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>永劫回帰とニヒリズムの克服がツアラツストラの最大のテーマだと思うんだけど何回読んでもそこのギャップが
>埋まっていないと感じるのは私が超人じゃないからか

ニーチェは「永劫回帰」を「ニヒリズムの最も極端な形」と呼んでいるが、
そのニヒリズムの最も極端な形である永劫回帰を欲するのが「運命愛」だから、
運命愛においてギャップは埋まっていると思う。

「永劫回帰」を突き付けられて弱者がげんなりしてしまうのは、
仏教で、「空」を突き付けられて凡夫がげんなりしてしまうのと同じことだろうと思う。
ネガティブに受け取られがちな「一切皆空」は、実は裏をかえせば「諸法実相」という肯定的な思想に転じるように、
「永劫回帰」も、そもそも、それをネガティブに受け取る理由はないのだ…というのが「運命愛」という肯定の思想なのだと思う。
『ツァラトゥストラ』では、最初のところで、幼子の「聖なる肯定」として、そのことが結論的に示されていると思う。


>「永劫回帰」の時間軸では、未来に価値を見出しながら生きていくことも否定されてしまう気がするんだけど

永劫回帰は、キリスト教の直線的時間と終末論(そして「彼岸」への憧れ)に対するアンチテーゼだと思う
(ニーチェは永劫回帰のことを「仏教のヨーロッパ的形態」とも呼んでいる)。

それを考えると、「未来」に価値を求めるのは、どちらかといえば、キリスト教的な生き方だと思われる。
そしてそれに対するアンチテーゼは、「今、ここ」に密着して生きる生き方(「未来」にではなく
「今、ここ」に価値を見出すことが「一切肯定」につながるような生き方)だと思う。