□ ジャック・デリダ Jacques Derrida 8 □ [無断転載禁止]©2ch.net
>>114
ポストモダン界隈で繰り返し使われてきた言葉「戯れ」「遊動」
デリダの「戯れ jeu」 → ハイデガーの「遊動 Spiel」 → ニーチェ+ヘラクレイトスの「戯れる子ども pais paizon」 → サンスクリット語の「līlā(divine play 神の戯れ)」
“『リグ・ヴェーダ』などと称せられる一切の知識の宝庫は、まさに努力することなく戯れ(līlā)の原理によって、人の吐く息のように、大いなる存在から生じる――「この『リグ・ヴェーダ』は、この大いなる存在から吐き出された」などと聖典に説かれている。”
― シャンカラ 『ブラフマ・スートラ:シャンカラの註釈 上』 湯田豊 訳、大東出版社 (2006) p119
この語には、古代インドの神の目的論的ではない非意志的な生成力というニュアンスがあり、西洋哲学の特異点にしてその後の現代思想に大きな影響を与えたニーチェの哲学に通じるところがある。
ニーチェの友人パウル・ドイセンは、当時のヴェーダーンタ哲学やシャンカラ研究の第一人者。
“〈略〉ブラフマンと合一することが解脱であり、ブラフマンは永遠に清浄だからである。」これらの言葉は、
シャンカラの注釈によるものであり、わたしはこの言葉を、ヨーロッパにおいてインド哲学の最初の精通者となった友人のパウル・ドイセンから引用している。
〈略〉[世界の]最大宗教のうちでもっとも深いこの宗教の信者たちは語る。「深き眠りのうちで、魂はこの肉体から抜け出し、いと高き光のもとを訪れ、かくしてみずからの姿をまとう。魂はそこで彷徨するいと高き精神と一つになり、女と、車と、友とともに、戯れ、遊び、楽しむ。
荷物を引く獣が貨車に繋がれているように、プラーナ(生の息)はこの肉体に繋がれているが、魂はもはやこの肉体という付属物に思いをいたすこともない」。”(3:17)
― ニーチェ 『道徳の系譜学』 中山元 訳、光文社 (2009) p266-268 ジャックデリダ
ジャックデリダ
ジャックデリダのおーじーさんっ♪ お前なんか脱構築しちゃうぞっ! (`・ω・´)キリッ. 最近『グラマトロジーについて』読み始めたけど思ってたより難しい
これでもデリダにしては読みやすいほうなのか 邦訳が出たのが84年だからかなり早い時期
労作なんだろうけどもさすがに古い訳になってるかな
最近の研究成果を踏まえた若手の新訳が欲しい ところが新訳企画が止まったらしい
現代思潮新社の稼ぎ頭なのか デリダの文章は余り説明的じゃなくて、思い付きでどんどん
書き進められるから、詩的である面もあって、読みづらいと
感じる人も多いだろう。
オリジナルな思想家の文章はある程度、理解しにくいのはしょ
うがないような。 >>192
大学の教員でデリダの研究者に過ぎない者が
学生に分かり易く解説するのと、デリダが自
作を書くのとでは姿勢が違うだろ。
オリジナルなライターは読者の為だけに書い
てる訳じゃない。
自分が思考した足跡を止めておくためや、自
分が何処まで思考できるかが重要で、読者の
理解は二の次、三の次の場合も有り得る。
というか、それで十分だと俺は思う。 コナンの最終回を読むのと弔鐘の日本語訳を読むのは諦めてる
出る前に寿命がくる 本、ちょこちょこ読むくらいで正確ではないかもだけど、
脱構築はそれぞれが本読んだりいろいろやったりして、永劫回帰をしていくことで実現されんの? >>198
例えば、どこでどういう風に起こっているの? なんか昔の現代思想を紹介した文章でたまに「80年代は若者の間で「脱構築しゃうぞ!」なんて言葉が流行った」とかの
記述を見かけるけどウソだろ?
誰も言ってないだろ?
当時若者だった人がそんなこと言ってるの見たこともないんだが… でも実際スキゾやパラノは流行語みたいな感じだったんでしょ?『構造と力』が売れまくったり。
当時をよく知らない自分はそれすら信じられない。 聞いたら意外と昔を語ってくれるよ
ただのおっさんおばさんと思ってた人が過去に一瞬費した古えの時代の証言を語り出すのは面白い 西欧人にとっては自分の足元の聖書と古典学を研究することが脱構築なんだと思う 脱構築の2つのテーゼ
「脱構築は正義である」
「脱構築できないものは脱構築それ自体と正義である」 >>205
そういうところが限界だろうね。
龍樹の「空亦復空」は、仏教の空それ自体もまた空ぜられねばならない、というものだったから。
2世紀の頃には既に。 ドゥルーズはけっこう文庫になってるのにデリダは全然なのね
『散種』読んでみたいけどなかなかのお値段… グラマトロジー文庫企画失敗らしい現代思潮新社が小金稼ぎ奪われたくないからクソ訳手放さなかったもよう その話はリアルなリーク?
うわぁ…
グラマトロジーが文庫になったかもしれないのか
それも新訳で
ポシャったのは悲しい 通俗的なSF小説みたいなドゥルーズよりはまともだからな
しかし日本はドゥルーズ研究者はウジャウジャ居て、ドゥルーズ紹介/研究本も山のよう
デリダなんてこれっぱかしもない
だからこの国は駄目なんだ
もっと若い世代のデリディアン大量に出てこいよ >>212
テクストにおける構造の破壊と再構造化を示す試みは、メタ構造(言語)の中で行われており、結局のところ構造から逃れることはできない
人類の歴史において言語は変化しながら定着(ドゥルーズを意識して「土着」とでも言おうか)した
ラングにおける変化はラングそのものによってではなく、常にパロールによってつまり人間の介入によってなされた
脱構築もまた、その介入の一種であることはデリダ自身も認めるところであり、脱構築に特権的な地位を認める理由はどこにもない
変化が人間の介入によるのなら構造や記号に自律性があると言えるのか
以上から、デリダ研究は哲学史の枠の中にとどまらざるをえない >>212
自分で読んで見つけることも出来ないような奴が
他人任せで偉そうなことを言うな >>214
哲学史の中に留まるならそれは内在性の哲学だな
ドゥルーズは内在性の哲学を志向しながら結局は超越論=SFになってしまった >>214
ちょっと福嶋亮太を連想した。
けど、文字とか(構造や記号)をつくったのは、人間だよ。 ああけど、言語って、人間がつくった感じなのかな?
自然発生的なのかどうか、というか。
文字だったら、人間がつくったって言えそうだけど。 グラマトロジー読み終わったけど、ここまでルソーで(特に下巻)埋め尽くされてるとは思わなんだ
何か妙にルソーにシンパシーが湧いたので著作読んでみたくなった ただ自分の頭が悪いせいか、翻訳に由来するものかわからんが「それ」とかの
代名詞が何を指し示してるのかわかりづらく「それってどれだよ!」って箇所が結構あって苦戦した。 デリダは偉いけど、ヘブライ語はおろかギリシャ語もラテン語すらできない日本の哲学研究者って問題じゃない? 哲学とか文学の研究者って大昔に(近年のものでも)他人が書いた文章について朝から晩まで考え込んでて、そういうことに
神経すり減らして頭おかしくならないのかな
デリダは難解なテクストを読んで難解な思考をして自分でも難解なテクストを書く
しかしそこまで細密なテクストに価値はあるんだろうか
もし自分が書いたことが全て誤謬であったらどうするんだろうか
ただの言語の遊戯に過ぎなかったら >>227
いくらでも逆張りできるから正解はないし誤謬もない
真理は存在しない
そういう意味ではただのゲーム >>228
君の示唆に富まない14文字よりは多少は考えてるようだが おい
日本のデリダ研(や)ってる奴ら
自分がデリダを論じた本だのデリダ派のザコの翻訳だの出してる場合かよ
『Glas』の翻訳出せ
いい加減にせえよほんまに
巫山戯るのもいい加減にしろ
“遠回り” もほどほどにせえよ
“ゴミテクスト” は要らん
“本丸” を出せ
わかったかバカヤロウ 鵜飼哲にチェック入れてた浅田彰という体制がなくなったからねえ 鵜飼みたいなベテランじゃなくても若手の野心のある人がやってもいいのに
迂闊に手を出すと恥を掻くぐらい難解なテクストだから誰もやりたがらないんだろうか デリダぐらいの大哲学者の最高傑作と言われてる本の翻訳がこれだけ出ないうえハレモノのように誰も触れないのは何か事情があるのか
鵜飼が投げたから遠慮して誰も手を挙げられないとか
なら鵜飼先生に再着手をお願いしたい ネットで活動している脱構築研究会の人たちざっくばらんだから聞いたら教えてくれそう 『Glas』は国会図書館から遠隔複写で取り寄せたらいい
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/search?title=%E5%BC%94%E9%90%98&creator=%E9%B5%9C%E9%A3%BC&sort_issued=desc&searchCode=DETAIL
弔鐘(1) 雑誌記事 Jacques Derrida, 鵜飼 哲 訳 <Z23-B31>
掲載誌 批評空間. 2期 (通号 15) 1997.10 p.249〜234
弔鐘(2) 雑誌記事 Jacques Derrida, 鵜飼 哲 訳 <Z23-B31>
掲載誌 批評空間. 2期 (通号 16) 1998.01 p.297〜282
弔鐘(3) 雑誌記事 Jacques Derrida, 鵜飼 哲 訳 <Z23-B31>
掲載誌 批評空間. 2期 (通号 18) 1998.07 p.249〜232
弔鐘(4) 雑誌記事 Jacques Derrida, 鵜飼 哲 訳 <Z23-B31>
掲載誌 批評空間. 2期 (通号 19) 1998.10 p.269〜248
弔鐘 Glas(5) 雑誌記事 ジャック デリダ, 鵜飼 哲 訳 <Z23-B31>
掲載誌 批評空間. 2期 (通号 20) 1999.01 p.269〜256
弔鐘(6) 雑誌記事 Jacques Derrida, 鵜飼 哲 訳 <Z23-B31>
掲載誌 批評空間. 2期 (通号 22) 1999.07 p.249〜232
弔鐘(7) 雑誌記事 Jacques Derrida, 鵜飼 哲 訳 <Z23-B31>
掲載誌 批評空間. 2期 (通号 23) 1999.10 p.285〜268
弔鐘(8) 雑誌記事 Jacques Derrida, 鵜飼 哲 訳 <Z23-B31>
掲載誌 批評空間. 2期 (通号 24) 2000.01 p.241〜232
弔鐘(9) 雑誌記事 Jacques Derrida, 鵜飼 哲 訳 <Z23-B31>
掲載誌 批評空間. 2期 (通号 25) 2000.4 p.329〜308
弔鐘(第10回) 雑誌記事 Jacques Derrida, 鵜飼 哲 <Z71-F761>
掲載誌 批評空間. 第3期 (1) 2001 p.273〜256 鵜飼訳の『Glas』はデリダ関連の文献の中でも最高峰のもの 日本の凡百のデリダ学者の100のデリダ論より『Glas』と『La carte postale』の翻訳出せよ 三流学者の駄文なんて要らんよ
実地のテクストに当たるから > 法政大学出版局
> @hosei_up
> ・
> 10時間
> 【近刊】
>
> J.デリダ:著, 谷口 博史:訳
>
> 『エクリチュールと差異〈改訳版〉』
>
> 痕跡、差延、脱構築などの概念によって構造主義以後の哲学思想界を決定づけた名著。全面的に訳文を改訂、更に読みやすくなった新版。
3回目の邦訳 同じ日
哲学の余白 上・下 新装版 叢書・ウニベルシタス
ジャック・デリダ
発売日 : 2022年04月26日 ドゥルージアンはしばらく研究者に困らないけどデリダは人材ほぼいなくないですかね
翻訳出回ってないのが原因かと 翻訳書より、デリダ論の方が売れるから、翻訳者もやる気無くすよねwww 今ではみんな忘れているけど東浩紀ってデリダ論で世に出たんだよな
あの時期になんとかならなかったの デリダの著作の翻訳の問題点は原著者の奇をてらったライティングスタイルにあると思う。
それがデリダの作品の読みづらさに繋がってるんじゃないか?
かなりトリッキーな人。不倫で子供も作ってますしお寿司www 人柄のトリッキーさはさほどでもないのでは
フーコーみたいな怪人と比べれば普通の人 デリダもかつては最新、でも故人だから論に埋もれていく。特に知りたがり日本は、そういうの好きだし、売れる広告塔がないと学者の飯問題がある。しかも消費者は高齢者がボリュームゾーン。 流行らないほうが秘教感があるし己の(知的)エリート意識を満足させられるからいい
馬鹿には読んで欲しくない
ただあとは『Glas』の翻訳、『De la grammatologie』の新訳、『La carte postale』の翻訳の完成があれば⋯⋯ 「広告塔」というだけですよ。張り合うことはない。
デリダもフーコーも、もはや"語らない"わけです。 もちろん僕は知的エリートでもなんでもないですが、気分だけでも浸りたいということです
叢書・ウニベルシタス 1143
エクリチュールと差異〈改訳版〉
J.デリダ:著, 谷口 博史:訳
四六判 / 654ページ / 上製 / 価格 5,940円 (消費税 540円)
[2022年04月26日 刊行]
https://www.h-up.com/bd/isbn978-4-588-01143-6.html
発売日を「26日」としてるのは別ソースから。
叢書・ウニベルシタス 771
哲学の余白 上〈新装版〉
J.デリダ:著, 高橋 允昭:訳, 藤本 一勇:訳
四六判 / 384ページ / 上製 / 価格 4,400円 (消費税 400円)
[2022年04月26日 刊行]
https://www.h-up.com/bd/isbn978-4-588-14066-2.html
叢書・ウニベルシタス 772
哲学の余白 下〈新装版〉
J.デリダ:著, 藤本 一勇:訳
四六判 / 374ページ / 上製 / 価格 4,400円 (消費税 400円)
[2022年04月26日 刊行]
https://www.h-up.com/bd/isbn978-4-588-14067-9.html
発売日を「26日」としてるのは別ソースから。 >>258
了解です。自分も最近デリダ見直しましたが、もとはフーコー好きです。 ちなみに『余白 Marges』は「新装版」なので新訳ではなくカヴァーが変更になるだけでしょうねおそらく
近刊検索デルタ:触覚、
5月27日発売予定青土社
触覚、ジャン=リュック・ナンシーに触れる
ジャック・デリダ/著
定価:5,280円(4,800円+税)
判型:四六
内容紹介
現代思想も陥る西洋哲学史の罠
アリストテレスから現代にいたる哲学が、触覚の直接性に基づく「直感主義」の罠に陥る様を詳細に分析し、それを免れたナンシーの哲学の可能性を押し開く。現象学からドゥルーズを含むフランス現代思想全般を初めて批判的に論じ、その精神的背景としてのキリスト教=グローバリゼーションの脱構築を試みたデリダ晩年の哲学的主著。
https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784791774708 >>259
5月23日に延期
エクリチュールと差異〈改訳版〉 J.デリダ(著) - 法政大学出版局 | 版元ドットコム
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784588011436 >>260
こちらは変わらず4月26日
哲学の余白 上〈新装版〉 J.デリダ(著) - 法政大学出版局 | 版元ドットコム
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784588140662
哲学の余白 下〈新装版〉 J.デリダ(著) - 法政大学出版局 | 版元ドットコム
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784588140679 日本のデリダ派はインフレが進んでどんどん安っぽくなってない?
有象無象の哲学ジャーナリストばっかりって感じ 東浩紀なんかもそうだけど、博士号取ったらすぐ安易にデコンストリュクスィヨンを応用した社会批評家みたいになるからね
エッセイストみたいなのに
晦渋な作物は書かなくなる
ま、ドゥルーズ派も同じだけどね
最初の理論的主著となる本を出したらハウトゥー本や自己啓発本みたいなのしか書かなくなる
スターは大体こんな感じ 「悪い場所」ってやつだと思うわ
その点では中身がどうあれ理論構築を続けている柄谷は何歩かマシ 浅田はだから最初の1、2冊出して単著は出さなくなったんかな 課程博士とかいう安い博士号を乱発したからね
実力がないから評論家になる 絶版などで入手困難となった資料をパソコンやスマートフォンで
閲覧できるようにするサービスを国立国会図書館が5月19日から始めることになりました。
対象となるのは、国立国会図書館が所蔵し、すでに電子データ化された書籍や雑誌、論文など150万点余りです。
入手困難な絶版など パソコンやスマホで閲覧可能に 国会図書館
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220430/amp/k10013606071000.html デリダは社会不適合者にとって都合の良い言い訳になってる
自己顕示欲の強い研究者にとっては本領発揮の場所だからね
だから、うじゃうじゃ出てくる 宮﨑裕助という人も、デリディヤンの中では間違いなく有名でスターなんだけど、入門書や自己啓発本の執筆依頼が来るほどアイドル性はないので(いい意味で地味)──今のところは──真面目にやってる印象 哲学徒が書いたハウツー本や人生指南の書のたぐいほど読みたくないものはない 出版社も新聞・テレビと同じマスメディアの一部なのかな?
外面というか見栄えが良くて派手な世間受けするお手軽な人ばっかりプロデュースしてる気がするんですけど。
まあ本が売れないと会社が潰れちゃうからしょうがないのかもしれないですが。 昔は「フランス現代思想ブーム」があったから難解な文章、言い換えれば変な文章が主にマイナー処の出版社から大量にリリースされていた
今はそういうリスクが冒せなくなったのでリーダブルな文章で書かれた本しか出せなくなった “思想界のそのまんま東” 東浩紀の文章も相当読み易さに特化している
デリディヤンなのに・・・・・・ ポストモダンってドイツ観念論やら現象学~構造主義の最低限の下地がないと
そもそもまず何を言ってるのかすら、さっぱりわからないはずなのに
あんなものが流行ったこと自体が信じられない。
そういう意味じゃ、まだ今の方が相対的には健全とすら思える。 東「あのこれさ、自民党は統一教会と関係しているからこのようなテロを招いたということを言った?もしかしたら」
安倍/自民党/統一教会擁護…
デリディヤンが右傾化しネトウヨになってしまうとは… その後もしばらくやり取りを続けた後、福島瑞穂氏が居なくなると同時に東浩紀氏が怒り気味に
「あのこれさ、自民党は統一教会と関係しているからこのようなテロを招いたということを言った?もしかしたら」
というようなコメントをしたところ、主演していた石戸諭氏や夏野剛氏らも福島氏の発言を批判するコメントを連発。