日本は金をかけるべきだろう。
確実に日本人全体を活気づけるだろ。
0174考える名無しさん
垢版 |
2021/03/06(土) 12:53:56.590
Glasの翻訳マダー?
出る前に寿命が尽きてまうがな。
デリダの翻訳は毎年ポンポン出るのにどうしてこれを出す出版社と翻訳者が存在しないのか…
0178考える名無しさん
垢版 |
2021/03/07(日) 18:41:49.290
『Glas』では、ページの左にヘーゲル論、右にはジュネ論が同時に展開されている
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/thumb/e/e8/Derridaglas.jpg/200px-Derridaglas.jpg

“弔鐘(グラ)は、われわれが聞くことになるだろう弔鐘は、
 意味作用の、意味の、そして能記の終焉を告げる”

“向かい合わせに置かれた二つのテクストの、ほとんど完全な、完全以上の交差配置。
 たがいに保存しあい見失いあう画廊(ギャラリィ)と書廊(グラフィ)”

― ジャック・デリダ 「弔鐘 Glas(第1-10回)」 鵜飼哲 訳 『批評空間』 太田出版、1997-2001年、各号所収(未完)
0179考える名無しさん
垢版 |
2021/03/07(日) 18:43:09.680
『Glas』を読まないと、デリダのデリダらしさは分からない
0180考える名無しさん
垢版 |
2021/03/07(日) 19:53:13.120
Glasのように左と右の問題はエジプトやギリシャ古代の彫刻の
歩き出す瞬間を捕らえたものに顕著に現れる。
エジプトの王と女王の並び立つ彫刻では女王が王の腰に手を回
してバランスを保ってるものもあるが、だからこそ、男女は同
じく左足を前に踏み出している。女王は極控え目だが。

>>178
>>たがいに保存しあい見失いあう画廊(ギャラリィ)と書廊(グラフィ)”

それにグラフィティを付け加えるべきかも
0181考える名無しさん
垢版 |
2021/04/15(木) 21:56:35.830
仏教などと比較されることの多い
デリダによる「空無」の説明

“ところが、幕屋(それはいくつもの「布帯」からなる織物で、
その余剰分はたえず再利用されなくてはならない。『出エジプト記』、二六章)は、所記なき能記にとどまる。
ユダヤの家庭は空虚な家を形成する。なるほど、ユダヤ人がいっさいの感性的形態の不在に対して鋭い感受性を持ち、
そのために、無限にいわば場所と形象を与えるような対象を作り出そうとしたことは確かである。
だが、この場所、そしてこの形象は、奇妙な構造を備えている。
この構造は、おのれ自身のうちに、おのれの空虚を閉じ込めている。
それが収容しているのは、内化されたおのれ自身の砂漠にすぎない。
それは何に向かっても開かれていない。何も収納していない、空無〔le rien〕以外の宝を包蔵していない。”

― ジャック・デリダ「弔鐘 Glas(第9回)」鵜飼哲 訳『批評空間』太田出版(2000.4)p327
0183考える名無しさん
垢版 |
2021/05/19(水) 06:31:01.710
デリダを読めば、東浩紀がわかる
0184考える名無しさん
垢版 |
2021/05/20(木) 21:07:20.120
>>114
ポストモダン界隈で繰り返し使われてきた言葉「戯れ」「遊動」

デリダの「戯れ jeu」 → ハイデガーの「遊動 Spiel」 → ニーチェ+ヘラクレイトスの「戯れる子ども pais paizon」 → サンスクリット語の「līlā(divine play 神の戯れ)」

“『リグ・ヴェーダ』などと称せられる一切の知識の宝庫は、まさに努力することなく戯れ(līlā)の原理によって、人の吐く息のように、大いなる存在から生じる――「この『リグ・ヴェーダ』は、この大いなる存在から吐き出された」などと聖典に説かれている。”
― シャンカラ 『ブラフマ・スートラ:シャンカラの註釈 上』 湯田豊 訳、大東出版社 (2006) p119

この語には、古代インドの神の目的論的ではない非意志的な生成力というニュアンスがあり、西洋哲学の特異点にしてその後の現代思想に大きな影響を与えたニーチェの哲学に通じるところがある。
ニーチェの友人パウル・ドイセンは、当時のヴェーダーンタ哲学やシャンカラ研究の第一人者。

“〈略〉ブラフマンと合一することが解脱であり、ブラフマンは永遠に清浄だからである。」これらの言葉は、
シャンカラの注釈によるものであり、わたしはこの言葉を、ヨーロッパにおいてインド哲学の最初の精通者となった友人のパウル・ドイセンから引用している。
〈略〉[世界の]最大宗教のうちでもっとも深いこの宗教の信者たちは語る。「深き眠りのうちで、魂はこの肉体から抜け出し、いと高き光のもとを訪れ、かくしてみずからの姿をまとう。魂はそこで彷徨するいと高き精神と一つになり、女と、車と、友とともに、戯れ、遊び、楽しむ。
荷物を引く獣が貨車に繋がれているように、プラーナ(生の息)はこの肉体に繋がれているが、魂はもはやこの肉体という付属物に思いをいたすこともない」。”(3:17)
― ニーチェ 『道徳の系譜学』 中山元 訳、光文社 (2009) p266-268
0185考える名無しさん
垢版 |
2021/06/10(木) 11:20:51.810
ジャックデリダ
ジャックデリダ
ジャックデリダのおーじーさんっ♪
0187考える名無しさん
垢版 |
2021/06/30(水) 20:22:52.470
最近『グラマトロジーについて』読み始めたけど思ってたより難しい
これでもデリダにしては読みやすいほうなのか
0188考える名無しさん
垢版 |
2021/06/30(水) 21:52:56.180
日本語訳が悪いからだよ
0189考える名無しさん
垢版 |
2021/06/30(水) 21:57:36.380
邦訳が出たのが84年だからかなり早い時期
労作なんだろうけどもさすがに古い訳になってるかな
最近の研究成果を踏まえた若手の新訳が欲しい
0190考える名無しさん
垢版 |
2021/06/30(水) 22:13:53.910
ところが新訳企画が止まったらしい
現代思潮新社の稼ぎ頭なのか
0191考える名無しさん
垢版 |
2021/06/30(水) 22:46:00.140
デリダの文章は余り説明的じゃなくて、思い付きでどんどん
書き進められるから、詩的である面もあって、読みづらいと
感じる人も多いだろう。
オリジナルな思想家の文章はある程度、理解しにくいのはしょ
うがないような。
0192考える名無しさん
垢版 |
2021/07/01(木) 08:41:23.020
あれを読みづらいと感じない人もいるのか
0193考える名無しさん
垢版 |
2021/07/01(木) 09:22:49.710
フランス語で読めば言うほどむすくない
0194考える名無しさん
垢版 |
2021/07/01(木) 17:04:35.780
>>192
大学の教員でデリダの研究者に過ぎない者が
学生に分かり易く解説するのと、デリダが自
作を書くのとでは姿勢が違うだろ。
オリジナルなライターは読者の為だけに書い
てる訳じゃない。
自分が思考した足跡を止めておくためや、自
分が何処まで思考できるかが重要で、読者の
理解は二の次、三の次の場合も有り得る。
というか、それで十分だと俺は思う。
0195考える名無しさん
垢版 |
2021/07/02(金) 15:21:03.200
コナンの最終回を読むのと弔鐘の日本語訳を読むのは諦めてる
出る前に寿命がくる
0196考える名無しさん
垢版 |
2021/07/02(金) 19:43:06.230
鵜飼哲はなにやってんの
0197考える名無しさん
垢版 |
2021/07/03(土) 09:14:28.260
本、ちょこちょこ読むくらいで正確ではないかもだけど、
脱構築はそれぞれが本読んだりいろいろやったりして、永劫回帰をしていくことで実現されんの?
0199考える名無しさん
垢版 |
2021/07/03(土) 22:34:00.060
>>198
例えば、どこでどういう風に起こっているの?
0200考える名無しさん
垢版 |
2021/07/05(月) 18:35:05.120
なんか昔の現代思想を紹介した文章でたまに「80年代は若者の間で「脱構築しゃうぞ!」なんて言葉が流行った」とかの
記述を見かけるけどウソだろ?
誰も言ってないだろ?
当時若者だった人がそんなこと言ってるの見たこともないんだが…
0201考える名無しさん
垢版 |
2021/07/05(月) 19:02:08.360
中森明夫は言ってそう
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