>>888-891
マルクスの「利潤率の傾向的低下の法則」について議論があるのは確かだ。
この考え方は、「資本主義的生産様式の進展とともに」可変資本である労働による価値そのものが相対的に小さくなる、というものだ。

確かに相対的には剰余価値は低下するように見えるが、生産手段の高度化によって、一労働時間当たりの生産量は高まるために、剰余価値の絶対量としては増加することは十分にありうる。
これは、ピケティのような統計による手法で見るのはなかなか大変だ。
少なくとも、「構造成長がなく、生産性と人口の成長率gがゼロの場合、マルクスが述べたものととてもよく似た論理的矛盾が出てくる」(邦訳237P)という指摘は、マルクスとは無縁だということになる。

ピケティ自身は、マルクスに敬意をはらいながら、統計の不足によるものだとか、時代がそこまで来ていなかったとか、注釈をつけてこの法則を否定しているが、他の否定論者と同じに、マルクスへの理解不足であるとしか思えない。
『資本論』を読んでいないというのはほんとうなんだろう。

もちろん、マルクスの無謬性などを言い立てるつもりはないが、経済学のいわば原理を提示している『資本論』を否定するのはほんとうに大変だ。
周知のとおり『資本論』の第2部以降は、マルクスの原稿、ノートをもとにエンゲルスが書き表したものだ。
第2部以降はその意味で、わかりにくい部分が多々あるのも確かだ。