>>110-111
>>113-117
国家というのは、共同体の中の、特定の集団の利益を代表する組織が支配している。
当然、その共同体にはその組織の利益に反する人々が数多くいる。
一般的には、むしろ、利益を共通にする人間の方が、圧倒的に数が少ない。

しかし、人間というのは、自分の現状を否定して、自分が実際より尊大であることを求める、原始的な欲求を持っている。
その欲求が、プラスの方に向かえば、自分の生活を豊かに築こうとする意欲となり、知的な研鑽を積む意欲ともなる。
マイナスの方に向かえば、自分の現在に、なにごとかの属性を加えることで、自分を尊大な存在としてしまう。

その加えられる、なにごとかの属性には、家系、血縁、地縁、そして国家などがある。
愛国心というものは、ただ、その自分の承認欲求のために掴んだ藁に過ぎない。
愛国者というのは、自己愛を愛国という言葉に変えただけの、ただの自己中心主義者なのだ。

自分の利己的な精神的な満足のために、自分の現実的な利益にすら反して、国家を支持し、崇拝するようになる。
愛国者の国家の崇拝は、現実には崇拝されるような根拠を持てない人の、惨めで醜い倒錯した自己承認願望に過ぎないのだ。

そして、その倒錯した精神は、倒錯しているがゆえに、他人にその愛国に同調を求め、愛国を強制する。
愛国心とは、存在意義を持てない人間の悲しい性、とでもいうべきだろうか。