□ ジャック・デリダ Jacques Derrida 8 □ [無断転載禁止]©2ch.net
>>114 ポストモダン界隈で繰り返し使われてきた言葉「戯れ」「遊動」 デリダの「戯れ jeu」 → ハイデガーの「遊動 Spiel」 → ニーチェ+ヘラクレイトスの「戯れる子ども pais paizon」 → サンスクリット語の「līlā(divine play 神の戯れ)」 “『リグ・ヴェーダ』などと称せられる一切の知識の宝庫は、まさに努力することなく戯れ(līlā)の原理によって、人の吐く息のように、大いなる存在から生じる――「この『リグ・ヴェーダ』は、この大いなる存在から吐き出された」などと聖典に説かれている。” ― シャンカラ 『ブラフマ・スートラ:シャンカラの註釈 上』 湯田豊 訳、大東出版社 (2006) p119 この語には、古代インドの神の目的論的ではない非意志的な生成力というニュアンスがあり、西洋哲学の特異点にしてその後の現代思想に大きな影響を与えたニーチェの哲学に通じるところがある。 ニーチェの友人パウル・ドイセンは、当時のヴェーダーンタ哲学やシャンカラ研究の第一人者。 “〈略〉ブラフマンと合一することが解脱であり、ブラフマンは永遠に清浄だからである。」これらの言葉は、 シャンカラの注釈によるものであり、わたしはこの言葉を、ヨーロッパにおいてインド哲学の最初の精通者となった友人のパウル・ドイセンから引用している。 〈略〉[世界の]最大宗教のうちでもっとも深いこの宗教の信者たちは語る。「深き眠りのうちで、魂はこの肉体から抜け出し、いと高き光のもとを訪れ、かくしてみずからの姿をまとう。魂はそこで彷徨するいと高き精神と一つになり、女と、車と、友とともに、戯れ、遊び、楽しむ。 荷物を引く獣が貨車に繋がれているように、プラーナ(生の息)はこの肉体に繋がれているが、魂はもはやこの肉体という付属物に思いをいたすこともない」。”(3:17) ― ニーチェ 『道徳の系譜学』 中山元 訳、光文社 (2009) p266-268 ジャックデリダ ジャックデリダ ジャックデリダのおーじーさんっ♪ お前なんか脱構築しちゃうぞっ! (`・ω・´)キリッ. 最近『グラマトロジーについて』読み始めたけど思ってたより難しい これでもデリダにしては読みやすいほうなのか 邦訳が出たのが84年だからかなり早い時期 労作なんだろうけどもさすがに古い訳になってるかな 最近の研究成果を踏まえた若手の新訳が欲しい ところが新訳企画が止まったらしい 現代思潮新社の稼ぎ頭なのか デリダの文章は余り説明的じゃなくて、思い付きでどんどん 書き進められるから、詩的である面もあって、読みづらいと 感じる人も多いだろう。 オリジナルな思想家の文章はある程度、理解しにくいのはしょ うがないような。 >>192 大学の教員でデリダの研究者に過ぎない者が 学生に分かり易く解説するのと、デリダが自 作を書くのとでは姿勢が違うだろ。 オリジナルなライターは読者の為だけに書い てる訳じゃない。 自分が思考した足跡を止めておくためや、自 分が何処まで思考できるかが重要で、読者の 理解は二の次、三の次の場合も有り得る。 というか、それで十分だと俺は思う。 コナンの最終回を読むのと弔鐘の日本語訳を読むのは諦めてる 出る前に寿命がくる 本、ちょこちょこ読むくらいで正確ではないかもだけど、 脱構築はそれぞれが本読んだりいろいろやったりして、永劫回帰をしていくことで実現されんの? >>198 例えば、どこでどういう風に起こっているの? なんか昔の現代思想を紹介した文章でたまに「80年代は若者の間で「脱構築しゃうぞ!」なんて言葉が流行った」とかの 記述を見かけるけどウソだろ? 誰も言ってないだろ? 当時若者だった人がそんなこと言ってるの見たこともないんだが… でも実際スキゾやパラノは流行語みたいな感じだったんでしょ?『構造と力』が売れまくったり。 当時をよく知らない自分はそれすら信じられない。 聞いたら意外と昔を語ってくれるよ ただのおっさんおばさんと思ってた人が過去に一瞬費した古えの時代の証言を語り出すのは面白い 西欧人にとっては自分の足元の聖書と古典学を研究することが脱構築なんだと思う 脱構築の2つのテーゼ 「脱構築は正義である」 「脱構築できないものは脱構築それ自体と正義である」 >>205 そういうところが限界だろうね。 龍樹の「空亦復空」は、仏教の空それ自体もまた空ぜられねばならない、というものだったから。 2世紀の頃には既に。 ドゥルーズはけっこう文庫になってるのにデリダは全然なのね 『散種』読んでみたいけどなかなかのお値段… グラマトロジー文庫企画失敗らしい現代思潮新社が小金稼ぎ奪われたくないからクソ訳手放さなかったもよう その話はリアルなリーク? うわぁ… グラマトロジーが文庫になったかもしれないのか それも新訳で ポシャったのは悲しい 通俗的なSF小説みたいなドゥルーズよりはまともだからな しかし日本はドゥルーズ研究者はウジャウジャ居て、ドゥルーズ紹介/研究本も山のよう デリダなんてこれっぱかしもない だからこの国は駄目なんだ もっと若い世代のデリディアン大量に出てこいよ >>212 テクストにおける構造の破壊と再構造化を示す試みは、メタ構造(言語)の中で行われており、結局のところ構造から逃れることはできない 人類の歴史において言語は変化しながら定着(ドゥルーズを意識して「土着」とでも言おうか)した ラングにおける変化はラングそのものによってではなく、常にパロールによってつまり人間の介入によってなされた 脱構築もまた、その介入の一種であることはデリダ自身も認めるところであり、脱構築に特権的な地位を認める理由はどこにもない 変化が人間の介入によるのなら構造や記号に自律性があると言えるのか 以上から、デリダ研究は哲学史の枠の中にとどまらざるをえない >>212 自分で読んで見つけることも出来ないような奴が 他人任せで偉そうなことを言うな >>214 哲学史の中に留まるならそれは内在性の哲学だな ドゥルーズは内在性の哲学を志向しながら結局は超越論=SFになってしまった >>214 ちょっと福嶋亮太を連想した。 けど、文字とか(構造や記号)をつくったのは、人間だよ。 ああけど、言語って、人間がつくった感じなのかな? 自然発生的なのかどうか、というか。 文字だったら、人間がつくったって言えそうだけど。 グラマトロジー読み終わったけど、ここまでルソーで(特に下巻)埋め尽くされてるとは思わなんだ 何か妙にルソーにシンパシーが湧いたので著作読んでみたくなった ただ自分の頭が悪いせいか、翻訳に由来するものかわからんが「それ」とかの 代名詞が何を指し示してるのかわかりづらく「それってどれだよ!」って箇所が結構あって苦戦した。 デリダは偉いけど、ヘブライ語はおろかギリシャ語もラテン語すらできない日本の哲学研究者って問題じゃない? 哲学とか文学の研究者って大昔に(近年のものでも)他人が書いた文章について朝から晩まで考え込んでて、そういうことに 神経すり減らして頭おかしくならないのかな デリダは難解なテクストを読んで難解な思考をして自分でも難解なテクストを書く しかしそこまで細密なテクストに価値はあるんだろうか もし自分が書いたことが全て誤謬であったらどうするんだろうか ただの言語の遊戯に過ぎなかったら >>227 いくらでも逆張りできるから正解はないし誤謬もない 真理は存在しない そういう意味ではただのゲーム >>228 君の示唆に富まない14文字よりは多少は考えてるようだが おい 日本のデリダ研(や)ってる奴ら 自分がデリダを論じた本だのデリダ派のザコの翻訳だの出してる場合かよ 『Glas』の翻訳出せ いい加減にせえよほんまに 巫山戯るのもいい加減にしろ “遠回り” もほどほどにせえよ “ゴミテクスト” は要らん “本丸” を出せ わかったかバカヤロウ 鵜飼哲にチェック入れてた浅田彰という体制がなくなったからねえ 鵜飼みたいなベテランじゃなくても若手の野心のある人がやってもいいのに 迂闊に手を出すと恥を掻くぐらい難解なテクストだから誰もやりたがらないんだろうか デリダぐらいの大哲学者の最高傑作と言われてる本の翻訳がこれだけ出ないうえハレモノのように誰も触れないのは何か事情があるのか 鵜飼が投げたから遠慮して誰も手を挙げられないとか なら鵜飼先生に再着手をお願いしたい ネットで活動している脱構築研究会の人たちざっくばらんだから聞いたら教えてくれそう 『Glas』は国会図書館から遠隔複写で取り寄せたらいい https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/search?title=%E5%BC%94%E9%90%98& ;creator=%E9%B5%9C%E9%A3%BC&sort_issued=desc&searchCode=DETAIL 弔鐘(1) 雑誌記事 Jacques Derrida, 鵜飼 哲 訳 <Z23-B31> 掲載誌 批評空間. 2期 (通号 15) 1997.10 p.249〜234 弔鐘(2) 雑誌記事 Jacques Derrida, 鵜飼 哲 訳 <Z23-B31> 掲載誌 批評空間. 2期 (通号 16) 1998.01 p.297〜282 弔鐘(3) 雑誌記事 Jacques Derrida, 鵜飼 哲 訳 <Z23-B31> 掲載誌 批評空間. 2期 (通号 18) 1998.07 p.249〜232 弔鐘(4) 雑誌記事 Jacques Derrida, 鵜飼 哲 訳 <Z23-B31> 掲載誌 批評空間. 2期 (通号 19) 1998.10 p.269〜248 弔鐘 Glas(5) 雑誌記事 ジャック デリダ, 鵜飼 哲 訳 <Z23-B31> 掲載誌 批評空間. 2期 (通号 20) 1999.01 p.269〜256 弔鐘(6) 雑誌記事 Jacques Derrida, 鵜飼 哲 訳 <Z23-B31> 掲載誌 批評空間. 2期 (通号 22) 1999.07 p.249〜232 弔鐘(7) 雑誌記事 Jacques Derrida, 鵜飼 哲 訳 <Z23-B31> 掲載誌 批評空間. 2期 (通号 23) 1999.10 p.285〜268 弔鐘(8) 雑誌記事 Jacques Derrida, 鵜飼 哲 訳 <Z23-B31> 掲載誌 批評空間. 2期 (通号 24) 2000.01 p.241〜232 弔鐘(9) 雑誌記事 Jacques Derrida, 鵜飼 哲 訳 <Z23-B31> 掲載誌 批評空間. 2期 (通号 25) 2000.4 p.329〜308 弔鐘(第10回) 雑誌記事 Jacques Derrida, 鵜飼 哲 <Z71-F761> 掲載誌 批評空間. 第3期 (1) 2001 p.273〜256 鵜飼訳の『Glas』はデリダ関連の文献の中でも最高峰のもの 日本の凡百のデリダ学者の100のデリダ論より『Glas』と『La carte postale』の翻訳出せよ 三流学者の駄文なんて要らんよ 実地のテクストに当たるから > 法政大学出版局 > @hosei_up > ・ > 10時間 > 【近刊】 > > J.デリダ:著, 谷口 博史:訳 > > 『エクリチュールと差異〈改訳版〉』 > > 痕跡、差延、脱構築などの概念によって構造主義以後の哲学思想界を決定づけた名著。全面的に訳文を改訂、更に読みやすくなった新版。 3回目の邦訳 同じ日 哲学の余白 上・下 新装版 叢書・ウニベルシタス ジャック・デリダ 発売日 : 2022年04月26日 ドゥルージアンはしばらく研究者に困らないけどデリダは人材ほぼいなくないですかね 翻訳出回ってないのが原因かと 翻訳書より、デリダ論の方が売れるから、翻訳者もやる気無くすよねwww 今ではみんな忘れているけど東浩紀ってデリダ論で世に出たんだよな あの時期になんとかならなかったの デリダの著作の翻訳の問題点は原著者の奇をてらったライティングスタイルにあると思う。 それがデリダの作品の読みづらさに繋がってるんじゃないか? かなりトリッキーな人。不倫で子供も作ってますしお寿司www 人柄のトリッキーさはさほどでもないのでは フーコーみたいな怪人と比べれば普通の人 デリダもかつては最新、でも故人だから論に埋もれていく。特に知りたがり日本は、そういうの好きだし、売れる広告塔がないと学者の飯問題がある。しかも消費者は高齢者がボリュームゾーン。 流行らないほうが秘教感があるし己の(知的)エリート意識を満足させられるからいい 馬鹿には読んで欲しくない ただあとは『Glas』の翻訳、『De la grammatologie』の新訳、『La carte postale』の翻訳の完成があれば⋯⋯ 「広告塔」というだけですよ。張り合うことはない。 デリダもフーコーも、もはや"語らない"わけです。 もちろん僕は知的エリートでもなんでもないですが、気分だけでも浸りたいということです 叢書・ウニベルシタス 1143 エクリチュールと差異〈改訳版〉 J.デリダ:著, 谷口 博史:訳 四六判 / 654ページ / 上製 / 価格 5,940円 (消費税 540円) [2022年04月26日 刊行] https://www.h-up.com/bd/isbn978-4-588-01143-6.html 発売日を「26日」としてるのは別ソースから。 叢書・ウニベルシタス 771 哲学の余白 上〈新装版〉 J.デリダ:著, 高橋 允昭:訳, 藤本 一勇:訳 四六判 / 384ページ / 上製 / 価格 4,400円 (消費税 400円) [2022年04月26日 刊行] https://www.h-up.com/bd/isbn978-4-588-14066-2.html 叢書・ウニベルシタス 772 哲学の余白 下〈新装版〉 J.デリダ:著, 藤本 一勇:訳 四六判 / 374ページ / 上製 / 価格 4,400円 (消費税 400円) [2022年04月26日 刊行] https://www.h-up.com/bd/isbn978-4-588-14067-9.html 発売日を「26日」としてるのは別ソースから。 >>258 了解です。自分も最近デリダ見直しましたが、もとはフーコー好きです。 ちなみに『余白 Marges』は「新装版」なので新訳ではなくカヴァーが変更になるだけでしょうねおそらく 近刊検索デルタ:触覚、 5月27日発売予定青土社 触覚、ジャン=リュック・ナンシーに触れる ジャック・デリダ/著 定価:5,280円(4,800円+税) 判型:四六 内容紹介 現代思想も陥る西洋哲学史の罠 アリストテレスから現代にいたる哲学が、触覚の直接性に基づく「直感主義」の罠に陥る様を詳細に分析し、それを免れたナンシーの哲学の可能性を押し開く。現象学からドゥルーズを含むフランス現代思想全般を初めて批判的に論じ、その精神的背景としてのキリスト教=グローバリゼーションの脱構築を試みたデリダ晩年の哲学的主著。 https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784791774708 >>259 5月23日に延期 エクリチュールと差異〈改訳版〉 J.デリダ(著) - 法政大学出版局 | 版元ドットコム https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784588011436 >>260 こちらは変わらず4月26日 哲学の余白 上〈新装版〉 J.デリダ(著) - 法政大学出版局 | 版元ドットコム https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784588140662 哲学の余白 下〈新装版〉 J.デリダ(著) - 法政大学出版局 | 版元ドットコム https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784588140679 日本のデリダ派はインフレが進んでどんどん安っぽくなってない? 有象無象の哲学ジャーナリストばっかりって感じ 東浩紀なんかもそうだけど、博士号取ったらすぐ安易にデコンストリュクスィヨンを応用した社会批評家みたいになるからね エッセイストみたいなのに 晦渋な作物は書かなくなる ま、ドゥルーズ派も同じだけどね 最初の理論的主著となる本を出したらハウトゥー本や自己啓発本みたいなのしか書かなくなる スターは大体こんな感じ 「悪い場所」ってやつだと思うわ その点では中身がどうあれ理論構築を続けている柄谷は何歩かマシ 浅田はだから最初の1、2冊出して単著は出さなくなったんかな 課程博士とかいう安い博士号を乱発したからね 実力がないから評論家になる 絶版などで入手困難となった資料をパソコンやスマートフォンで 閲覧できるようにするサービスを国立国会図書館が5月19日から始めることになりました。 対象となるのは、国立国会図書館が所蔵し、すでに電子データ化された書籍や雑誌、論文など150万点余りです。 入手困難な絶版など パソコンやスマホで閲覧可能に 国会図書館 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220430/amp/k10013606071000.html デリダは社会不適合者にとって都合の良い言い訳になってる 自己顕示欲の強い研究者にとっては本領発揮の場所だからね だから、うじゃうじゃ出てくる 宮﨑裕助という人も、デリディヤンの中では間違いなく有名でスターなんだけど、入門書や自己啓発本の執筆依頼が来るほどアイドル性はないので(いい意味で地味)──今のところは──真面目にやってる印象 哲学徒が書いたハウツー本や人生指南の書のたぐいほど読みたくないものはない 出版社も新聞・テレビと同じマスメディアの一部なのかな? 外面というか見栄えが良くて派手な世間受けするお手軽な人ばっかりプロデュースしてる気がするんですけど。 まあ本が売れないと会社が潰れちゃうからしょうがないのかもしれないですが。 昔は「フランス現代思想ブーム」があったから難解な文章、言い換えれば変な文章が主にマイナー処の出版社から大量にリリースされていた 今はそういうリスクが冒せなくなったのでリーダブルな文章で書かれた本しか出せなくなった “思想界のそのまんま東” 東浩紀の文章も相当読み易さに特化している デリディヤンなのに・・・・・・ ポストモダンってドイツ観念論やら現象学~構造主義の最低限の下地がないと そもそもまず何を言ってるのかすら、さっぱりわからないはずなのに あんなものが流行ったこと自体が信じられない。 そういう意味じゃ、まだ今の方が相対的には健全とすら思える。 東「あのこれさ、自民党は統一教会と関係しているからこのようなテロを招いたということを言った?もしかしたら」 安倍/自民党/統一教会擁護… デリディヤンが右傾化しネトウヨになってしまうとは… その後もしばらくやり取りを続けた後、福島瑞穂氏が居なくなると同時に東浩紀氏が怒り気味に 「あのこれさ、自民党は統一教会と関係しているからこのようなテロを招いたということを言った?もしかしたら」 というようなコメントをしたところ、主演していた石戸諭氏や夏野剛氏らも福島氏の発言を批判するコメントを連発。 この期に及んで「統一教会がカルトかどうかなんて僕にはわからない」なんて空っとぼけるのは擁護するのと同じですよ あえて語るとすれば、黙示録的思想家と目されるデリダやベンヤミンにおける宗教性は一神教国家において 聖書のコミュニティが依然として政治的保守主義の陣営に分類されうることと切り離して考えることはできない 現代思想と聖書古典学を結びつけるような王道を歩む研究者はいないのか? 宮﨑裕助の「ここ数年来の懸案だった大物の訳書」って『弔鐘 Glas』じゃないよなあ 今「時間と自由」を読んでるけど、ベルクソンのいう“質”とか“持続”が なんとなく差延に通ずるようなこと言ってるように思えた。 デリダってベルクソンに関してはなんか言及してるのかな。 たぶんほとんど言ってないんじゃないのかな まとまった仕事は残してないはず まぁあまりデリダとは関連性なさそうよね ただなんとなくベルクソンの「記憶」とエクリチュール、「持続」と差延が符合するように思えて ドゥルーズの『差異と反復』読んだときもちょっと思ったんだけど 読むことのアレゴリー ポール・ド・マン(著/文) - 講談社 | 版元ドットコム 講談社学術文庫 読むことのアレゴリー ポール・ド・マン(著/文), 土田 知則(翻訳) 発行:講談社 文庫判 576ページ 定価 2,000円+税 発売予定日 2022年12月15日 https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784065302279 >>292 yusuke miyazaki @parages 長らく版元品切中だった、ポール・ド・マンの主著『読むことのアレゴリー』が12月に文庫化! しかも講談社学術文庫で!! 午後5:58 · 2022年10月18日·Twitter Web App https://twitter.com/parages/status/1582294981108465664 . https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 最近はデリダをやって手っ取り早く名を上げようとする哲学ジャーナリストばっかりでつまらない 出版時に読んだんだよな 来年かなと思いながらはや15年か 白人至上主義の牙城たる白人ロック、白人映画、その支配下にある日本のポップ・ミュージック、日本の映画界を脱構築しない 日本のデリディヤンは腑抜け 彼らにとっては脱構築されたくない「美しき聖域」なのだろう 宮﨑裕助のはド・マン論(講演『記憶/回想 Mémoires』でしたか 高い本なので『郵便葉書II』とは発売月をずらす配慮が欲しかった(共に出版元は水声社) 一応広義でのデリダ派なので 「哲学のノーベル賞」柄谷行人がバーグルエン哲学・文化賞を受賞 アジア人初の快挙|Real Sound|リアルサウンド ブック https://realsound.jp/book/2022/12/post-1205566.html 「哲学のノーベル賞」柄谷行人がバーグルエン哲学・文化賞を受賞 アジア人初の快挙(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/94f9a948a1200829cadd1ff7ee824f244046b5fb 最近、中国が各国の左派知識人を金銭的に援助するための工作を行っている。 これは広い意味で世界与論工作の一部である。 斎藤幸平や柄谷行人の受賞もこうした中国による工作の一環である可能性がある。 賞の審査委員に中国(共産党)関係者がいればクロと考えるべきだ。 今日びはドゥルージヤンですら自分たちがやってることを「脱構築」と称するぐらいだからデリダ(派)の勝利なんですよ 日本ではデリダやってる人よりドゥルーズやってる人が圧倒的に多いけど、海外では逆なのでは? ドゥルーズはさほど評価されてなくて、みんな「自分がやってるのは脱構築だ」と言うでしょ つか「批評空間」誌などにコミットしておられたりデリダ関連の書籍で名前を見かける方なので 脱構築建築をやっておられる人なのかと思ってましたが途中から(?)脱構築批判に転じられた(?)方なのですね 日本のデリディヤンは非デリダ的なリーダブルな文章を書く人しかいないな 東浩紀も、処女作『存在論的、郵便的』から既に「自分は非デリダ的な文体でしか書かない(書けない)」と予防線を張っている 小泉義之がTwitterで中・後期大江を否定してたけど、中・後期大江が読めない人=テクストが読めない人が ドゥルーズをやっているというね 日本のドゥルージヤンはレヴェルが低いですなあ 《congé》≒「み(身)まか(罷)り」≒《con(≒「身」)gé(≒「罷り」)》である。 《congé》の"con-"は、この場合、例えば、日本語で出かけるときに「身(み)支度」をすると表現されるように、「身(み)」に対応する表現として用ゐられている。 >원하다 Verb 원하다 • (wonhada) (infinitive 원해 or 원하여, sequential 원하니, hanja 願하다) to want (for), to hope (for) 「王(wang/ワン/ワニ)、湾/碗(wan/ワン)、もしくは環/輪(わ)の中空」としての「を(wo)」 >>315 水(みづ)が凍(こほ)って氷(こほり)としてみづから(身づ柄/自ら)が固(かた)まることが"congeal"であり、 凍/縛(しば)れて塊(かたまり)となったみづから(身づ柄/自ら)が解かれた様態となるのが《congé》である。 >D’autant que la discipline ordinaire d’un Estat qui est en sa santé, ne pourvoit pas à ces accidens extraordinaires : elle presuppose un corps qui se tient en ses principaux membres et offices, et un commun consentement à son observation et obeïssance. l’aller legitime est un aller froid, poisant et contraint, et n’est pas pour tenir bon à un aller licencieux et effrené. (出典 fr.wikisource.org/wiki/Essais/Livre_I/Chapitre_23) 「甕」のことを「もたひ(毛太比)」と呼ぶ。 「もたひ」とは、「も(持)た・ふ」の名詞形であり、もはや言うまでもなく、「もた(≒《tenant》・ひ(≒《con-》)」、つまり、英語の"container"である。 こうして、誰にも感謝されないことを粛々と書込みつづける。 デリダのデコンストラクションが造船業界のデコンストラクション(解体)にヒントを 得たものではないかという気はする。船こそは古代の木造船時代から解体されて、部品は再利用されたり、 鉄船時代以降は部品の再利用や、鉄くずを再生させたりしてきた。 デリダはユダヤ系だが、ユダヤ人は地中海の船舶解体業の多分、主役だった。アメリカの船舶解体業の殆どは ユダヤ系だ。造船はその船舶の将来のデコンストラクション解体が前提になっている。 デリダにおいてはデコンストラクションという用語の初出は1967年のグラマトロジーとされてるが、デリダは 何らかの運動の解体と再出発を考えていたのかも。それが1968年の新左翼運動の解体だった可能性はどうなのか? >>328 丹下健三はデコンストラクションの建築家に含められることはないが、彼が船のモチフを好んで使っていたことは 有名で、彼の建築デザインの図書館?だったかが、老朽化したのを再利用のアイデアを近年に公募していたことが 目を引く。この図書館のデザインも船に関係していた。 万葉集 第12巻 3081番 玉緒乎 片緒尓搓而 緒乎弱弥 乱時尓 不戀有目八方 玉の緒を片緒に縒りて緒を弱み乱るる時に恋ひずあらめやも たまのをを かたをによりて ををよわみ みだるるときに こひずあらめやも 万葉集 第7巻 1316番 河内女之 手染之絲乎 絡反 片絲尓雖有 将絶跡念也 河内女の手染めの糸を繰り返し片糸にあれど絶えむと思へや かふちめの てそめのいとを くりかへし かたいとにあれど たえむとおもへや 万葉集 第11巻 2791番 片絲用 貫有玉之 緒乎弱 乱哉為南 人之可知 片糸もち貫きたる玉の緒を弱み乱れやしなむ人の知るべく かたいともち ぬきたるたまの ををよわみ みだれやしなむ ひとのしるべく (出典 万葉集ナビ) >consertare 伊和中辞典 2版の解説 1 ⸨稀⸩組み合わせる, 交錯させる. 2 ⸨古⸩確かめる. >あざな・う〔あざなふ〕【▽糾う】 糸をより合わせる。縄をなう。絡ませるようにして交え合わせる。「禍福は―・える縄のごとし」 [類語]縒る・綯う・縒り合わせる・縒りを掛ける・捻る (出典 デジタル大辞泉) な(汝/己)というかた(片)を(緒/乎)/いと(糸)、つまり、かた(片)み(身)に「『絲』を『を(惜)しむ』存在者」として物象化されて意識される(すなはち、メタ意識において言語化されて捉へられる)意識の働きは、あざな(糾)はれることによ(依/縒)りつくろ(繕)はれる。 >consertar Etymology From Old Galician-Portuguese [Term?], from Vulgar Latin *cōnsertāre, a frequentative verb formed from Latin cōnsertus, perfect passive participle of cōnserō (“fasten, connect, join, bind”). Verb to fix, to repair Synonyms: arrumar, reparar. (出典 en.wiktionary.org/wiki/consertar) >consertar ❶ 修理する ❷ 繕う ❸ 正す,直す;整える (出典 プログレッシブ ポルトガル語辞典) 「な(汝/己)のいとを(惜)しさ」を詠んだ歌には、男性が女性の立場を借りて詠んだものや、男性として歌を詠みながらも、自身に向けての女性の立場を詠み込んだものが少なくない。 その場合、な(汝/己)を(片)み(身)に思ふ心は、男性の「ををしさ」が「否応なし」であることが分かっていることを示しながらも、その「ををしさ」をうら(裏/心)から支えるように補完するものとしても、ただそのままに受け容れることができるものとしても意識されてはいない。 むしろ、その「な(汝/己)のいとを(惜)しさ」は、男性の「ををしさ」とは、原理的に相容れないものとして認識されていることをはっきりと示しており、「ををしさ」が否応なしのものであるとしても、それを優先することが好ましいとはされていない。 では、男性に求められる「ををしさ」への一元化を実際に働きかけているのは、一体だれなのか、どのうような言説なのかと問ふことになるだろう。 現代に流通している言論においてどのような言説がそれを実際に働きかけているのかを考へてみるなら、一見したところ意外に感じられる答へに行き当たることになるだろうと私は思ふ。 なつ山の 峰のこずゑし 高ければ 空にぞせみの 声も聞こゆる (出典 新潮日本古典集成、『和漢朗詠集』、p.79) ことばの表現を解釈するのに、手がかりとなるこゑ(声)の使はれ方の対応関係を無視してはならないだろう。 私には、この「強調の助詞」とされる日本語の古語の「し」の用法は、明らかに中国語の「是」に対応しているように見え、また、岩波古語辞典の「基本助詞解説」に記載される「し」の解釈は、理路がまったく不明であるように思える。 >し 精選版 日本国語大辞典 「し」の意味・読み・例文・類語 [1] 〘副助〙 指示して強調する。 (kotobank.jp/word/し-515145) 漢字表記の文字化けとして表示される記号列をそのまま書き込み欄にコピペすると、元の漢字表記に戻るんだね。 >这「し」是不是「是」 私は、中国語の学習者ではないが、このように意識してみることは、私が中国語を学習する手がかりとして役立つ。 「私に役立つのだから、他の人々にも役立つはずである。」 かつて対象として扱っていた課題は、これとはまったく別のものであったが、私はそのように考えて、自分が気づいたことを他人に伝へようとすることが常だった。 しかし、その頃には、まだ私が大きな勘違いをしていることに気づかなかった。 それは、私が、「他人にも役立つことを伝へたなら、その行為は、他人から肯定的に評価され、報酬を与えられることがないとしても、少なくとも感謝されるはずだ」と思い込んでいたことである。 ところが、私が伝へることが、実際に役立つか否かにかかわらず、そのような行為は、ほぼ確実に、無視されるか、罰せられるか、報復行為の対象となるかのいずれかなのだ。 私は、愚かだったので、長い間、そのことを、「自分がどのようにか誤解されているのだ」と信じ、そのように自分を無理に説得しようとしていた。 それなりに長い経験を経て気づかされることになったのは、私の方が大きな誤解をしていたということである。 とはいえ、私は、反省して行ひを改めるようになったわけではなく、報復行為によって私自身にもたらされ得る実害には注意しながらも、減らず口を叩くことをやめようとは思わないのだ。 >>336 お前が俺の327,328の画期的なレスを流すために下らんレスをしたのは分る。 俺はデリダのdeconstructionが脱構築でなくて解体であることを主張し、 東大の由良君美の「deconstruction=脱構築」の和訳の馬鹿馬鹿しさを明らかにした。 デリダのdeconstruction=解体でなければ、人間中心主義を超えた現代のエコロジーに繋がらない。 「口臭がどうたら」とかでマジになってるとか発狂したのか東浩紀は 気持ち悪すぎる read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる