そもそも言葉を「人間」の代替物とすることを疑う地点からデリダの思想は始まってるんであってね
「人間の代替物」を「現前性」と言い換えてもいい訳だが
人間に安易に収拾されない言葉が果たして可能かという試みがデリダの文章なのだよ