>>966
悪というところだけに関してレスを返すとすると、
悪的なものは新たに作り出すより、すでに人間の内や
外に存在していて、マニ教徒はそれに対して
自分の中にある悪や社会的な悪に対して
対抗したり浄化することに心血を注いだんじゃないかと
思うんだけど。

そして悪も確かに神の内だとしてもそれは人間よりはるか
上位の世界においての神と悪の関係であって、人間と悪の
関係とは別だと思うな。

悪を取り込んで消化して善化するということが本当にあった
とすると、個人的には内面的な行になると思うし
外面的には今とは違っても実社会的な何かだと思う。