平和に関する布告 - Wikipedia
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平和に関する布告(へいわにかんするふこく、Декрет о мире)は、1917年11月8日
(ユリウス暦10月26日)に起きたロシア革命(十月革命)中に、レーニン率いるソビエト
政権の第2回全ロシア・ソビエト大会で発表された布告である。

その内容は、「無賠償」・「無併合」・「民族自決」に基づく即時講和を第一次世界大戦の
全交戦国に提案したものであり、ロシア最初の対外政策であった。この平和に関する布告は、
ウッドロウ・ウィルソンに「世界に貴重な原則を示した」と称えられ、当時のドイツ、オー
ストリア・ハンガリーの労働者だけではなく、[*]諸外国の民衆やマルクス・レーニン主義の
被圧迫民族解放理論に多大な影響を与えた。

その後、レーニンは「平和の経済的帰結」を発表したジョン・メイナード・ケインズに着目し、
この布告について「われわれはケインズの本が出るすこしまえに、彼のすばらしい忠告
にしたがった。いっさいの負債を棒引きした」[**]と語ってる。


ハインリヒ・アウグスト・ヴィンクラー、『自由と統一への長い道』 1巻 後藤俊明、奥田隆男、中谷毅、野田昌吾訳 (昭和堂、2008年),P359
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レーニン全集31巻22頁、大月書店