カール・マルクス11 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>297
>金融商品や株式市場については1mmも説明できない
1mmでも説明できれば大金持ちだよw
儲ける奴はいても、説明できるやつなどいない。
ただの博奕だからね。 >>307
それ、普通の国じゃなくて、資本の要請を受けたファシズムの国、なw 破壊活動を防ごうとするのは普通の国だよ、マルキストはオウムの破壊活動も表現の自由と
認めるのだろうか?ついでに共産圏に表現の自由はないけど資本主義には共産党がいて赤旗を発行する
表現の自由があるのは誰も見たこともない理想の中の共産圏だけである いまどき、共産主義革命を本気で成し遂げようと考えてマルクスを学んでるやつはいないだろう
マルクスは資本主義の矛盾を鋭く解き明かしたが、それに変わる新しい仕組みを考えることにかけては失敗した 戦前・戦中期日本の言論弾圧 (年表)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%89%8D%E3%83%BB%E6%88%A6%E4%B8%AD%E6%9C%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%AB%96%E5%BC%BE%E5%9C%A7_(%E5%B9%B4%E8%A1%A8)
自由民権運動も明治政府に弾圧されていた。
共産主義同盟の依頼でマルクスとエンゲルスにより書かれた
コミュニスト・マニフェスト(共産主義者宣言)は
1848年革命の直前に書き上げられている。
1848年革命
https://ja.wikipedia.org/wiki/1848%E5%B9%B4%E9%9D%A9%E5%91%BD
1848年のフランス革命から、やっと、欧米にも普通選挙制度が広まり始めた。
普選運動
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E9%81%B8%E9%81%8B%E5%8B%95
それ以前は差別選挙の時代でプロレタリアートに選挙権はなかった。
こういう体制下で政権を打倒する現実的な手段は暴力革命だったわけだ。
当時のヨーロッパでは当たり前に起こっていた。 暴力を推進しているから弾圧されていたという当然の事実を逆転させるとは驚きだ
歴史的に国民の人権と権利が当然のものとして受け入れられていったなかでマルクスの暴力革命などの出る幕はない
事実として、そんな馬鹿げた行動が自由平等と普通選挙に繋がった事例などない 欧米で民主主義が成立していった理由は、国民が積極的に社会参加をしているという認識が経済力、国力の拡大に
繋がっているという事実が当然のこととして理解されていった点で、言い換えるなら資本主義が民主主義を成立させた
と言うことができる、維新政府が専制政治を廃止し選挙制度を導入、当時の欧米式の民主主義を導入した理由もここにある >>313
そういうときだけガンジー主義者を気取るのか?
北朝鮮で反体制思想家が合法的な手段だけで政権を変えたり打倒できると思うの?
資本主義諸国がそういう手段のみを使用することを祈るよw 共産主義運動は当初は普通選挙権運動として始まっている。
マルクスとエンゲルスが若い頃にはヨーロッパでもまだ普通選挙制度はなかった。
富める階層のみが選挙権を独占し、経営権も国政も思うがままに利用していた。
普通選挙もけっきょくフランスの暴力革命から普及し始めている。
イギリスやアメリカから自発的に起こったわけじゃない。
アメリカもけっきょく南北戦争という暴力的な手段で奴隷解放と黒人投票権を勝ち得ている。
しかし実質的な公民権は1960年代まで待たねばならなかった。
このときキング牧師はガンジー主義の立場から運動していたが、彼も結局暴力に倒れた。 マルクスは資本主義に矛盾する二つの側面を見ていた。
一方には奴隷制・農奴制を温存するシステムだという側面、
もう一方には個人主義と民主主義を促進させるという側面だ。
これらが資本主義社会の矛盾として存在する。
アメリカ社会の歴史はまさにこの矛盾と葛藤の歴史だったと
評価されるだろう。いまでもその葛藤は続いている。 >>310
バカだねえ・・・w
国の方が人間の生活や精神を破壊してる以上、人々はそれに対抗する手段を講じなければならないのは、資本主義であろうと社会主義であろうと同じだ。
他の人のためにも自分のためにも、平和的な対抗手段であることが大切だが。
共産主義国家などというものは存在しないが、共産圏などという言葉は、そもそも定義の矛盾だということぐらいは知っておきなさいね。 >>313
「暴力を推進しているから弾圧されていた」のではなくて、体制批判の言論を広めようとしたから弾圧されたというのが、「当然の事実」なんだよw
少しは歴史を勉強してから書き込みなさいねw >>318
>マルクスは資本主義に矛盾する二つの側面を見ていた
そんなものは見てないよ。
アメリカに期待したのは、組合の力と、賭場ではない株式の拡散。
株式(資本)が社会的な共有財産になれば、すでに資本主義ではない。 で、歴史的にみてマルクス主義が民主主義にどう貢献したのか説明してみろ
マルキストらが目指したのはむしろ歴史の針を逆に戻す専制政治だったろう >共産主義国家などというものは存在しないが、共産圏などという言葉は
国家でも、自治勢力でも、特定の領域ですらない、これはもう先住民の暮らす原始社会か
領域でもないならそれすら怪しい
なんだか分からない空間で政治や外交を持たず人々が共有財産を分け合って生きてる
そんな非現実な状況はありえない >>322
資本主義国家というのは、資本家の独裁だから資本主義国家。
資本の利益のための消費拡大に供する内容に限り、自由、は確保されてる。
その一方で、政権批判や国家批判は弾圧されている。
具体的には、国家主義的資本主義に向かっている日本や、原理資本主義を徹底しようとしているアメリカの現状を見ればよくわかる。
さらには、世界中の戦乱の大半が自由の国アメリカによって引き起こされてることも、周知の事実だ。
日本で言えば、かつてソ連があった時代の方が、現在より、はるかに表現や学問の自由があった。
ブルジョアジー独裁をプロレタリア独裁に変えようとしたからといって、それが専制政治になるわけではない。
たんに、資本の所有を認めないという、資本主義の自由を否定して、労働の自由を拡大していたに過ぎない。 >>323
だから、共産主義国とか共産圏とかいう言葉は間違いだと指摘してるんだよ?
共産主義というのは、現実を改善していくための理念のことなんだよ。 へー、全ての共和制国家は民主主義ではなくて独裁国家だったんだ
選挙権があるのに?資本家が一人十票とか持ってるならわかるけどさすがに暴論だわ ヒトラーは選挙で選ばれたし
アメリカ大統領も独裁者になり得るとゲーデルが言っていた
実際トランプがそうなった
ドイツの右傾化は第一次大戦の多大な賠償金のせいだし
アメリカの右傾化は軍産複合しか産業がないせい
こうした経済的分析がマルクスの思考
ネトウヨの跋扈も日本の不景気のせい
国家による再分配に過大に期待せずに
消費協同組合から始めるしかない >>326
選挙の問題じゃないよw
選挙が有効なのは、政権と行政のすべての情報が開示される、自由な報道が保証されているときのみ。 不思議ですね。慌てて法的整理に踏み切ったのに再建案の提出は来年までに延期。
製造業としては日本史上最大の経営破綻のはずなのにいまだに連鎖倒産1件もなし。
海外のタカタ工場も閉鎖されたところは1つもないばかりか、投資拡大のニュース
が流れている。KSSからの資金が流れ込んでこなくても資金繰りに困っている
様子がまるでない。それに再建案として報道されているのは、問題の原因と
なったインフレータの製造販売だけをタカタ本社に事業として残して、清算まで
事業を続けるというもの。でも、そのインフレータは危険だから今後、使わない
予定なんでしょ?なにがどうなっているのかよく分りません。
https://www.nikkei.com/article/DGXLRSP464299_X21C17A1000000/
帝国データバンク調べによれば、6月26日の再生法申請から5カ月となる11月25日までに、取引先の連鎖倒産は依然として1件も発生していないことが分かった 独裁国家というのは何を意味するのだろうか?
それは本当に実在するのだろうか?
独裁というと、まるでたった一人が全国民を権力で抑えつけている表現だが、
実際問題、そういうことが本当に可能なのだろうか?
想像してみてほしい。
たった一人の人物が何千万人もの人びとを相手にたった一人の力(その力とは何ぞや?)
で何千万人もの抵抗を排して恐怖政治で抑えつけるようなことが果たして可能なのだろうか?
SFの世界でスーパーマンのような人物、神のような神通力を持つ人物なら可能かもしれない。
しかしそれはSFの世界の話だ。
独裁政治という言葉はその言葉だけが一人歩きしているように思われる。
独裁政治という言葉はその政体をちゃんと表現しえている言葉なのだろうか? そう考えると不思議だな
なんでみんながんじがらめになっているのだろうか 独裁者が取り巻きと一緒に色んな仕組みを作って、市民を
支配してるんじゃないの?それが独裁。 ここのところ資本主義と民主主義とは果たして両立しうるのか
というのが盛んに論じられ始めている。
トマ・ピケティ氏による21世紀の資本論も根本的なテーマはそこにあった。
彼は経済市場における民主主義をメリトクラシーと同一視している問題はあるが。
民主主義を大衆参政権または一般的または普遍的参政権という意味で理解すると
資本主義からはずいぶんと遅れてやってきた社会システムだ。
マルクスが生きているころのヨーロッパでは男子参政権もまだ一般的ではなく稀だった。
マルクスとエンゲルスによる『共産主義者マニフェスト』が書かれた発行されたのは
1848年2月だという。
偶然か必然か、それと時を同じくしてヨーロッパ各地で「諸国民の春」と呼ばれることになった
1848年革命が勃発する。これらは暴動や戦争を含めた暴力革命だ。
これ以降、男子参政権が世界に広まっていく。そのきっかけになったような革命といえる。
その前にも例外的に男子参政権を実施している例はあったが、稀であった。
資本主義社会は基本的に経済差別や人種差別による差別的な選挙制度を持っているのが普通で、
男子参政権が普通になったのはマルクスの死後の出来事にすぎない。 共産主義を目指した国では政府によって情報が統制され選挙も行われなかった
マルキストは、かつてソ連や中国を理想の国と呼び賞賛し自らの政治運動にも活用していたが
失敗するたびに「あんなの共産主義じゃない」の一言で知らん顔、何の反省も懺悔も見せず
とんでもない悲劇が繰り返されることになった 前に感じたことあるんだが
みんなそんなに働くのつらいなら
みんなでボイコットすればいいのに
と思うんだが
現実にはそうならない
働きたい もしくは動いてないと病気になる人種が
一定多数いて こいつらが戦争を起こし こいつらが国を作る
こいつらは 働かなくてもいい社会であっても 働き出す(ベーシックインカムのような社会でも)
この集団が独裁政権になり 国というものを掌握する
なぜそんなことをしたいのか 意味不明だが トランプだとかネトウヨだとか、また典型的なやつがでてきたな。見てるこっちが恥ずかしくなる 世の中には自ら奴隷になりたい人種がいるものだ
それの集団がトップを作り出す 20世紀の強権的な国家主義の責任がマルクスにあるとしたら
資本論ではリカードと違い税制を論じなかったために国家への耐性が
その後のマルクス主義に生まれなかったということだろう
マルクス自身は世界政府を志向したし
国家に頼らない協同組合を推奨したことは資本論に書いてある
それらを読まないで批判するから不毛だ
状況的にはプルードンとマルクスの往復書簡の頃から進歩がない >>338
それは、万人の闘争状態が常にあるからだよ
マルクスは社会契約説を学んだことがなかったんだろうか
どんな思想を共有するにせよ自治勢力は必ず生ずる
幾何級数的に人口が増えていくなかで、集団でいながら国でも何でもないものが
存在し得る訳がない 当時の先進資本主義社会であるイギリスにおいてすら
男子参政権が実現したのは1918年で20世紀に入ってからだ。
マルクスはそれを知らずに亡くなった。
大衆参政権としての民主主義は資本主義が普遍的に要請する
制度と考えるのは当時の事実からして無理だった。
しかし普通選挙を求める機運は高まってきていたので
ジャーナリストであったマルクスはそれを感じていたはずだ。
それがすんなりといかず、暴力的な揉め事になるということも
彼は当時の現実から知っていた。
資本主義体制は大衆民主主義をすんなりと受け入れなかったのだ。
もちろん他の諸国は資本主義的発展段階においても遅れていた。
イギリスの民主主義が遅れたことを思うと、資本主義と民主主義は
正の相関関係を持つとは限らないようだ。
資本主義が遅れた地域で民主主義が先に実現するということも起こりうる。
資本主義が進んだ地域で民主主義がなかなか進まないということもある。 >>338
資本主義の発展期のころは労働者の暴動やストライキはふつうに見られた。
経済格差も大きかった時代だ。 人間自体に価値が内蔵されてないから万人の闘争状態になると思うんだよね
でもこれは一番最悪の状態の話で
100年後には進化してることを願う
デフォルトで慈しみを持っている生物へと進化してることを >>344
マルクスに心酔するのは勝手だがマルクスを信奉した人々による国がどういう結果を辿ったか
歴史的事実を良く考えてからものを言ったほうが良いよ、無責任に讃えるだけならソ連時代と何も変わってない
確かに資本主義もメチャクチャだが、まだ政治に与して改善していく自由はある
失敗から学んでより良い制度を模索していかなきゃいけないだろう マルクスは資本主義を分析しただけで処方箋を詳しく書いたわけではない
プルードンへのライバル意識がマルクスに市民銀行への視点を欠落させたからだ
処方箋はあくまでプルードンと(ケインズが言うように)ゲゼルの系譜にある
マルクスのした資本主義の分析が無効というわけではないが
マルクスの欠点として減価マネーの可能性に気づかなかったことが挙げられる
とはいえ、ゲゼル式減価マネーもマルクスの価値形態論の延長で思考、実現可能だ
(価値形態論を逆回転させて読めば良いのだ) 資本論は社会革命の書であって政治革命の書ではない
読まないで革命を起こした連中と
読まないで批判している連中はワンセット 読まないで革命起こすやつなんかいる訳ないでしょ、青木雄二だって資本論くらい余裕で読んでた
歴史的な革命家をお前程度の頭と同じにしちゃいけない マルキストは、失敗したら全て「やったやつが間違ってたから」とマルクス無罪論を唱えて
何の反省も見せないまま同じことをオウムみたいに言い続けるから心底吐き気がするわ
飛行機乗っ取ったり犯罪をやるのも必ずマルクスオタ、世間から反社会勢力と呆れられて
見放された過去を忘れたのか しかしまあビルゲイツが何を楽しみに生きてるんだろう
セックスとかもあんましなそうだしな >>337
それでも、アメリカが起こした世界での悲劇よりは、ずっとマシ、だろう。
アメリカは現代でも、世界各地で戦乱を起こしている。 まあ景気って今人間がどういう状態にあるか
の指針になると思うんだよね
数字が一番基準になるから
これが共産主義だとわからない
今は自分達は幸せなのか不幸なのか好景気なのか不景気なのか
これはつらい >>341
現代の国家主義というのは、利益を最大限にしようとする資本によって画策される。
トランプ政権然り、安倍政権然り、ということ。 >>347
アメリカを無責任に讃えることで、世界中の戦乱が拡大している。
ソ連の時代の方が、互いに牽制し合っていたから、むしろ世界は平和で豊かな時代であったともいえる。 >>334
けっきょくは富と武力の独占だよ。
身分制社会を長い間支えたのもそれだった。 >>348
ケインズはあくまでも資本主義システムが普遍とした上で処方箋を考えていたのに対して、
マルクスはそうじゃなかったという点が違う。
ゲゼルをケインズが評価したのもケインズのその学問的フィルターが前提にあっただろう。
ただし、減価マネーは資本主義的市場経済の中で需要されるだろうか?
私的所有が支配的な社会で、持っていると損するような貨幣を自らすすんで需要する人は
少ない気がする。
減価マネーをやるとしたら、なんらかの中央集権的な強力な信用システムが市場に対して
支配的な権威をもっていないと無理っぽい。 減価マネーをやるとしたらせいぜいベーシックインカムのような形以外には
成り立ちにくそうだ。
労働の報酬として減価していくマネーを受け取りたい労働者はいないだろう。
彼らはそれによって永遠の労働地獄にしばりつけられてしまう。 ベーシックインカムになったら学校教育はどうなるのだろうか
お金の使い道の道徳とかなのだろうか
国語 算数 理科 社会とかではなくて
娯楽 趣味 ネット 旅行
とかになるのだろうか ベーシックインカムになったら
発狂さんのような人が大量に生まれそうだな
彼は時代を先取りしてるのかな 減価電子マネーと組み合わせればベーシックインカムは
恒常的な増税なしに実現できるという説もあるようだ。
マルクスは未来の予言や社会設計案について禁欲的ですら
あった人なので、おおざっぱな展望的な言葉しか残していない。
彼が社会設計主義者だとは考えられない理由だ。 ピケティさんも、二一世紀の資本論で、私的所有の失くなった社会が
どういうものになるのか、経済学的に見積もることは非常に難しい
というようなことをお書きになっている。
一人で図書館に通って貧乏研究生活をおくっていた在野の研究者である
マルクスにそれを望むのは尚更のことだったにちがいない。 国家は税金という名前で国民を搾取するための機械である。 >>360
> ゲゼルをケインズが評価したのもケインズのその学問的フィルターが前提にあっただろう。
【訂正】
ゲゼルをケインズが評価したのもケインズのそうしたイデオロギー的フィルターが
前提にあったためだろう。 ゲゼルは自身の立場を暫定的国家主義と定義している
(子供を産んだ全ての母親に土地を給与する政策など国家にしか出来ない)
ケインズのような終生国を背負ったエリートとは立場が違うが…
岩村充は『新しい物価理論』でゲゼルとFTPL(=物価水準の財政理論)の考え方とを繋げている
ケインズの脱金本位制の考え方と似ているかもしれない
ちなみにケインズの世界通貨案(バンコール)はゲゼルのそれ(IVA)とそっくりだ
暫定的国家主義とは地域主義とともに世界全体を見ているということだろう
暫定的国家主義なる言葉は本来は20世紀のマルクス主義者たちに当てはまる 自称自由主義国家も対外的には帝国主義(=資本の輸出)の立場を取る
ソ連や中国と変わらない
日本のような小国は今後共和国になるべきだろう
(天皇は京都が引き取るしかない)
中央集権官僚国家では知恵が働かない
現代では目標が複数あるからだ
その点過去のマルクスとアナーキスト達との論争が参考になる
柄谷行人のように双方から学ぶべきだろう ゲゼルの暫定的国家主義が何を意味するのか知りませんが、
このスレッドだけに、プロレタリアート独裁を想起してしまった。 マルクスは資本主義的労働を終わらせようと展望したが、
ゲゼルもケインズも資本主義的労働の永続化を展望していたように見える。
その処方箋が一種のマネタリズムだったんでしょう。 ケインズのバンコールは特定の通貨、特定の国家のヘゲモニーを許さない
そこまで考えた経済学者はゲゼルとケインズくらいしかいない
ゲゼルの場合はそれと地域主義が併存する
ルソーの直接民主制に経済的根拠を与えるものだ
全ての国家主義を批判する藁人形論法では自分自身が国家主義になるだけだ
アメリカ万歳と言ったような とりあえず市場経済と資本主義経済とを概念的に区別する必要がある
そのためには資本論第2巻の再生産表式を検証しなければならない
でないとハイエクみたいに展望がない自由主義になる
(ハイエクも実は似たようなことをやろうとしていたが
ノイマンの方が明確にやっている) カラタニは読み書きがエディットできてない。それはさておき、
ハイエクの方が現実的で夢を取り戻せる経済学だと思うよ。
完璧な瞬間がない アニー サルトル 嘔吐
失われた時代を求めて プルースト ハイエクって自由はすばらしいと私は思うと大きな声で連呼しただけで自由主義経済の弊害を指摘する声に対して何一つまともに返答できていないのに名声を得たのは時代のおかげ ハイエクやフリードマン的な自由市場で、オルタナティブ・マネーをやる場合、
それが合理的経済人にとって「需要」されるものでないと成功しないでしょ。
NAM原理の失敗も内部分裂というより消費者や労働者の需要がなかったってことじゃ? 自由があってもけん引するものがいて遅れるものがあるということでしょ。
上部 上層 とか、足元が危ういけどハイエクはしっかりしている。 参考:
ケインズは一次産品の価格安定のために緩衝在庫案を出した。
柳田國男が着目した三倉(義倉・社倉常・平倉)の国際版ようなものだ(参考:柄谷行人『遊動論』他)。
バンコールはこれでわかりやすい実体を持つようになる。
(『危機の中でケインズから学ぶ』平井論考より)
協同組合というと小さすぎて軽視されるかもしれないが、国際社会でも結局同じ原理が応用できる。
ケインズ「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年) 平井俊顕ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49302436.html
競争システムは、大きな需要と小さな需要の時期を平均化させることができる緩衝在庫の
存在を、それが負の収益を引き起こすがゆえに――自然が真空を嫌うのと同じように強く―
―反射的に嫌う(「原材料の国際統制」一九四二年四月。JMK. 27, p. 131)。 >>378
反論されたらお前は曲解しているあるいはお前は俺の主張を理解できていないと相手を落としたうえでひたすら自分の主張を述べ立てる昨今の流行りの原型かもしれない 経済系の人はいきなり資本論とか読んだりするけど、その前にやっぱり哲学の話を押さえておいたほうがいいよ。
唯物論と弁証法の話とか。
でないと、「マルクスの言ってることに妥当性はあるのか? 一人よがりの話してるだけだろ」とかなっちゃう。
で、「ハイエクがー、柄谷がー」と、だらだらぐずぐずの世界へ >>382
言論人の論敵に対する対応の基本だろそれ。昔からだよ。 >>384
それやってたら一生資本論にたどり着かないと思うw >>384
資本論は、純粋な経済学書だよ。
思考力さえあれば、理解はしやすい。
そして、資本主義経済の原理を知ることができる本は、資本論以外にないともいえる。 聞け万国の労働者(労働歌)
森野典尽
2 年前
私は元幹部自衛官ですが、軍歌の教育で原曲「歩兵の本領」を教えるついでにこちらの歌詞も唄わせていました。
私自身は高校時代に共産党宣言や資本論を読破した革命少年でしたから共産主義の名の下に労働者から搾取
した資金で軍事大国と化したソ連と対決して誅殺するのが楽しみだったのですが、自滅してしまって残念です。 >>388
こういうおバカな発想が、右翼のあたまの中身なんだろうなw ベリクソンという哲学者は不確実性の提唱者?
ケインズに影響を与えたと言われているようだけど。 >>389
こういうステレオタイプの発言が息をするようにでてくる典型的なパターン脳もまた知能程度が低さを表している >>391
>共産主義の名の下に労働者から搾取
こういうのが、資本主義者お得意の「ステレオタイプの発言」というのだよ。
自ら自分が資本主義者の「典型的なパターン脳」だということを認めているようなものだ。
資本主義者というのは、すべての事象を金に換算する、という価値観の信奉者のことなんだが、そんな人間に生きる価値があるのかね? 歴史的事実をステレオタイプなどとは言わないんだよ
そんな捻じ曲がった根性では互いが信頼によって分かち合う理想社会なんてとても無理だな >>393
結局は搾取という言葉の定義の問題なんだよねw
なにをもって搾取というかということ。
共産主義のどの制度が労働者からの搾取だと思うの?
資本主義の場合は、明確に、資本家が労働者から搾取しているという経済の構造をマルクスが解明してるんだけど。 一度も実現したことのない夢の制度について指摘するのではなくて
共産主義を目指した人々がどのようにやったか、史実について述べているのだが >>394
あくまで経営や管理運営といった頭脳労働は「そんな物存在しない」って立場なんだね… マルクスを読んでいないで計画経済を志向した連中と
マルクスを読んでいないでマルクスを批判している連中は似ている とにかく、そこで働いている人みんなが何らかの形で経営の意思決定に参加していない
システムを共産主義と呼ぶのはやめようよ。
民主主義の名の下に専制が行われたから民主主義が間違った制度だって理屈と一緒だよ。 ナチスはある面では極めてネオリベっぽい・リバタリアンっぽいところがあった。
優生思想をとりこんだところね。 >>396
その程度の頭で頭脳労働とかw
マルクスの搾取概念は、個別の経営とか管理とかいうこととは関係がない。
あくまでも、資本の増殖の根源が労働(時間)にあるということを証明した。
資本は、搾取があるから、増殖することができる。 >>396
基本的に、資本と経営は別だよ。
資本家が経営者を兼ねているかいないかとは無関係。 所有と経営の分離とか分かってない人いるよね
社会経験が無いんだと思う >>400
リバタリアンにとっての至上原理はご存知のとおり私的財産権です。
優生学は遺伝子を私的財産権として至上原理とする立場ですから、
有利な遺伝子を相続しなかった人は、裕福な家庭に生まれなかった人同様、
自己責任とされて淘汰されても仕方がない人びとと見なされる点でよく似ています。 ソ連はいわゆる「開発独裁」の一種だったんだと思います。
レーニンもトロツキーもスターリンも、史的唯物論でいうところの
共産社会以前の発展段階にソ連があったことを認識していたはずです。
マルクス学派の史的唯物史観では、共産主義というのは資本主義という
発展段階の次に来るものです。資本主義を飛び越えて共産主義を実現する
というのは唯物論に反しています。ユートピア社会主義以外にありえません。
しかし共産主義を名乗る革命はプロレタリアートもブルジョワジーも
社会の支配的階級になっておらず、封建的な社会からやっと脱しつつある
農業国で起こりました。しかしマルクスの歴史理論からしたら、それは
共産主義を名乗る資格がないのです。
だからレーニンもロシア革命をブルジョア革命だと言ってみたり、
いやブルジョア革命でも社会主義革命でもないと言ってみたりしていたのです。
レーニンにとって社会主義とは共産主義の前の段階のことです。
ソ連に社会主義秩序を導入するのは極めて難しいことだという主旨のことを
レーニンは言っていたと思います。
そこで持ち出されてきたのがトロツキーの永続革命論であり、
スタリーンの一国開発独裁主義なのです。
ソ連はまだまだ共産主義を導入できる経済段階の社会ではない。
だからその段階までソ連経済をなんとしてでも発展させないといけない、
という開発至上主義が出てきて、それを国家プロジェクトとしたわけです。 要するにレーニンもスターリンもトロツキーもソ連が共産主義社会だなんて
これっぽっちも考えていなかったはずです。
そう考えたとしたらそれはマルクス主義に反するからです。
彼らもそれを分かっていたのです。
ソ連は共産主義社会になれる経済発展の段階にない社会だったというのが
マルクス主義の本来の理論です。
スターリンはその矛盾をなんとか取り繕い穴埋めするために、
どんな犠牲を払ってでもソ連を西側と肩を並べる経済段階にするために、
投資のための投資を至上命令とした開発独裁経済体制を築き上げたのです。 経済成長を至上命令としてすべての国民をそのために動機づける
というのを国家プロジェクトとしてやったのがソ連型システムでした。
ソ連は、ソ連がまだ実現途上にあった資本主義化を国家プロジェクトとして
やったということが言えます。資本主義的搾取を国家ぐるみで再現したのです。
開発独裁というのは、イギリスが200年以上かけてやってきたことをほんの50年か
100年足らずで実現させるために、国家が資本主義化を主導するという体制です。
自由主義圏と言われた国々も市場経済の力を借りて経済発展至上主義を
多かれ少なかれやってきた面がありました。
その場合、国家の力だけでなく「市場の専制」も利用しました。
つまり、市場の専制とは「囚人のジレンマ」のような市場ゲームに個人を囲い込む
ことを意味しています。直接に国家が個人に強制力を発揮するのではなく、
個人を市場原理に囲い込むことで、個人同士が競争を通して互いに拘束し合うシステムです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています